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2011年10月26日
フィルムカメラの思い出
カメラのメカに興味はあるが、写真の腕があるわけではない。 カメラとの最初の係わりは、カミングアウト(2010.9.24 pdf)で書いたように、小3で保養所に居たとき。 暗室はあったので、自由時間に現像・焼付で遊ぶことができた。 持っていたカメラは子供用の玩具みたいものだったが、一応写真は撮れた。 簡単な構造で、すぐバラすこともできた。 シャッターはバネで動かす仕組みで定速、1/25だったように思う。 これ以降は、バラせるようなカメラにはお目にかかれなくなった。
二眼レフもそんなに長くは使わなかったように思うし、中学時代のカメラの記憶はない。 高校になってから、ミノルタA.2という真ん中のふくらんだカメラを使った。 入学後写真部へ入ったけれど、「写真の腕の向上」には興味がなかったので、すぐやめた。 適応しない大学に入って「すぐやめる」のと似ているかも知れない。 クラブ活動はやめてハムの免許をとり、須磨クラブ(アマチュア無線)へ行くようになった。
大学入学以降はカメラも持っていなかった。 理由は簡単で、カメラを持ってる人が必ず居るから、自分は持たなくてもよかった。 ひとに撮ってもらった写真をもらうだけになった。 その後、自分で買ったのは1974年フランス滞在に出かける直前、東京(神田)でコニカC35を買った。 レンズはF1.8で明るいので気に入っていた。 1.8なので「フラッシュなし」で、かなり暗くても撮ることができた。 これは10年くらいは使ったけれど、CDSがダメになった。 1990年ころ、名古屋の栄付近の中古カメラ店で、このコニカと同じタイプを見かけた。 レンズは2.8で明るくなかったが、8千円くらいだったので即購入した。 ただし、ほとんど使わなかった。
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大学の研究室では、キャノンAE-1を購入していた。 これは研究室で製作したコンピュータのディスプレイ画面の撮影用のもの。 学会発表用以外に、インターフェース誌の記事でも活躍した。 一眼レフの世界では、「絞り優先のニコン」と「速度優先のキャノン」が拮抗していた。 キャノンにした理由は、速度優先にして画面のフリッカーを無視できるようにしておくためだった。 こういう業務用以外の写真には興味がなかった。 だから、「個人的に写真を撮る」というのは、外国出張時以外では、ほとんどしていなかった。
投稿者 tadashi : 2011年10月26日 06:47