長野県


写真1
写真:長野県松本市 松本城
現存する12天守のひとつ、松本城。

現存する天守は石川数正親子によって文録三年(1594年)に築かれたものです。

※松本城は国宝に指定されています。


松本城のページ


「牛に引かれて善光寺参り」で有名な善光寺。

現本堂(写真)は宝永四年(1707年)に完成したもので、国宝に指定されています。
写真2
写真:長野県長野市 善光寺


写真3
写真:長野県長野市松代町 海津城(松代城)
海津城は、1560年(永禄3年)に武田信玄が築城しました。

1561年(永禄四年)の川中島の合戦では、武田方はこの海津城から出陣しました。

江戸時代に入り、真田幸道により松代城に改名されました。


川中島と言えば「川中島の合戦」。

この地で、越後の「上杉謙信」と甲斐の「武田信玄」が十二年にわたって死闘を繰り広げました。



川中島の合戦のページ
写真4
写真:長野県長野市 川中島古戦場


写真5
写真:長野県上田市 上田城 西櫓(現存)
上田城は、真田幸村の父・昌幸が天正11年(1583年)に築城しました。

関ヶ原の合戦へ向かう徳川秀忠の大軍に攻め込まれた時もこれを撃退、逆に秀忠は関ヶ原の合戦に遅れるという失態をさらしました。

城内には、太郎山にある井戸と結ばれている(抜け穴)と伝えられる真田井戸があります。


松本城の天守閣から見た、旧開智学校。

明治9年(1876年)に竣工した擬洋風学校建築で、国の重要文化財に指定されています。
写真6
写真:長野県松本市 旧開智学校


写真7
写真:長野県小諸市 小諸城(懐古園)
小諸城(懐古園)は、島崎藤村が「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ...」と詠んだ古城です。

武田信玄が山本勘助と馬場信房に命じて築城させ、天正18年(1590年)に入城した仙石秀久によって、現在見ることができる近世の城郭へと改築されました。


御神渡り(御渡り)は湖面が結氷したのち、気温の寒暖差によって氷の収縮と膨張が繰り返され、氷が割れてせり上がってできたものです。

諏訪神社上社の男神が下社の女神のもとへお渡りになった跡といわれ、八剱神社によって吉凶を占う神事がおこなわれています。
写真8
写真:長野県 諏訪湖の御神渡り(御渡り)