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発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊
北羽歴史研究会 会報 NO.230 2011(H23)年2月1日
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◆ 2月、学習会を開催します。
2月16日(水)学習会開催13:10〜15:30 於大舘市中央公民館
記
テーマ1、『二井田・八幡神社縁起』から
〜河田次郎か、田河次郎か〜 ……… 千葉克一
2 中世比内浅利氏の人名系譜をさぐる …… 鷲谷 豊
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北羽歴研・公開講演おわる (司会・千葉克一)
1月27日総会後、講師に永井高道先生(北秋田市)を迎え公開講演が行われま
した。「大館城代(所預)小場氏家中と鷹巣村について」の演題のもと四十余名多
数の熱心な参加を得て、興味深い歴史話題などを聴講できた次第です。お陰さまで講
師先生と参加各位有意義な講演会にして頂きました。厚くに御礼申し上げます。w
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第24回定例総会を終え新年度へ
1月27日、第24回定例総会は、司会丸屋副会長、議長高松氏により議事に
入り、会長挨拶に続き、金沢事務局長の事業予決算諸報告、小笠原氏監査報告な
どあり報告提案等含めて可決決定となりました。
◆ 総会議事での会長挨拶より
ご苦労さまです、暫くぶりのよい天候もですが、却って家の周りの除雪作業で大急がしであっ
たかとも思われます。本日はお急がしのところ有難う御座いました。感謝申しあげます
さて第24回総会をむかえる事となりました。北羽歴史研究会も発足以来23年よくぞここま
できたと思う次第でございます。会員各位のご参加があればこそであり、厚く御礼を申しあげ
る次第です。そしてまた新年度においても、大いに参加、発表など頂けることをご期待すると
ころでございます。 / この総会では、過年度の総括をいただき、新年度の計画などご決定
いただくわけでございますが。事務局長の報告提案に先立ちまして、私より一、ニのお話をさ
せて頂きます。 / まずは平成23年度事業計画についてで御座います。 事業計画の冒頭、
基本課題をかかげている。1項3項は前年度と同じですが、2項の実地研修会については、「佐
竹氏の史蹟探訪会、一般募集を含め実施する。」としております。 / 実地研修会の一泊旅行
は、近年は年長が多くなり極めて難しいことで、前々から会員の中からも希望提案がでており
ましたが、躊躇チュウチョいたしておりました。 / しかしながら考えてみるに現在、大館市と
常陸大宮市とは交流断絶の状態であり、このまま無関係、無関心で、通すとすれば、平成六年
訪問以来の因縁の当歴史研究会、私どもとしては、残念なことであります。/ 常陸大宮と大
館との小学校交流も・平成18年〜大館側が断絶通知して6年目となります。復活する気配は
なし、残念なことです。この辺での大館市や歴史研究、先祖に縁故ある方々関係もある方にも
足を運んで頂いてしかるべきかと、思い致した次第であります。参加の難しい会員の方々もお
られるのですが、一般募集など協力いただければ幸いです。/ 5月18、19日の予定、「常
陸国佐竹氏の史蹟探訪会」のタイトルで周知したい。 / 過去の廻りルートは、最初は太田大
宮から水戸城へ、その後ルートは栃木県茂木城ルートでしたが、今回は、佐竹藩の秋田転封へ
の街道、大子町・棚倉・赤館のルートを通り高速・経過と帰る計画としたいと思っております。
月居(つきおり氏縁故)(袋田の滝)も可能となります。 / 以上宜しくご検討願います。
/ その他の項、3)矢立峠歴史の道、羽州街道交流会開催協力について要請。〜略。 w
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■参考 東北諸藩 米沢.仙台藩の戊辰戦争 1
インターネットd4.dion.ne.jp抜粋
奥羽列藩同盟は、京都守護職で会津藩主の松平容保の処分問題と、江戸薩摩藩邸を焼き討ち
した庄内藩の追討令に端を発し、東北北陸の31藩が同盟を結んだものである。 / 慶応3年
4月下旬東北列藩同盟は公儀府と軍事局を設置した。東北地方に別の政体を確立したのである。
一国二政府の形態となった。諸外国は両政府に戦争には局外中立を宣言した。 当然統一国家
を創ろうとしていた西南雄藩との全面戦争は避けられなくなった。 だが、東北政府指導者層
に、1.戦争が銃弾大量使用の消耗戦の時代に入っていた。2.ロジステイクが万全か。3.
財政的裏づけがあるか。4.汽船の時代に入っていた。有効的活用が視野に入っていたであろ
うか。/ これらが認識されていたのであろうか?否、全くといってよいほど認識されていな
かったであろう。… … / 財政的裏づけについて 仙台藩御用達しの日野屋中井新三郎は
破産寸前に追い詰められ、戦い終わって藩の借金は200万両にたっしたとう。 米沢藩は、
越後下関渡辺家に戦費を調達させた。また、庄内藩も本間家に戦費を調達させている。 長期
戦になれば、まず東北、北越、奥羽諸藩が財政的に音をあげたであろう。 長岡藩戦費償還目
途がたたず廃藩置県をまたずに版籍奉還を行っている。/ 戦える実力も能力も財政力もなく
新政府(西軍)に戦いを挑んだ。敗戦は自明の理である。 戦いに先立つ閏4月20日、鎮撫
総督府世良参謀殺害の報が公儀府に伝わるや、愉快、愉快と並み居る老臣が喝采したと史書は
伝える。これから起こるであろう自藩の惨憺たる敗戦を想起していたであろうか。/ …
慶応4年9月4日東北北越諸藩が新政府軍(西軍)とまだ戦っている中で米沢藩は降伏。米沢
藩が土佐藩の申しいれを受け入れる経緯について、「木滑要人(きめなりかなめ)日記8月19
日、晴」「上方数十藩之大兵押下、奥羽軍気日ニ縮り、最早、今日に至り候テハ萬々可切開見
込も無之」、戦争をやってみて初めて気が付いたが、相手の装備に圧倒され手も足もでなかっ
た。ここまで負けてしまうと現状を打開する手段がない。米沢藩 戦って初めて彼我軍事力の
懸絶ありしを知る。愚かというべし。米沢藩は自ら決断の先にある惨禍を想像すべきであった。
… / 指揮官達は彼我戦力と補給に絶望的隔絶を知る。死が必然となる局所戦で肉薄攻撃が繰
り返されたなら、間違いなく厭戦気分が横溢する。藩首脳部は何を考えたであろうか。」続w
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