雲仙天草国立公園
雲    仙
普賢岳の霧氷 02.01.28
<撮影:'01.01.28 普賢岳にて
 雲仙は長崎県南高来郡、島原半島の中央に聳える普賢岳、国見岳、妙見岳などのコニーデ型火山を中心とし、北に鳥甲山、吾妻岳、九千部岳、南に高岩山などからなる火山群の総称です。20数万年前の更新世(洪積世)中期に海底火山活動が始まり、何度も活動を繰り返してできた複式火山です。
 絹笠、九千部、雲仙の3火山群に分かれ、絹笠火山群が一番古く、雲仙火山群が最も新しい。最高峰は1,359mの普賢岳(平成新山は1,486m)です。
 雲仙火山地域の中央部には1日平均約400トンの温泉が湧き、この温泉は雲仙温泉として麓の小浜温泉、島原温泉とともに広く知られています。春のつつじ、秋の紅葉、冬の霧氷は雲仙を代表する美です。このように恵まれた自然環境のため、1934年(昭和9年)日本最初の国立公園の一つに指定され、これを機に名前もこれまでの温泉(うんぜん)山から雲仙に改められました。また1913年(大正2年)には日本最初のパブリックゴルフコースが設けらています。
 しかし1990(平成2)年11月17日、普賢岳山頂東側の九十九火口付近から噴火が始まり、翌1991年6月3日の大火砕流では43名の犠牲者を出しました。この噴火によりこれまで1359mだった普賢岳は高くなって1486mになりました。噴火でできた新しい頂は1996(平成8)年5月20日、平成新山と名付けられました。普賢岳山頂東側の平成新山付近は現在もなお立ち入り禁止となっています。
 仁田峠展望所、妙見岳ロープウエイ展望所からは有明海、天草、長崎方面の雄大な景色や平成新山の岩山が眺められます。また麓の島原市や南島原市深江町からは雲仙普賢岳(平成新山)の迫力ある姿を眺められます。
雲仙の植物と自然
 五つの国指定の天然記念物(池の原ミヤマキリシマ群落、原生沼沼野植物群落、地獄地帯シロドウダン群落、野岳イヌツゲ群落、普賢岳紅葉樹林)があります。
また、ウンゼンスミレ、ウンゼンマンネングサ、ウンゼントリカブト、ウンゼンカンアオイ、ウンゼンザサの五つの「ウンゼン」の名が付く植物があります。雲仙つつじは、雲仙に群生するミヤマキリシマの愛称です。植物学上のウンゼンツツジは雲仙には自生していません。
池の原ミヤマキリシマ群落:02.0506地獄地帯シロドウダン群落原生沼沼野植物群落
 (国指定天然記念物)
池の原ミヤマキリシマ群落
葉や花が小型のツツジ科の植物。 場所により、樹の形や花の大きさ、形、色彩に大な変化がみられ、赤紫や朱赤、淡紅などさまざまな色の花を咲かせます。 別名を雲仙つつじ。4月下旬から5月下旬に、雲仙温泉の地獄地帯から仁田峠にかけて鮮やかな紅紫色の花を咲かせます。 1928(昭和3)年に国の天然記念物に指定されました。(撮影:'02.05.06)
 (国指定天然記念物)
地獄地帯シロドウダン群落
ツツジ科の落葉低木。地獄付近の茂みに分布する高さ3〜5mの低木。5月ごろスズランの花に似たクリーム色のつぼ型の花をつけます。秋の紅葉も見事です。
 (国指定天然記念物)
原生沼沼野植物群落
雲仙温泉街から徒歩数分のところにある原生沼に群生する植物群。この沼は約6,500年前に始まり、500年前頃から温泉予土の流入やミズゴケが急速に堆積してできたものです。九州には珍しい高層湿原で、モウセンゴケ、ミズゴケ、スギゴケなどのコケ類、カキツバタ、レンゲツツジそのほかが自生しています。
国見岳から見た普賢岳妙見岳から普賢岳01.11.04もみじ谷の紅葉
 (国指定天然記念物)普賢岳紅葉樹林
 秋に気温が低くなると、落葉樹の葉柄の付け根に離層ができて物質の移動が困難になり、葉でできた糖類が蓄積されてアントシアンなどの色素が形成されるため、葉が紅葉します。
 普賢岳や妙見岳一帯は「普賢岳広葉樹林」として、国の天然記念物に指定されていて、約100の紅葉植物が10月中旬から紅葉を始め、11月初旬に見頃となります。その後、紅葉は徐々に下へ移っていきます。
 美しい紅葉が見られる条件は、昼夜の温度差が大きく葉が痛んでいないこと、紫外線を十分に受けることです。
 紅葉の色は紅、黄さまざまで、紅葉するのはコミネカエデ、ヤマボウシ、シロドウダン、アズキナシ、ナナカマドなどで、ミズキ、チドリノキ、カナクギノキ、ブナなどは黄葉します。同じ樹でも緑から黄、深紅と美しいグラディエーションが見られるものもあります。
  ↑国見岳から見た普賢岳  ↑国見岳  →あざみ谷
雲仙仁田峠の霧氷 雲仙の霧氷
 霧氷は、低気圧や寒冷前線が通過した後で冬型の天気となり、気温が0℃〜-10℃位になったときに見られます。山にかかった雲や霧が過冷却の状態になり、木の枝にぶつかって凍りつくもので、風上(主として北西)側に刃のように成長していきます。
 雲仙では1〜2月を中心に、11月下旬から3月中旬に見られますが、上記の気象条件が揃ったときにしか見られません。
撮影:'02. Jan. 08 仁田峠

雲仙地獄 雲仙地獄と温泉街
 雲仙火山地帯の中央部、標高700メートルの盆地にできた地獄で、40〜100度の泉源が40近くあり、1日に約400トンの熱温泉が湧出しています。泉質は酸性硫化水素泉などです。
 雲仙は、真言宗の僧「行基」が約1300年前、701年に温泉山大乗院満明寺を開いた時に始まるといわれ、そのためか地獄にも仏教説話に基づいたものも多くあります。雲仙の温泉の始まりは、1653(承応2)年に加藤善左衛門が古湯に湯壺を開き延暦湯と名付けたこととされています。主な地獄には大阿鼻叫、お糸、清七、八幡などがあります。また少し離れた所に小地獄があります。
雲仙地獄の殉教碑 キリシタン殉教碑
 1627(寛永4)年には島原藩主松倉重正がキリスト教信徒16人を捕らえて雲仙に送り棄教を迫る地獄責めが行われました。地獄責めとは地獄の上に信徒を吊し、地獄の熱湯を掛けるという方法でした。このリシタン弾圧は1633(寛永10)年まで続きましたが誰一人棄教した者はいなかったとのことです。その間にパウロ内掘作右衛門を始め33人のキリシタンが殉教しました。地獄の一隅にはキリシタン殉教碑があります。
湯の里湯の里・女湯
湯の里温泉
 協同組合湯の里経営の共同浴場です。1934(昭和9)年、これまで湯元ホテルに併設されていた共同浴場が廃止されたため、地元の人たちが、らっきょうの漬樽を2つに輪切りにして、男湯と女湯の浴槽とした共同浴場を作りました。湯船が新しい間はらっきょう臭かったため、だんきゅう(らっきょうの方言)風呂と呼ばれていました。1984(昭和54)年にホテルの廃材を利用して、現在の大理石の風呂に改築されました。
 古湯の泉源から引かれた湯が湯船に直接注がれていて、乳白色の湯は酸っぱく強い硫黄の臭いがします。県営バス雲仙ターミナルから歩いて3〜4分の所にあります。

雲仙三岳三太郎
 むかしむかし、雲仙岳の中腹に「火戸が渕」という小さな湖があって、そこに3匹の河童が住んでいたげな。3匹の河童はたいそうおしゃべりが好きで、毎日ペチャクチャ、ペチャクチャおしゃべりばかりしていたげな。名を妙見太郎、風見(ふうげん)太郎、国見太郎といって、土地の人たちは「山の三太郎」と呼んでいたんだと。
 ある日、河童の三太郎は高来津久良(たかくのつくら)という神様に「どうかおらたちを人間にしてください」と願い出たげな。神様は「おしゃべりをやめて、私のいうことを聞いたなら人間にあげよう」といって、三太郎にそれぞれ仕事を命じたそうな。妙見太郎には天見役を、風見太郎には風見役を、国見太郎には地見役を申しつけて、おしゃべりをかたく禁じてしまったげな。
 それから毎日、妙見太郎は月や星を眺めて、雪や雨の番、風見太郎は風の音を聞いて雲の見張り、国見太郎は地面とにらめっこして地震の番をしていたそうな。ところが、くる日もくる日も神様のいいつけを守っていた三太郎は、だんだん退屈になり、しだいに仕事をさぼり、ペチャクチャ、ペチャクチャおしゃべりを始めたとげな。それを見た神様は真赤になって怒りだし、雲仙岳は大音響とともに爆発。炎は空を焦がし、火柱は天にまでつながり、煙は一面をおおいつくしてしまったげな。
 やがて、一夜が明けると、山の姿はすっかり変わり、3匹の河童たちはどこへ消えたのか、姿が見えなくなっていたげな。そして爆発した山のあとに、仲よく並んだ三つの山ができていたと。
 土地の人たちは、人間になろうとして人間になれなかった3匹の河童をあわれに思い、三つの山にそれぞれ名前をつけてやったげな。妙見岳、普賢岳そして国見岳と。
                   (雲仙観光協会 加藤忠清氏提供)

普賢岳登山コース

(コース1)
 仁田峠展望所−薊谷(あざみだに)−紅葉茶屋−普賢岳
   (往:約1時間20分、復:約1時間)
(コース2)
 仁田峠・雲仙ロープウェイ妙見岳駅−妙見神社−国見分れ−紅葉茶屋−普賢岳
   (往:約1時間、復:約1時間)
 →雲仙・普賢岳登山案内図へ 

小浜温泉(長崎県小浜町)
小浜温泉  雲仙岳の麓の海岸に湧出する海浜温泉で、歴史は大変古く、古代へとさかのぼります。和銅年間(708〜)に編纂された肥前風土記にも「高来(たかく)の峰の南西より、温泉の湧出するのがみゆ」と記されています。泉量は豊富で、約30か所の源泉から70〜103度の湯が1日1万5千トン湧いています。泉質は塩泉(塩化土類食塩泉)で、神経痛、リュウマチ、胃病に効果があるとされています。
 海の小浜、山の雲仙"と称される二つの温泉ですが、共に南高来郡小浜町にある温泉です。飲んでみると小浜温泉の湯は塩味があり、雲仙温泉の湯は酸味があり、泉質が全く異なることが分かります。
島原温泉(長崎県島原市)
観音島源泉、02.09.25撮影飲泉所、02.09.25撮影ホテルの露天風呂、02.09.25撮影
観音島源泉と足湯飲泉所ホテルの露天風呂
 雲仙の麓の島原でも温泉が出ないかと、1935(昭和10)年に試掘が行われました。その後断続的に掘削がおこなわれていましたが、1950(昭和25)年に観音島の試掘深度130mで、泉温33度の温泉を掘り当てました。1959(昭和34)年に下川尻地区の深度801mで泉温34度の温泉を掘り当てました。温泉として利用するためには加熱する必要があり、温泉利用の合理化を図るため島原市営の給湯所が設けられ、市内に給湯用の配管が敷設されました。また源泉も掘りなおされて、1967(昭和42)年10月 1日から、旅館、ホテル、一般家庭に温泉の供給を始めました。
 観音島と元池の2つの源泉の温度はともに約31.5度で、湧出量は1日それぞれ170トンと288トンあります。これを60度まで加熱して給湯しています。泉質はナトリウム・カルシウム炭酸水素塩泉で、僅かに重曹味がし、無色透明です。飲用すれば慢性消化器病、糖尿病、痛風、肝臓病に効果があり、入浴すれば慢性皮膚病、きりきず、やけど、うちみ、くじき、神経痛、筋肉痛、関節痛、慢性消化器病、冷え性、疲労回復に効果があるとされています。
 島原港フェリーターミナルの前方にある観音島源泉には、足を浸せる足湯と温泉を飲むための飲泉所があります。また市役所裏など、4か所にも飲泉所が設けられています。

うまいもの、お土産
湯煎餅雲仙市島原藩主であった松平忠和が医療に効く小浜の湯を使った土産を作ることを思いつき、明治24年、研究を重ねて小高竹三郎が作った。
具雑煮島原市、雲仙市ほかおよそ360年前(1637年)島原の乱の時、天草四郎が農民たちに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海からいろいろな材料を集め、雑煮を炊いて栄養を補給して、3か月余りも籠城したと伝えられています。材料は餅、ごぼう、やまいも、れんこん、しいたけ、凍豆腐、あなご、卵焼き、春菊、かまぼこ、白菜など。島原地方の郷土料理として有名。
六兵衛島原市、雲仙市ほかさつまいもを粉末にして山芋を入れて熱湯でこね、うどん状にしたもの。島原大変後の飢饉のときに、六兵衛という人が考えだしたものといわれています。
寒ざらし島原市白玉粉で作った小さな団子を「島原の湧水」で冷やし、蜂蜜、白砂糖で作った特製の密をかけたもの。
手延そうめん島原市島原の温暖な気候の中で、雲仙の麓から湧き出る清冽な水で小麦粉を練り、熟成させたそうめん。

2001.06.03制作、2001.06.11改訂、同06.26再訂、同09.27、同11.04、'02.01.30、同05.06、同08.01改訂、同09.26島原温泉追加、03.02.08だんきゅう風呂加筆
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