発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊  

  北羽歴史研究会 会報  NO.182   2006(H18)年7月1日

 

7月13日、古文書学習会を開催します、ご参加ください。

下記により今年度第2回古文書学習会を開催します。

         記

日時・・7月13日(木)13:1015:0   場所・・大館市中央公民館

                       講師・・千葉克一氏      

テキスト1、佐川氏について

     @「家傳承傳之覚」佐川久兵衛 A「系図」佐川与兵衛

テキスト2、西嶋氏について

     「聞傳申口上之覚」「系図」・西嶋庄左衛門

                                                                   以上

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■ 46回研究発表会を終える・6月18日 (大館新報6月21日付紹介あり)

1、古文書解読「石井蔵人・承伝之覚」…武田政二郎氏。 元禄十年七月十日覚書、

石井蔵人は十二所茂木弥三郎(三代知暢)組下給人。慶長七年の国替えで秋田入りし、

十二所配置や知行拝領の経過、経歴としては「於常陸保内の内、前田と申す所に私

先祖代々差し置かれ御足軽三拾人支配仕り候由」などの内容を紹介、難解字句には

苦心ありでした。またいくつかの宿題がでた感じでした。発表テキストはB4版3P、

解説B4版3P。

2、「利他に生きた人・可児義雄の歴程」…丸屋悧氏。

はじめに@平成17年10月岐阜県郡上市に可児義雄の顕彰碑が建立された紹介か

ら論稿は始る。A新聞各紙の報道から、B活躍の主舞台秋田では、C可児義雄のふる里

     郡上八幡、D可児義雄の生涯、E秋田県における可児の足跡、F可児義雄の人間像、

Gあとがき、「自分を犠牲にして、他人に利益を与えたり他人の幸福を願うことを利他

という。利己の対義である。可児こそ真に利他実現に茨の道を切り開き進んだ希有の人

であった。“農民のために戦い利他に生き、倒れし人ぞ永久に忘れず”」。…

と発表を締め括っています。発表資料はB5版12P綴込み。      

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■参考 保内地名について

 常陸佐竹氏の領内で保内(ホナイ)というのは、現在の茨城県大子(ダイゴ)町の地域に該当

します。大子町はもと陸奥国白河郡に属し、「倭名類聚鈔」の白河郡17郷の内、八溝山東南の

地で、10世紀前半には既に「依上郷」として成立していました。その後「依上保(ヨリカミノホ)」

と呼ばれました。この地方は、下総の結城朝光の孫祐広が、白河に居住以来、いわゆる白河結城

氏の影響をうけ、在地領主の勢力拡張の場であった。さらに永正年間に至り、依上保は佐竹義舜

の支配下に置かれ、文禄太閤検地によって佐竹義宣が領有する常陸国に属した。今この地を「

保内郷(ホナイゴウ)」と呼んでいるのは、即ち「依上保」から来た名称であるといわれています。

 明治の市町村制実施によって誕生した村々の「保内郷」は大子町・依上村・黒沢村・宮川村・

袋田村その他など一町九ケ村。昭和の合併では一町八ケ村(一部で分離あり)で現大子町となった。

保内藩   保内郷は佐竹氏国替後は、水戸徳川家の支配下になり、一時期において支藩

「保内藩」が成立した。水戸藩主徳川頼房の五男・松平頼隆は、寛文元年(1661).兄で第二代

藩主の徳川光圀から保内郷2万石の領地を分与され、保内藩が成立した。しかし39年後の元禄

13年、幕府により領地を常陸国新治郡・茨城郡・行方郡や陸奥国岩瀬郡などに移されたため、

保内藩は廃藩となり、頼隆は常陸府中に移封されることになった。このとき頼隆には新たに2万

石の所領があたえられた事になり、保内郷2万石は水戸本家に返還され、保内藩の名前は消えた。

保内の地名は、愛媛県八幡浜市保内町・富山県八尾町保内・新潟県三条市保内…など各地にあります。

 以上ご参考。WA

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予報 ・次の通例学習会は8月13日予定、テーマは秋田安東氏関係の見込みです。

 9月は14日実地研修会秋田方面予定、要望をお聞かせください。

暑い夏が迫ってきました。例年夏ばてにかかり参っています。今年はいかに?

皆さんもご注意、ご健勝の程を祈る。   wa

 

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