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2006年11月01日

教育改革

日本は戦後アメリカナイズされたが、物事に長短があるように、戦後の「教育制度」にも長短がある。 少なくとも、戦後しばらくは「長所」のほうが評価された。 つまり、戦前はある程度の富裕層でなければ、大学進学は望めなかった。 大学も都市圏か中核都市にしかなかった。 家が貧しいのに大学へ行った人には、「才能を見抜いた篤志家のサポートを受けて」とか物語が伴った。

それが、戦後一変して、誰でも大学進学が可能になった。 何故なら、旧制大学(戦前までの大学)以外に国公立大学や私立大学が山ほど出来て、受け皿がそろったからである。 経済の成長も後押しした。 特に、企業の求める人材は「工学出身者」であり、工学部が花形の学部であった。

様子が変化してきたのは、経済の成長に鈍化の兆しが見えてきたころ。 70年代後半くらいからである。 工学部のトップが医学部に入れない、という現象も生じ始めた。 しかし、「企業の変革」は早いが、「大学の変革」は遅い。 現在では、企業が不要とする学科が沢山存在する。 これが、一番大きな問題である。

つまり、ヨーロッパのように、「大学は学問をするところ」に限定しておけば、企業の変化に左右される部分は少ない。 未だに「大学」と「工科大学」を分けているのがフランス。 前者がユニバーシティ(英語読み)であるが、後者はエコールである。 「工学」はユニバーシティに入れてもらえないのである。

「教育改革」の議論は「大学は何をするところか?」を議論しないと始まらない。 中教審のような、現状肯定論者の集まりでは解決しない。 しかし、日本は自らの革命を嫌う国であるから、仕方がない。 また、他国に征服されての「変化」しかない、ように思う。


投稿者 tadashi : 2006年11月01日 01:28

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