実はこの文章のタイトルは2ヶ月前に書きかけて、一度挫折しました。
この文章を今書いても・・・というのは心の中にはあるんですけれどね。
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2001/11/13深夜

「あなた、北部同盟がカブールを包囲したそうよ。」
(それ、ニュースでは侵攻とか表現している?)
んで、タリバン軍や首脳陣は?
「カブールから撤退したそうよ。」
ふむ、やけにあっさりしているな。
「これで戦いが終わるのかなぁ?」
それはわからないな。
 

家内は俺の呟きが聞こえなかったのだろう。
俺の言葉には「なぜ?」という返事は無かった。

タリバンの指導者、ムハマド・オマル(オマールとどっちが正しいのだろう)と
アルカイダの指導者、オサマ・ビンラディンは健在と聞く。
そして、両組織の中枢、つまり最初からタリバンやアルカイダに参加していた人間も
ほとんどは健在だと考えられる。
首都を死守する所が無かったところを見ると、一部報道で報じられている
ゲリラ戦展開を行おうと考えている可能性は高い。

さらに問題は山積みだ。
北部同盟といわれている集団は、きわめて(特にカブールに住んでいて大多数を占めるパシュトゥン人に)
評判が悪い。この辺りがあまり日本では報道されていないのが不思議なくらいだ。
タリバンのの成立由来は、非常にドラマティックなので、鵜呑みにするのは危険ではある。
でも伝説であったとしても、その由来は傾聴に値する。
タリバンは暴徒化したムジャビディン(北部同盟)のパシュトゥン人に対する非道な行為に対して、
武力を以って立ち上がったイスラム神学生達であった。

なんの事はない、
欧米はタリバンの残虐行為を盛んに宣伝していたが、
欧米が消極的に指示していた北部同盟は、
過去に残虐行為を働き、それがタリバンを生んだ遠因だったのだ。

しかし、ムジャビディン(ソ連のアフガン侵攻時のゲリラ達)の由来と、
タリバンの由来はそんなドラマティックな物では無い。
政治的な動きの裏では必ずといっても権益が存在する。

そして、アフガニスタンという国(国連ではタリバン政権は承認されていない)
の歴史を端的に書くのは難しい。
#田中宇著「タリバン」(光文社)は非常に良くまとまっているが、
#それでもこのページに書けるほど短くは無い。
 
 

1979年
アフガニスタンにソ連軍が侵攻した。
社会主義化(親ソ連)を目指していた政権がクーデターで倒され、その後の政権についた人物が
アメリカ(資本主義)、イラン(イスラム革命政権)に歩み寄り、脱ソ連を目指したからだ。
この反ソ連の政権がいきなりクーデターを起こして政権交代したわけではない。
アフガニスタンの政権の交代はクーデターでしか行われていないのではないか、と思われるくらい、
沢山クーデターが起きている。

それに対して、イスラム勢力が「ジハード」を宣言する。
彼らは以前から存在していたのだが、アフガニスタンが親ソ連政権だった頃、
パキスタンの政権を転覆させて、社会主義国家にしようと画策してた。
対してパキスタンはアフガニスタンのイスラム勢力を支援し、
アフガニスタンの親ソ連政権を転覆させようともくろんでいた。
そして「ジハード」宣言。
彼らはパキスタン(そして社会主義勢力の拡大を阻むアメリカ)の支援を受け、
ソ連軍に武力で対抗する事となる。
 

ムジャビディンの登場である。
 

ムジャビディンは山岳地帯では、ソ連軍に互する戦いをしていたが、
装備の不利は否めない。
それをひっくり返したのは携帯対空ミサイル「スティンガー」である。
スティンガーはアメリカがパキスタンを経由して、アフガンゲリラにもたらされていた。
少なくとも、タリバン・北部同盟がスティンガーを有している、というのを聞いた時点で
「以前は、アメリカはタリバン・北部同盟に対して何らかの支援をしていた。」と考えるべきである。
アメリカはスティンガーの存在をかなり気にしていた。
無論、スティンガーが無視できない武器であることもさる事ながら、
スティンガーの存在は、アメリカがアフガンに干渉していた物的証拠だからでもある。

1989年
ソ連軍が撤退する。
アフガニスタンの人達はもとより、世界の人たちも
アフガニスタンに平和が来ると考えてたろう。

しかし、事態は変わらなかった。
戦いの内容を考えるとさらに悪化したと考えても良い。
ムジャビディン同士の対立、そして抗争である。

ムジャビディンは元々7つの派閥に分かれていた。
これはそのまま7部族あったと考えても差し支えないが、
これには理由があって、パキスタンからの武器の供給ルートを7つする為に、
7人(7集団)のリーダーに限定したのである。
所が7派閥は仲が良いどころか元々対立していた、と考えて良い。
丁度戦国大名を考えてもらえば良い。

また、武器の供給を7派閥にしたのは、対立部族だから、という事よりも
パキスタン側の策略でもあった。
つまり、1つの派閥が強力になったら、(元々外部の干渉を嫌う民族集団なので)
パキスタンの言う事を聞かなくなる可能性がある。
言う事を聞かなくなって社会主義政権を樹立したら、もともこもない。
イスラム原理主義国家なんてもってのほかだ。

この辺りにパキスタン(アメリカ)の思惑が絡んでいる。
彼等はソ連の南下、社会主義の拡大を嫌ってアフガンゲリラを支援したが、
それはアフガンの平和を念頭にしたものでは無い。
ましてや、独立して、独自の社会主義国家を作ったり、
イスラム原理主義国家を作ったりするなんて、許すはずも無かった。
だから、7派閥に分けて、それらが違いに牽制する状況を作ったのだ。
個人的には「アフガンの人権」をアメリカが云々する時点でちゃんちゃらおかPのだ。
 

ムジャビディン達は派閥で対立し、戦った。
カブールはソ連のアフガン侵攻中よりも、ムジャビディン同士の抗争の時のほうが
町が破壊されたと言う。
ムジャビディン達は互いに憎み合い、戦い、殺し合った。
機雷がばらまかれ、戦いに関係の無い人たちが手足を、命を失った。
彼等は機雷や武器をどうやって入手したのだろうか?
その資金はどこで入手したのだろうか?
ムジャビディンはアフガンに住む人からは「ムジャビディン」とは呼んでもらえなくなった。
略奪をし、女子供を姦淫し、拷問をし、そして意にそぐわない人を殺した。
他部族へのそれは、僕は自力で文章にする勇気を持てない。

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*  「カブール・ノート」という今はないサイトからの引用              *
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ガズニ県から逃げてきたあるアフガン女性の話

「顔を隠した12人の男達が家に来ました。
みんなカラシニコフを持っていました。
彼らは私達の娘を出せと言いました。
私達は拒みました。
でも、彼らは娘と直接話をさせろと言って、ききませんでした。
それで私達は娘を隠していたところから連れてきました。
娘はあなた達について行くのは嫌だと言いました。
そうすると12人の男のうち1人がカラシニコフを娘に突きつけ、撃ちました。
娘は死にました。
彼女はほんの12歳でした。
もうすぐ上の学校へあがるところでした。
私達はその日、娘を埋葬しました。」
(1993年頃)
 

パルワン県から逃げてきたあるアフガン女性の話

「私は二人の赤ん坊の母でした。
夫は死に、私以外に誰も赤ん坊の面倒を見る者はいませんでした。
まだ二人の赤ん坊が寝ている、ある寒い日の早朝、
いつものように私は家に鍵をかけ、朝食のパンを買う長い列に並ぶために出かけました。
突然、軍用ジープが止まり、二人の男が私を中に引きずりこみました。
私は狂った女のように叫びましたが、まだ辺りは暗く誰もいませんでした。
私はその後気絶したと思います。
目を覚ますと、銃を持ったたくさんの男に囲まれていました。
私は汚いマットレスの上に寝かされていました。
男達は次から次に私を強姦しました。
私はずっと私の二人の赤ん坊のことを考え続けていました。
何日間そこに閉じ込めらていたのか分かりません。
何日も何日も同じことが続きました。
でも私の頭の中は二人の赤ん坊のことを考えることだけで忙しかったのです。
何日そこにいたか思い出せません。
ある晩、彼らが私を通りに捨てた時、私は立つことができませんでした。
私はゆっくりと這って家の方に向かいました。
二人の赤ん坊は死んで凍っていました。
飢えて死んだのか、寒さで死んだのか私には分かりません。」
(1993年頃)

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強調しておくが、これらはタリバン以前の7派閥(北部同盟)の
頃の話である。
そして個人的には、タリバン政権で「人権」を云々しているのに、
この頃には「人権」に対する活動は大きくなかった事に疑問を持つ。
無論、大きく報道されていなかった事もある。
それでも(日本人を含め)「野蛮人が野蛮人を殺している」
くらいにしか思わなかったのだろうか。
 

アフガン人の難民キャンプにはイスラムの宗教学校(ムスリム)があった。
難民キャンプで生まれ育った若者達は、イスラムをここで学び、
アフガンの状況を憂え、そして「イスラムを厳格に実践する」を考えた。
彼等がタリバンの由来である。

「イスラム原理主義」は決して過激派の事ではない。
その言葉の意味は「イスラムのコーランを忠実に実践する事により生活・統治する考え方」
である。
この思想自体は微塵のいかがわしさも存在しない。
ただし、いわゆる自由主義経済や社会主義に真っ向から対立する考え方になるので、
嫌がられる存在になっているのである。
無論イスラム原理主義でも穏健派と過激派は存在する。
アルカイダはイスラム原理主義の中でも過激派に属する。
そしてタリバンの中でも穏健派と過激派は存在する。

一番問題になる「人権」なのだが、これは生きている世界が違うので、
侵害しているかどうかはなんとも言えないのだ。

人権侵害については女性に対する扱いに関するものが圧倒的に多いが、
この中で「アフガンの女性は表に出る事を許されず、職業に就く事を許されず。
常にブルカ(アフガンの民族衣装)で身を隠す事を強いられている。」がある。
コーランではこんな一説がある。(あくまで意訳である)
「貴方が婚姻をする時に、婚姻したいと思う人が何人もいるのならば、
一番愛情を注げる人と婚姻しなさい。もしもその人たちがとても大事で選ぶ事が出来ないのならば。
その女性すべてと婚姻しなさい。その代わりに、その女性達を公平に扱いなさい。
それが守れないのならば、女奴隷を買いなさい。」
つまりがこれが一夫多妻制の根拠なのだが・・・これが野蛮であるかどうかは考え込んでしまう。

また、イスラムでは「女性は神聖な存在」として、定義されている。
それを厳格に守ろうとするイスラム原理主義が女性の人権を蹂躙しているのかどうか、
僕には判定しがたい。
 

さて、タリバンの登場にはたくさんの伝説がある。
しかし、はっきりと武力に訴えるようになったのは1994年のクエッタでの戦いである。
この時に、地元の司令官を破り、司令官に囚われていた女性達を開放し、カンダハルに凱旋した。
元ムジャビディンに抑圧されていた、住民は歓喜の声をあげたと言う。
そして、アフガン人の圧倒的な指示を受けたタリバンは、2年後にはカブールを陥落させる事になる。

彼等タリバンは自分達の力だけでここまでやれたのだろうか?
実はここにもパキスタンの影がある。
そしてその影にはやはりアメリカがある。
当時、ソ連は、政情不安に陥っていた。
(これの遠因はアフガン侵攻の失敗である)
それとは逆に、新たな市場として、注目されていたのはウズベキスタン、トルクメニスタン等
ソ連配下の中央アジアである。

中央アジアでは膨大な石油が埋蔵されていたのは、以前から知られていた。
普通に考えればソ連が油田を開発する話しなのだが、なかなか油田の開発を行わない。
これは「石油を多く出すと価格が下がる」という市場論理も働いていたかもしれないが、
そして、アフガン侵攻が失敗し、ソ連は政情不安に陥る。
自由主義側は中央アジアの石油がほしいがパイプラインをソ連領に通したくない。
イランはイスラム革命下なので、通す事が不可能である。
そうなると後のルートはアフガニスタン−パキスタンのルートしか無い。
だからこそ、アフガニスタンの政情を堰堤させる必要があったのだ。

これがパキスタン(アメリカ)がタリバンを支援した遠因である。
これはデマでもホラでもなくて、ちょっとした経済紙を調べればすぐ出てくる話しである。

政権を奪取したタリバンはイスラム原理主義での統治を開始する。
これについては当初はアメリカは非難していなかった。
中央アジアの市場を掌握するためには、輸送ルートが必要であり、
その為にもアフガニスタンの政情が安定する必要があったからだ。
市場経済の為に以前は好ましく思っていなかったイスラム原理主義でも政情が安定すれば良い。
考えがその様に変わったのかもしれない。
実際にアメリカは「女性の人権侵害」とか言い出したのは、かなり最近である。
これはオサマ・ビンラディンがクローズアップされた時期と重なる。
 
 

そして、2001年の戦いにつながっていく。

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実際にカブールの市民(特にパシュトゥン人)はカブールから避難している。
そりゃそうだ、殺されちゃたまんない。
えっ、髭を剃ったり、ブルカ脱いで喜んでいる人たちがいる?
いや、だから(苦笑)、「どっちが正しい」ではなくて「どっちも正しい」の(苦笑)
北部同盟はアフガニスタンでは北部に集中している民族からなる集団で、
タリバンはアフガニスタンでは南部に集中しているパシュトゥン人で構成されている。
だからカブールで住んでいるパシュトゥン人は「またエラい目に遭う」と言って逃げ出すし、
北部同盟と同じ民族は「やった〜、髭を切る事も出来るし、ブルカ着る必要も無い」って喜ぶの。
 

米国はこれからが大変になる。
本当は「オサマ・ビンラディンを捕まえる」という大義の為だけに動いていれば良い物を、
オサマ・ビンラディンをかくまうタリバンも攻撃対象だ!」なんて言うものだから、
否応無しにアフガニスタンの内政に干渉をせざるを得ない(まぁ、それまでも干渉してたけど)。
タリバンの対抗勢力の北部同盟に肩入れする形になっちゃったもんだから、
誰がどう見ても「米国は北部同盟を暗に支持」していると思う。

まま、確かに米国は北部同盟のカブール侵攻を否認していのたのだけれどもね。
北部同盟がカブールで狼藉を働いたら、どう言い訳するんだろう?

既にカブール近郊では非パシュトゥン人の略奪が始まっているらしいし。
それともアメリカは北部同盟をコントロールできると考えていたのだろうか?

具合の悪い事に、タリバンは無論の事、北部同盟も米国を実は信用していないし。
北部同盟は「タリバンは元々アメリカが作った組織」と考えている傾向がある。
しかし、元をただせば、自分達もアメリカの支援をうけていたのに、だ。
今の所、北部同盟に対して調停工作に入り、新政権樹立を目指すってなっているけれど、
誰を擁立するのか?。
やっぱりアフガニスタンの元国王?
世界で一番優れていると自認している民主主義国家が樹立する新政権が王政?
笑い話にも程がある。

もしも、北部同盟に対する調停工作がうまく行かなくて、
北部同盟がカブールで狼藉働いたらどうするの?
「人道の罪で北部同盟も爆撃」なのだろうか?

いったい、誰が、なんの為に戦っているの?

最初の報復攻撃の話ってどこに行ったの?
真実は米国にあるの?タリバンにあるの?
誰のせいで武装していない人たちは死んでいるの?

まさか、とは思うけれども、理由ってこれじゃないでしょうね?

イスラムとケシとパイプライン ――きたるべき戦争の背景――第1部
http://www.kyoto-seika.ac.jp/newdi/kankyo/maga/magazin108.htm
イスラムとケシとパイプライン ――きたるべき戦争の背景――第2部
http://www.kyoto-seika.ac.jp/newdi/kankyo/maga/magazin109.htm

んで、実はWTCの実行犯人は確定していないんだそうな(笑)

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一般には「タリバン=とんでもない奴等」という考えが横行しています。
タリバンがなぜ発生して、なぜこのような事になってしまったかを知る事が出来れば
そこまで短絡的な思考は起こらない筈なのですが・・・。
実はタリバンに関する書物は非常に少なく、偉そうにTVでコメンテーターとして
出演している人達でもその実状を知っている人は少ないと思われます。
時間と費用がありましたら、ぜひ書籍をお読み下さい。
出来れば9月11日のあの事件までに刊行されている書物が望ましいでしょう。
9月11日以後に刊行された物では、
「タリバン」田中宇 著 光文社刊
が読みやすく、かなり公平な記述をしていると思います。
もしもお金が無いのならば、これをお読み下さい。
(但し、いつまで保管するかはとても申し上げられません。)

TVや新聞だけでは、得られない情報があります。
それらは努力して取り込むしかありません。
しかし、その後でどの様に思うか、
それぞれに委ねられるのでは無いでしょうか。

人間は考える事によって人間足り得るのだと思うのです。
当事者ではないのに「報復するのは当たり前」では余りに語彙が貧困では無いのでしょうか?
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2001/11/16