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考察 NG騎士ラムネ&40

ドキドキスペースの神々

「見ておれ、ドキドキスペースの神々め。五千年前の怨み、必ず晴らしてくれる!」

『NG騎士ラムネ&40』の第25話で、ドン・ハルマゲはそう言い放つ。
そこで、ドキドキスペースという世界が、新たに明らかにされるのだ。
先に大戦があり、どうやらゴブーリキはその時に封印されたらしい事は分かる。
然し、この”ドキドキスペースの神々”とは何ぞや?

おまけに、1度名前が出て来たきりで、その後は全く語られる事がない。
これでは、いくらなんでも説明が無さ過ぎで、思わせぶりの振りまわしで、
あんまりなんじゃないかスタッフよ?
そんな訳で、古いアニメ視聴歴ウン年の私が、勝手に少し考証してみる。

要するにゴブーリキは、ドキドキスペースの神々に、何か邪魔された訳ね。
自分が全てを支配出来ると思ったのに、ドキドキスペースの神々が多分、
ゴブーリキを倒せる者に関わり力を貸した。
ドン・ハルマゲは、その事に気付いているのだ。
それで、「ドキドキスペースの神々に対する、五千年前の怨み」という訳か?
昔のアニメを見て育った私は、これぐらいしか思いつきません。
よくあるパターンかと思います。

ドキドキスペースの神々と、ゴブーリキの関係は何であろうか。
ドキドキスペースを支配しようとする、ゴブーリキの邪魔をするからには
それ相応の地位と知識を持つ者。それがドキドキスペースの神々。
ゴブーリキとドキドキスペースの神々は、同じ力を持っているか同じような存在の者である。
なにしろ“妖神”ゴブーリキなのだ。“神”という字がついている。
「妖人」ではなく“神”という字を使っている事に、設定上の深い意味はないのかも知れませんが。
(『NG騎士ラムネ&40』は制作アニメ会社が葦プロなのですが、
神という字を使っている作品が他にもあるんですよ。『戦国魔神ゴーショーグン』とか
『超獣機神ダンクーガ』などですね。見た目にカッコが良いから、
“人”という字ではつまらないから、なんて理由はあり得ます。)
古いアニメファンの私としては、昔のアニメのネタにあった
「仲間に、反旗を翻した奴」というのを、ゴブーリキに当てはめたくもない。
そうすれば、同胞の者が妨害を企てようとしている のだから、
ドキドキスペースの神々がゴブーリキを阻止する事に、正当な理由が出来る。
でもこれじゃ、よその番組みたいだな。(笑)

『NG騎士ラムネ&40』は、1年放送予定が放送短縮で9ヶ月放送になった訳なので、
もし、ドキドキスペース編も半年放送されていたら、第25話に出て来た
ドキドキスペースの神々について、もう少し知る事が出来たかも知れない。
けど、私は多くを知らなくても良いかなと思う。
伝説の全てを知ったら、夢が壊れてしまうかも…。
『タイムボカンシリーズ』のような作品なら、視聴者の想像に任せて
多くを語らないのがお約束ですよ。

でもなぁ、ドキドキスペースという舞台を印象づける為だとしても、
この意味深なセリフとハッキリ言ってしまったキャラ名。
やりたい事は、出来なかったのかも知れませんが、
勝手に出して完全放置しているのは、如何なものかと思いますね。
これじゃ、見ている側に対して少々失礼過ぎませんかね?
出したからには、何とか処理をしておくのが創り手の義務かも知れないと思います。
(編集でカットになった、なんて事はあったのかも知れませんが。)
『NG騎士ラムネ&40』の、作品的に悪いところ…になるんでしょうね。
(作業時間がなかったとか、放送が短くなったとかの事情を承知したうえで、言っていますよ。)
盛り上げる為になんとなく出した事だとしたら、少し悪質に思いますな。
視聴者に対して、想像する為の答えを持って来てないのですから、良心的ではないね。

25話の担当脚本は、千葉克彦さんでしたっけ。打ち合わせでは
どんな話があったのでしょうね。可能なら、お聞きしてみたいものです。
(あのシーン「セリフ」が、シリーズ構成によって直されて出来た物なら担当脚本家に
責任はないですね。それから、演出か監督が作った物だとしたら、この場合も
担当脚本家の千葉さんには責任ないと思います。)


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