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2012年03月26日
論理的でない日常 〜爆問・太田のCMより〜
日本ハムのソーセージのCMで、爆笑問題の2人の掛け合いは、論理的に気になって仕方がない。
田中「一度食べれば必ずわかります」に対して
太田「食べなければ一生わからない」
この2人の話の論理としての要点は、つぎのようになる。
田中:食べるなら、わかる。
太田:食べなければ、わからない。
この2つは、一見「同じ」ように見えるが、「同じ」ではないのである。 田中の言うこと(命題)が正しい(真)とすると、「同じ内容」つまり「命題として真」になるのは、対偶となる「わからないのなら、食べないから」である。 太田の言ってることは裏命題で、真ではないのである。 どうしてかというと、「食べなくても、わかる」というケースがあるから。 メーカー名を聞いただけで、「わかる」というケースもよくある、というのに相当する。
離散数学の講義で論理の話をしていたとき、100人中3人ほどは理解してもらえなかった。 太田のような話が、世の中ではまかり通っているのは事実である。 それに、太田の話が「命題として正しいかどうか」を気にしても仕方がない。 太田に論理は不要なのだから。
〜定義を形式的に示す〜
命題 P -> Q に対して
逆命題 Q -> P
裏命題 ¬P -> ¬Q
対偶 ¬Q -> ¬P
命題が真であるとき、「対偶は真」となるが、逆命題と裏命題はともに偽である。
投稿者 tadashi : 2012年03月26日 07:32