川中島の合戦


写真1
写真:長野県長野市 川中島古戦場
越後の「上杉謙信」と甲斐の「武田信玄」は、
十二年の間に五回も死闘を繰り返しました。
これが世にいう「川中島の合戦」です。

第一回 1553年(天文二十二年)
第二回 1555年(弘治元年)
第三回 1557年(弘治三年)
第四回 1561年(永禄四年)
第五回 1564年(永禄七年)


越後の上杉謙信の居城は、春日山城です。

謙信は毘沙門天を信仰しており、春日山城には
毘沙門堂もありました。

軍旗は毘沙門天の「毘」です。

春日山城のページ
写真2
写真:新潟県上越市 春日山城


写真3
写真:山梨県甲府市 武田神社
(躑躅ヶ崎館)
甲斐の武田信玄の居城は、躑躅ヶ崎館です。

軍旗は「風林火山」。

 風:疾きこと風の如く
 林:徐かなること林の如く
 火:侵略すること火の如く
 山:動かざること山の如し


四回目の合戦では信玄の本陣へ馬に乗った
謙信が強襲、信玄めがけて斬りつけました。

信玄は軍配で受けましたが、二の太刀で腕を、
三の太刀で肩に傷を負いました。
写真4
写真:長野県長野市 川中島古戦場


写真5
写真:長野県長野市 川中島古戦場
後で信玄の軍配を調べたところ、刀の跡が七か
所もあったといわれ、一騎打ちの跡を世に三太
刀七太刀の跡(みたちななたちのあと)というそ
うです。


謙信が信玄に切りつけた時、武田方の原大隅
が主君の危機を救うべく応戦しましたが、謙信を
取り逃がしました。

無念の原大隅が近くにあった石を槍で突き通し
たと言われ、「執念の石」と呼ばれています。
写真6
写真:長野県長野市 川中島古戦場


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