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2010年12月29日
1980年ごろ〜その1〜
去年も年末になると思い出話を書いたが、それは1950年代終わりごろ。 それよりは新しいが、1980年ごろなので30年まえの話。 若い人には通じないかも知れない。
1978年に新しい研究室(計算機工学)のヘッドになった。 とはいえ、助教授(阿江)、研究生1、学部生4、技官1(電子回路研兼務)に院生1の計8名のまさしくベンチャー企業。 ちょうど国司さんがインタフェースを立ち上げたのと同じタイミングだった。 この院生1がVuongさんである。
ミニコン(今じゃ死語)では遅れをとっていたが、「マイクロプロセッサでは1位を狙える」と思った。 「2位じゃダメなんですか?」と云った女性大臣がいるが、研究者に向かっては「アホな発言」でしかない。 とにかく限られた予算でつくったマイコンベースのマルチプロセッサが、AKOVSTである(pdf参照)。 このAKOVSTにはこじつけた変な英語表現があるが、じつは研究室発足時の全員、名前の頭文字を並べたのである。 A(Ae), K(Kamikawa,Kawaguchi), O(Osaki), V(Vuong), S(Shinkawa), T(Takahashi,Teruhira) でKとTは2名ダブっている。
1978年、「(国内では)4並列マルチのトップだった」と自負している。
これは、1985年に雑誌「インターフェース」で1年間マルチプロセッサの連載を書いたとき、AKOVSTを紹介したものである。 なんせ古い資料なので鮮明ではない(最初の2ページのみ)。
投稿者 tadashi : 2010年12月29日 05:09