発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊  

  北羽歴史研究会 会報  NO.175   2005.(H17)11月1日

 

11月、研究発表会を開催します、ご参加ください。

11月13日(日)・第45回研究発表会開催10:30〜15:30 

於・大館市中央公民館 多目的室

           記

 発表1 沼田村文書に表れた地頭と百姓 ………………  川尻 茂行 氏

    (土地と地頭の間柄 年貢の取扱い 田畑荒地の対処)

                              (昼食)

発表2 友子制度の歴史に見る互助救済の一事例 

       ――可児鐵次郎の寄付帳――      ……… 丸屋 悧 氏

 

  発表3 『十二所往昔記』について     …… ……  武田 政二郎 氏

 

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1.       10月古文書学習会終了

戊辰戦争の断面として、岸慶治戦死場面記録、大館城代本陣付に近い任務の平塚千
蔵の戦記を千葉講師の解読により勉強しました。平塚氏については、津軽藩への支
援要請、茂木・須田隊との軍議連絡や津軽隊の案内、赤舘口で負傷、歩行困難になっ
て馬にのっての肥州応援隊の宿割りとか、兵糧弾薬の荷駄手配、休戦後は鹿角まで
の進駐の任にもついた。9月20日雪澤薬師森戦で死者を出した誼兵隊
(農兵)の到
着記録
(9月4日)と須田隊への配置案内も新発見の内容であった。(そのほか10月
23日付北鹿新聞に関係記事

なお岸氏系図(三系統)をテキストに貼付参考としました。岸氏は旧大館市で17軒、
比内町笹舘で20軒ありますが、当該岸氏との関係有無は不詳です。また岸慶治名称
について『秋田戊辰戦記』などで岸敬治(森宗)となっており、今回テキスト
「岸慶治(平吉孝)」と違います。相違の事情は不明です。機会を得て判明のむきは
教示ください。

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■催事情報 11月6日、午後1時、狩野亨吉生誕140年記念公開フオーラム 

  狩野亨吉を語る 主催・大館市の先人を顕彰する会 於大館市中央公民館

   報告者 狩野亨吉の歴程---丸屋悧、狩野氏の学統と恩師塩谷宕陰---日景健 

     狩野亨吉の凄さ---伊多波英夫、狩野氏の出自---鷲谷豊

     大館市立図書館で狩野氏を読む---斉藤貢一、父良知のこと---桑名秀明。

   *北羽歴研会員各位もご参加多数で御引立て下さる様お願いします。

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■ 9月実地研修「真田幸村の娘」墓についての余聞

 この9月に由利亀田藩岩城町の史跡ということで、真田幸村の娘(おでんの方)
の墓のある日蓮宗妙慶寺の境内を見学したのですが、小さな墓一基の記憶に反し、
かなり立派に整備されて居るのには感心しました。新しい墓標墓檀供養塔に、そ
れに肖像画も彫りこんだ幅広い石碑もあるのです。真田の家紋も彫り込まれ、真
田子孫名とその奉呈文などを拝見して、現在に続く後裔の方々の熱意の事など意
外な勉強になりました。幸村の娘お田の方こと顕性院の墓のみならず、その母隆
清院の墓、お田の娘寂寥院の墓、母方三好家後継者涼風院墓(五輪塔)も一緒に
並んでおりました。

よろいや短刀、衣類などお田の方ゆかりの品々は境内「宝物殿」収納されている
由。同寺には弟にあたる幸村三男幸信の位牌と太刀もあり、幸信は姉を頼ってこ
の地に来たものとも言われている。隆清院は関白豊臣秀次の娘である。それが真
田幸村の側室として娘を産む。秀次が秀吉に誅されるによって変転した運命は母
娘に及んだが、お田の方は亀田藩初代岩城宣隆の縁を得て二代藩主重隆を生み安
寧の日をおくる事ができたといえる。真田幸村は勿論、豊臣秀次も歴史上の人物
であり、女系ながら縁故ゆかりの地・岩城―亀田―妙慶寺はもっと喧伝されても
良いように思うのですが如何でしょうか。

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とうほく街道会議11月5日於秋田市秋田温泉さとみ、問―018-832-5680鐙啓記

■発掘調査報告会11月3日、午前・森吉町地蔵岱遺跡、午後・大館市釈迦内中台遺跡 

■矢立峠歴史の道  矢立杉説明板の対処は全然できていないのですが10月28
日歴史の道周回コースを点検に行く。駐車場に守る会の旗を立ておく。ほおの
木の大葉の落葉を踏み進む。峠の案内標の足腐れ1ケ所補強。森林管理署の間
伐下刈で視界が良くなって幸い。明治新道イセバチ沢で真っ赤な葉の木が一本。
青森側に下がって第一カーブのぬかるみをなんとかしたいと一時間、樹木を切っ
て束ねて足板をつくる。最近かなりの人数で歩いたらしい痕跡、こねくられて
ぬかるみがひどいところも出てくるわけです。青森側明治新道は道脇の滲水で
ぬかるむ。あと来春にまた排水路掘りとしよう。湯ノ沢口から古街道登り口、
見返り坂から見やると彼方の山は錦を織り成す。矢立杉から道の駅下り口は判
りにくく津軽側へ行ってしまったという人がいたが、標識追加が必要らしい。
歴史の道の維持整備はいつはてるともない仕事です。 Y.W

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