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2006年10月18日
コンビニ強盗
日本では「臓器移植」がなかなか進まない。 「本人の同意なし」でもいいようにしよう、など法規的なものに目がいってしまいがちであるが、一番は国民のコンセンサスの問題。 目先のことを小手先で教育する仕組みはあるが、「人間何をすべきか」という「哲学」の教育については、一切なされていない。
じつは「死刑廃止」と根底ではつながっているが、これについて書くと長くなるので、とてもブログでは書けない。 どっちにしても、高校卒業試験(バカロレア)で「哲学」を課すフランスの例でも参考にしたら、と思う。
教育の現場を受けもつのは先生である。 その先生を養成するのが「教育学部」であるが、現実はゼロ免という情況にある。 しかし、前任の大学は伝統ある教育学部を「売り」にしている。 その教育学部の学生が「コンビニ強盗」をするご時勢である、が驚くには当たらない。
何故かというと、教授の世代でも「ノブレス・オブレージ」は死語になっていて、モラルハザードもはなはだしい。 まともになるには100年くらいはかかるだろう。 100年もかかるのは何故か、というとこれもまた長くなるので、別途書きたい。
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コメントがあります。
投稿者 tadashi : 2006年10月18日 03:05
コメント
ノブレス・オブリージュに関しては、地元の人のつきあいで話題になって、そのときに調べてみたことがあります。そして、子どもの頃からそういう概念はすでになかったように思いますし、こちらの団塊世代の教授にはそういった概念は皆無だと思いました。さらに、外国にはいい言葉があったんだなとも思いました。
そういえば、情報処理学会の支部長を30代とか40代教員がやらざるを得ないとはどういうことなんでしょうとか、週末毎に東京に教員旅費で出張してる単身赴任の教授がいるとか、裏方の仕事は秘書さんとか私とかがやってて教員評価ポイントは表舞台に出た教授がかっさらっていくんかよとか、という話もあるうちの大学はどうなんでしょうね。世の中そういうものかな。
投稿者 さかい : 2006年11月02日 12:11