Prologue


 ベッドの下には、くしゃくしゃになったセーラー服が脱ぎ捨てられている。
 重い雨戸にも似たブラインドに閉ざされた部屋。窓の外から覗かれない代わりに、簡単には外の景色を見ることができない。
 少女はシーツを巻きつけたまま、軽いまどろみの中にいた。
 サイドテーブルに高額紙幣が三枚、無造作に置かれている。
 それが、今夜の少女の値段だ。
 世間的には援助交際とか呼ばれるシステムらしいが、少女は別に金に困っているわけではない。それは眠りにつくと年相応、いやそれ以下に見える未成年が、法律を破っての疑似恋愛を楽しむための手数料に過ぎない。
 少女の相手は、そんなことをしなくても寝る女には不足しないほどの顔はしていたし、教えられた年が嘘でなければ中年と呼ばれるにはもう少し時間はあった。
 テーブルの上の札を、自分を偽悪的に思いたがる青年の良心の咎めが出させた金なのか、それとも知らぬ間に金で買える売女に少女が成り下がっていたのか、考えても仕方がない。
 ともかく青年が金を出し、少女がそれを受け取ることによってのみ、二人はこうして恋の真似事をする。
 ――それが暗黙のルールだ。
 それでも、少女はこの金を受け取る時に、少しだけ悲しい気持ちになる。
 恋なんて金で買えるものじゃない。だけど、この金を受け取っているうちは、束の間とはいえ青年は少女の恋人だ。
 大人の振りをした少女は、青年がバスルームに消えた後もいつものようにクールに振る舞っていた。
 静けさを破るように、携帯電話の着信メロディが響く。
「薫、何てマニアックな着メロしてるのよ」
 北原莉奈のデビューシングルのカップリング曲、[ラブ・ア・ジャーニー]だ。今は亡き莉奈のプロデューサー神沢俊広は作詞とアレンジだけとあって、発売が待たれるデビューアルバムにはおそらく収録されないだろうという巷の噂がある曲である。
 世間に溢れている着メロ本にはデビュー曲は載っていても、この曲まではない。明日学校へ行ったら、『本人』に楽譜が発売されているかどうか聞いてみよう。
 少女は暢気にそんなことを思いながら、床の上に投げ出されたままの革ジャンのポケットから、銀色の携帯電話を取り出した。バルローブを羽織って、バスルームへと向かいかけ、何気なく着信番号に目を移し、驚きの余り歩みを止める。
 一瞬、自分の携帯と取り違えたのかと思った。でも、メーカーも、色も違う。第一[ラブ・ア・ジャーニー]なんて着メロを入れた記憶はない。見馴れぬ携帯電話は、見馴れた着信番号を液晶に描き出し、やがて留守番電話に聞き馴れた親友の録音し始めた。
『莉奈です。匠君、仕事はうまく行きましたか。私は無事夕張から戻ってきました。私の歌、聴かせたかったな。また電話します』
 少女はバスルームのドアが開き、青年がバスタオルを体に巻きつけて出てきたことにも気がつかずに立ちつくしていた。
「美夜? 人の電話を持って何しているんだ」
 無口な青年にこれだけの台詞を吐かせるほど、少女――佐橋美夜は茫然としていた。
 青年は美夜の手から電話を取り上げ、少女を抱きかかえるようにベッドに座らせた。
 美夜はようやく言葉を紡いだ。
「砂田薫って偽名? まあ、年端の行かない女の子と危ない遊びをしてるんだから、本名なんて名乗るはずないよね。タクミっていうのが本当の名前なの」
「電話に出たのか?」
「取らなくたって、ご丁寧に留守電に入れる声が聞こえてきたわ。……ねえ、まさか。莉奈にタクミって名乗って、悪さしてるわけじゃないわよね。あの子は私とは違うのよ。あんたみたいな悪党の手になんてかかっちゃいけないんだから」
「莉奈を知ってるのか?」
 青年――砂田薫の声も驚きの表情を帯びる。
「今時、北原莉奈を知らない人間なんて、そうはいないでしょう」
 美夜だって、薫がそんなことを訊きたいわけじゃないことくらいわかる。
「でもね、電話の話し声と着信番号だけで、北原莉奈本人だって判別できる人間は少ないわ」
 つまり、売り出し中のアイドル歌手をを誰かが騙っているわけではない、そこまで美夜は理解したのだ。それに気付いたのか、薫の表情が変わる。
「私は年を誤魔化してないわ。制服はさすがに学校とのは別だけど。北原莉奈は私の……親友よ」