街道の歴史が重なる赤湯周辺



赤い屋根白い建物が矢立温泉赤湯。

中央から手前が旧国道、舗装はここで切れて砂利道(現市道)、元奥羽本線鉄道架橋のトンネル。その前の台地、山裾が旧街道(明治新道)のルート跡。左中段を横切るのが現国道7号とその赤湯橋である。


手前が旧国道で、向こうが現国道7号と赤湯橋。

 


赤湯橋の下は繋沢で、古街道であった。この下の川の中を人々は通行した。

 


繋沢川の古街道跡から現国道の赤湯橋を見上げる。

赤湯沢と合流点の繋沢川

昔の旅人は、この川の流れを歩いた(左の建物は矢立温泉赤湯)


あ と が き

平成8年6月15日、第2回矢立峠を歩く会の面々
このときはまだ長靴はきの歩く会であった。

 

矢立峠歴史の道のページをごらん頂きありがとうございました。

秋田側の旧国道と連接する古街道約500m区間
旧街道(明治新道)300m区間は、大館市教育委員会の調査では従来、不明あるいは誤認となっていました。北羽歴史研究会会長鷲谷が古記録を基に発見確認したのは、平成6年4月でした。それ以来、雑木と熊笹におおわれた道を切り開いて、矢立峠の歴史の道を歩く会実施、新聞発表による啓蒙もしてまいりました。

平成9年9月、旧矢立村地元や有志によびかけ、矢立峠の歴史の道を守る会を結成し、大館市当局と大館営林署(現森林管理署)への整備のための陳情などを行い、平成10年に古街道、平成11年に旧街道(明治新道)の遊歩道化が森林管理署により実施されました。しかしまた旧街道青森県側は整備できず、整備後の区間も、自然の力は偉大で毎年の刈払い作業は欠かすことができません。

大館市に対しては、歴史の道の史跡指定を平成9年に要請書を提出していますが、その動きのないまま推移しております。

北羽歴史研究会は、矢立峠の歴史の道を守る会の活動を広め整備維持にあたり、また大館市の史跡指定のため意をつくしていきたいと思います。「歴史の道は文化財、みんなで歩き、守り伝えよう」がまた合言葉です。本ページをごらんいただいた方々の矢立峠歴史の道への探訪とご支援を心からご期待いたします。

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