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発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊
北羽歴史研究会 会報 NO.204 2008(H20)年10月1日
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10月、古文書学習会を開催します。
10月21日(火)、古文書学習会開催、 13:15〜15:30
於・大舘市中央公民館
記
主題内容・古内氏文書、武茂氏文書について、他。
講師・千葉克一氏
テキストは以下、
1「覚」古内今右衛門 2「覚」古内織部 3系図「源姓古内氏」古内義陳
1 武茂家伝文書、佐竹氏発出等五点 2 系図「藤姓武茂氏」武茂右馬充 その他、
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■ 11月研究発表会予定は11月20日午後となります。会場借用都合による。
□催事情報
■ 秋田歴研協第14回大会…10月19日(日)於秋田市大町・ねぶり流し館
(総会10:40-11:50・歴史フオーラム12:50-16:30)
歴史フオーラム・テーマ… 戊辰戦争140年そして明治維新140年の歴史的評価
を視座に。… 秋田の戊辰戦争の研究課題 ・コーデイネータ−・半田和彦氏
パネリストと各テーマ、吉田昭二氏「戊辰戦争下の農民」・鷲谷豊「維新の変革と
秋田」・畑中康博氏「戊辰戦争時における秋田藩論の動揺」・神宮滋氏「今ひとつの
東北戊辰戦争」、以上4名の発表、および会場意見交換。
*歴史フオーラムには歴研会員以外も参加できます。ご参加下さい。資料代500円。
■ 秋田県公文書舘 古文書解読コース 10月7日(火)13:30〜15:30「平元
貞治と佐藤時之助〜その時局認識をめぐって」講師加藤民夫、11月11日(火)13:30
〜15:30「伊頭園茶話が綴る近世秋田の暮らし」講師渡部紘一。アーカイブズコース
11月7日(金)13:30〜15:30「公文書から見る秋田のちょっといい話」講師戸島明。
■大仙市郷土文化再発見講演会…10月11日(土)於大曲中央公民館ホール、 基調講演新
野直吉、発表菊池利雄黒澤三郎佐々木義実ほか。国際アジア民俗学会シンポジュウム10/10-10/12
■ 岩手県立博物館 企画展 「日本山図会」と川村寿庵 10/10〜 11/24 南部出身江
戸の医師川村寿庵は安藤昌益に弟子入りの人物。展示に併せて講演が10〜11月6回開催。
11/16「安藤昌益の医学と川村寿庵真斎親子」講師石渡博明等。寿庵展講座の機会に盛岡市
民ホールで安藤昌益関係の交流会が10月25日に開催される。大館からも参加予定。wa
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■ 比内浅利氏の事 去る7月の嘉成氏学習会では『上小阿仁村史』抜粋をテキストに
しました。そのなかで比内浅利氏の関わる記述の中で4点ほど誤りを指摘したのですが、
この件で上小阿仁村の方から、問い合わせがありました。念のため新ためて再記します。
@ 永禄五年、安東愛李が浅利範祐を扇田城に攻める。…これは「長崎旧記」にあ
る記述ですが、範祐(則祐)を則頼と誤記。テキスト2p・三2、原本106p14行目。
A 天正16年南部氏が大館城を攻落す。大館に客分で在処の大光寺光愛の手引
と二人城代のうち五十目兵庫が南部方へ内応、和田内膳城代一族敗死という。…
よって「比内の将北弾正が」は誤り。年代は両説。テキスト4p・四−4、原本110P14行目
秋田安東氏の湊檜山内紛に乗じ三戸南部氏が大館占領、安東が奪回は天正18年。
BC 安東氏は大館城回復後、津軽に亡命中の浅利頼平を7,300石余で大館へ還住
させる。しかし浅利頼平は還住三年目にして安東領支配からの独立を策し始め、
5年後の文禄4年には津軽の支援工作を得て秋田安東方との戦闘にいたる。問題
は中央の扱いとなる。浅利頼平の死亡断絶はさらに3年後の慶長3年正月のことで
ある。
…よって「村史」の安東氏湊合戦以後すぐに浅利氏攻撃をしたように受けとられ
る記述は、大きな誤解を与えるので、削除するか書換えを要する。削除が無難。
また浅利「与一」の名前の使い方は理に合わず。浅利「頼平」と記述すべきでしょ
う。 テキスト3P四2、4p四-5 、原本109p15行目と111p5-6行目 … 以上。
□注:通例学習会では、秋田軍記をよむ・××紀行を読む・宮城県史…読む、など原本そ
のまま抜粋のテキストです。記述によっては疑問点を指摘することもありますが、時間な
く説明ぬきの事もありますので、テキストの記述をそのまま鵜呑みにしない事が必要です。
■ 『世良修蔵』の執筆を終えて 柳井市立図書館長 谷林 博
山口県における明治維新の志士として二つの系統があった。長門萩の吉田松陰と周防遠
崎村の僧月性の門流である。…世良は月性門で重きをなしていたが、戊辰戦争のとき東北
で暗殺された、というだけで、その業績は県内でもあまり知られていない。それどころか
小説、演劇などでは悪役にされている。実直で学者タイプの彼は、東北においてはひどく
ゆがめられた人物になっているのである。世良としては戊辰戦争が出番であっただけに、
東北には史料が多いが、その前半については此れまでほとんど不明であった。 私が本書
の執筆に五年の年月を要したのも、史料の採訪に手間どったからであった。私は昭和47年
に世良の遺跡を求めて仙台、福島、白石などを訪問した。…東北は桜の満開の季節であっ
た。はるばると白石市の陣場山にある世良の墓地を訪ねた。桜の花の下にあった世良主従
の墓の文字は処々削り取られており、私は一世紀を経てその憎しみの深さを知った。つい
で白石城主の末裔片倉信光氏を訪問した。氏は官賊の名のもとに別れて戦い、その中心人
物として、個人的に世良は気の毒な人であると言われた。これは予期せぬ言葉であって深
い感銘をおぼえた。私はつとめて第三者の冷静な目をもって世良を描きだそうとしたが、
果たしてそうは行かなかった、これもやはり同郷意識がもたらしたものであろう。 それ
はともかくとして、山口県民の世良知らず、東北人の世良識らずには、幾分か応えたつも
りでいる。(本書「あとがき」より抜粋) 新人物往来社刊絶版・復刻版マツノ書店(山口)。 wa
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