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2006年11月10日

教育 vs 研究

大学の先生の任務には「研究」と「教育」の2面があるが、幸いにも「研究第一主義」を掲げる大学で育った。 「大学とは研究するところ」だったので、非常に居心地は良かった。 大学紛争も「真摯にものを考える」という主張が正論として通ったので、まさに「大学とはかくあるべき」という理想をめざすことができた。

そのあと赴任した大学も、「研究第一主義」でステータスアップをしよう、という総意があった。 当時の現状はひどかったが、若い教員(当時は教官)には夢があった。 当時も「教育は大切」と認識しつつも、「研究しない人の教育」には説得力がなかった。

「教育」で重要なのは「送り手」と「受け手」の関係である。 「受け手」が、「送り手」の真意を理解するなら、たどたどしい講義でも問題にならない。 つまり、「受け手のアクティブさ」に期待できる場合は、教育方法はまったく違ったものになる。 理想的な教育とは、「テキストは予習してきて疑問点を質問する」というスタイルだと思う。 むろん、このスタイルは「真剣勝負」なので、いい加減な「送り手」では勤まらない。 「研究しない人」は教育できないのである。

しかし、現実はまったく逆である。 だから、「教育力」を問題にせざるを得ない。 学部教育はどの大学でも似たようなもの、と現在勤務している大学で感じている。
パッシブな「受け手」でも、十分理解できるような教育をしないといけないのである。 

投稿者 tadashi : 2006年11月10日 07:01

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