そうまでして行くのか・・・、自分でも自分がわからないものがあります。眼科の学会で、1年毎に開催されるなかで、大きな学会は三つです。その中の一つである日本眼科学会が京都で、3月24日〜27日に開催されました。
学会は、ただ参加するだけだと楽なのですが、私は初日に発表がありました。準備に追われて結構大変なところに、直前にインフルエンザにもかかり、もうボロボロの状態でした。仕事の関係もあり、京都⇒広島⇒京都⇒広島と何をしているのかわけわからない状態でした。
しかし、26日土曜日の朝一番で、神戸に向かい会いに行って来ました。
割とすいてました。特別展の前にチケットにチェックが入りました。[00001 17 3・26]でした。ていうことは、今回も一番?、毎日の入場者を計算しているんだ。
他の作品には目もくれずに、『窓辺に手紙を読む女性』のところに行きました。前回と同様です。今回は、学会にも参加するため、他は一切観ませんでした。もう一回くらい訪問して他も観ないと申し訳ない気さえしました。美術館には40分もいなかったと思います。そのうち、35分近くは『窓辺に手紙を読む女性』の前にいました。
今回気になったのは、女性の結った女性の髪が、少し服にかかっていることでした。言葉で表すなら『可憐さ』でしょうか?色気ではないと思います。他に窓の大きさが微妙に違うのと、遠方がやや縦長な気がしました。イスの置かれた黒い塊のような布は、濃紺で影まで描かれていました。後に、『牛乳を注ぐ女』や『手紙を渡す女主人と召使い』の時のような、美しい色合いではありませんでしたが、存在するものを全て描こうと試みるフェルメールらしさを垣間見ました。
私には、この絵には描かれていませんが、窓は画家との間にもう一つあるように思えました。その理由は、カーテンの明るさに感じました。この絵で明るいところは、向かって右の奥の壁と女性のおでこを中心とする顔、そしてカーテンの中央部分です。奥の壁と女性の壁は、明けてある窓で納得できるのですが、カーテンが明るいのは、描いた画家との間に、もう一つ窓があり、そこから日が入るためと考えるのが良いかと思いました。
フェルメールの凄さの一つは、物に生命を与える画家ではないかと思います。この女性の手を切れば血がでる気がします。皿に盛られた果実には味が、デルフト焼きの大皿は、そうこの青色は間違いなくデルフトのものです、落とせば割れるはずです。服はレモンイエローが美しく・黒い部分も光の濃淡が描かれて素晴らしいです。豪華さはありませんが当時では、珍しいものかもしれません。画家による演出は、おさえられています。
私は、短い時間でしたが、至福の時間を過し、美術館を出ました。『ああ、本当に、この絵が今日本の神戸にいるんだ』と思うと、とても嬉しいです。また、行かないと・・・。きっと何回行っても家に帰ると、そう思うのでしょう。やっぱり、病気かもしれません(笑)。
(2005年3月29日作成)
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