[ 長 崎 平 和 公 園 ]
平和祈念像地区(平和公園)
平和公園
 「平和祈念像地区(平和公園)」は原爆落下中心地の北側に広がる丘の上にあります。階段を上ると「平和の泉」があり、公園の奥には、郷土出身の故北村西望氏作の高さ9.7m、重さ30tの青銅の「平和祈念像」があります。毎年8月9日の原爆の日には、この像の前で平和祈念式典が催され、全世界に対して平和宣言がなされます。
 この間には、世界各国から贈られたモニュメントが立ちならぶ一角や、「長崎の鐘」、原爆で破壊された「長崎刑務所浦上刑務支所」の基礎部分の発掘遺構などがあります。
平和祈念像地区(平和公園)入口
 原爆落下中心地の横の国道を北へ交差点を越えると、すぐに右側にあります。
 階段を登りきると、「平和の泉」があります。その奥に平和祈念像があります。
平和の泉
 刻々変化する水形は、平和のはとの羽ばたきを形どり、つるの港といわれる長崎港のつるを象徴しています。
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
      一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
   −ある日ある少女の手記から
世界各国から贈られたモニュメント
 平和の泉の奥に世界各国から平和を願って贈られた、多くのモニュメントや像があります。 右は、イタリア共和国ピストイア市から贈られた像で、母親が我が子を両手で高々と抱き上げ、 愛と平和を表現しています。
長崎の鐘
 原爆殉難者の冥福を祈り、再び原子爆弾が地球で炸裂しないようにこの鐘を鳴らし続けようと、昭和52年7月20日に設立されました。
長崎刑務所浦上刑務支所遺構
 被爆時の町名で松山町、橋口町、岡町の3町にまたがっていました。敷地約2万平方メートル(6,060坪)、庁舎面責1万3,000平方メートル(3,940坪)ありました。爆風と火災により、一瞬にして全施設(13棟)が全壊、全焼しましたが、炊事場の煙突1本だけがかろうじて残りました。
 所内にいた受刑者48人、刑事被告33人、職員18人、家族35人のあわせて134人、全員が即死しました。(長崎原爆戦災誌による)
平和祈念像
 この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、上に指さした右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は平和を、軽く閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれています。(作者の故北村西望氏による)
 恒久平和の願をこめて、被爆10周年にあたる1955年(昭和30年)に完成しました。内部は鉄骨の櫓を芯にして、青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫ってあります。

所在地長崎市橋口町、岡町
アクセス路面電車:松山町から徒歩1分
バ   ス:松山町から徒歩1分
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