発責 大館市東台6-5-83  鷲谷豊

   北羽歴史研究会 会報 NO.215 2009(H21)年10月1日

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 10月、古文書学習会を開催します。  

100日()古文書学習会開催13:1015:30 於大舘市中央公民館

                  

テキスト

1、佐竹文書『御所預并組下関係控』より「大館御城大破につき云々」

 

2、享保十四年の大館屋鋪調べ検地記録を読む(佐々木兵一文書)

                            講師・千葉 克一 

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  月 通 例 学 習 会 18日       

『秋田藩大館諸兵戊辰戦記録』冊子を各人配布。交戦の経過日別に頁を追って読み、

多面的理解に努めたところです。また各人からの話題点を取り上げての提起や説明

を頂いた。次に一部紹介、経過にそって文章を合せ、当該記述と冊子の頁番号を示す。

 1、庄内藩征討への出兵。「閏4月17本荘着陣、廿日汐越村へ進軍同所蚶満寺

にて宿陣…」9p 「同22日三崎小砂川辺大小砲声聞得候ニ付物見として同晩川袋

村梅津の陣所へ往き砲声に虚実、敵の形勢を聞取り近傍探索中、観音森より庄賊襲

来の松明見受け味方に報知…」68p。その他50p.66p.110p.122pなど。

2、十二所へ出兵。「八月八日南賊十二所へ襲撃の形勢につき組頭にて銃士一小隊

引合応援出張、同所長興寺へ在陣…」9p、「同九日朝南部賊虜浸入に付出張…三哲

山麓にて進撃発砲の相及び候処賊大勢乱入、且猿間村放火砲戦支え難く…」114p

「茂木筑後引揚にて…大滝村端にて筑後に追付宇土坂にて会軍軍議の上、八ツ頭の

処防戦宜しきと根本源三郎十二所壱組同処固山へ番兵可致令により番兵罷在候処、

夜五ツ時頃使武者大沢正参り令により引上げ川を渡り川端にて番兵…」122p

「十二所応援葛原村通片江路出兵…賊押来候模様も無之…」22p。以下略。」

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 八戸市に「安藤昌益資料館」がオープン

青森県八戸市に「安藤昌益資料館」が開設され、10月3日にはオープンセレモニ

ーが開催される。同資料館は、昨年10月に八戸歴研・NPO・市民などで発足し

た「安藤昌益資料館をつくる会」により、一年間の活動を経て開設の運びとなった。

同資料館は八戸市八日町八戸酒類八鶴工場の蔵を整備しての開館で、展示面積50

平方b。八戸市のほか盛岡東京大館市などの昌益関連資料が複製含めて広範に

集められ展示される。八戸市の中心街でもあり、多くの観覧者が期待される。w 

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■ 『秋田藩大館諸兵戊辰戦記録』から… ちょっと新しい話

1)開戦2日前に南部藩の間者を逮捕する。…「8月7日指引役小室惣左衛門殿信

内順之助殿より見分御用被仰付御小人蔵治と両人、南部御境迄探索に参り同日行き

がけに扇田村にて南部より参候間者召捕扇田村へ願置、探索に参り方々懸廻り独鈷

村迄参候処大館迄兵火に相成依て早馬にて扇田へ廻り間者の首打取直に大館へ帰

り御用場へ罷出小林主鈴殿に申上候処殿様へ言上致被下置候」佐藤小左衛門215p.

2)大館諸兵最初の戦死者・根本兵右衛門経正38歳、鬼ケ城山奪回戦

 8月「十一日戦士追々相加り三拾余人暁天より進撃宮袋川原へ出陣致候銃隊組に

て決戦に相及候処八ツ半頃より賊敗走鬼ケ城山手より逃去候故追詰同処にて各隊

番兵仕申候、但し此日私組の戦士根本兵右衛門討死仕申候」沼田助八35p

8/11鬼ケ城進撃、小茂内より農兵四五拾人引連進撃中討死」根本兵右衛門209p

「十一日暁天賊兵宮袋川原近く迫来打合い相始賊鬼ケ城に幕を張り勢を山上に纏ひ

尚烈しく打かけ候折柄私儀素り無銃に候へば銃隊に混交も無益と心得組頭へ熟談

槍隊に相加り候折柄凡そ四十人の農兵応じ来り候者励し小茂内村後山手より攻登

候私並び根本兵右衛門.杉山七郎右衛門.金光栄和.泉皆吉.沼田助左衛門.杉山勝蔵

同様詰登り申の刻頃賊浮足に相見え候機会乗り諸手一斉大喝或は疑兵を示し攻立て

候へば黄昏不残退散仕候即夜同処山上番兵仕候」沼田此松85p

3)大館落城、脱出経路は さまざま

狩野徳蔵「市中火勢盛んに乱丸雨の如く城中入候事不相成…田町後から沼館へ」41p

横山勇喜「火勢盛に相成入城難成長倉町廻り宗福寺裏より片山下田中二ツ山」150p

椿田市左衛門「引揚御城大手御門前迄参候処、殿様引揚と相見得候間片町参候頃は

後町近藤町へ兵火相見得、玉林寺後より出て川口迄参候処、殿様綴子村へ…」159p

山内福松東台柄澤近キ出張苦戦仕候中、左脚被打抜手負仕申上候処、引揚可申趣

被付、漸々歩行仕候て八幡堂より朋輩権蔵源治徳松三人の介抱にて片山野まで参候

処、親父追付親父の介抱にて参り、綴子村より尚又権蔵徳松三人の介抱を以て荷上

場村引揚申候」171p

)大館城奪還、一番のりは誰    @「六日早天賊悉く引去候趣注進有之私組

  壱番に大館へ入御足軽町端より人を走らせ御注進申上候」下遠健治45p 

A「六日暁六ツ時沼館村より進発大館田町川原へ繰出候得共壱人も不見得尤も砲声

無候故たやしく相達し候処、百姓倅の者馳来り賊等去晩無残新沢口に逃去り候趣注

進に付、直ちに三ノ丸へ回り西門より入り候得ハ諸隊追々に…」根本三郎衛門27P

 B「六日朝同処(片山村伊勢堂)より砲発致候得共、賊より応砲無此候故、田を越

え宗福寺後へ巡り伏兵も難斗諸方探索仕り、直に御城へ繰込み其より茂内村番兵披

仰付出張相勤申候」根本幾之助24p. // 註:当戊辰記録冊子申込は鷲谷又は事務局へ

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 秋田歴研協15回大会10月18日(日)於秋田市ねぶり流し館(総会10:00-12:00)

一般公開・歴史フオーラム 13:30〜16:30 近世秋田の海運史水運史を学ぶ。講師3名。

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