長崎県指定史跡
長崎金星観測碑、観測台
金星観測碑
 1874(明治7)年12月9日、地球から金星が太陽の表面を通過するように見える、 珍しい天文現象が起こりました。この前に起こったのは、107年前でした。 この現象を利用して、太陽と地球との正確な距離を求めようと、欧米諸国からアジア、大洋州各地に 観測隊が派遣されました。
 日本にもアメリカ、フランス、メキシコから観測隊が訪れ、 東京、横浜、神戸および長崎で観測が行いました。 長崎では、フランス科学院総裁の天文学者ジャンサン氏一行6名およびアメリカのダビットソン 一行が訪れ、それぞれが金比羅山および星取山で観測を行いました。
 観測に成功した喜びを記念して、ジャンサン氏の願いにより、山田与四郎氏がこの記念碑を建てました。碑面には「惑星、金星通過を観測したのはこの位置においてである。1874年12月9日 フランス天文学者ジャンサン科学院総裁」とあります。
観測台観測台
 フランス隊が実際に観測を行った観測台。1993(平成5)年に発見されました。
我が国初の経度原点確定の地
 金星観測を終わったダビットソン隊は、その後も天文観測を行い、 東京と長崎の経緯度差を測定しました。
 長崎では日本最初の経緯度原点(東京都飯倉:チトマン点)値を決定するための基準点となった、 ダビットソン点の経度が測定されました。
 1997(平成8)年、長崎県測量設計業協会の手で、碑が建てられました。
金刀比羅神社金刀比羅神社
 1705(宝永2)年、吉祥院長慶が、讃岐国の金刀比羅大権現の分霊を祀ったもの。
 これにより瓊杵(にぎ)山または祟嶽と呼ばれていた山は、金比羅山と呼ばれるようになりました。
 弘仁年間(820年頃)、神宮寺が建てられました。長崎奉行や一般市民の信仰があり、特に長崎在住の華僑は、海上交通の守護神と仰ぎ、海上交通の安全と貿易の隆昌を祈りました。明治維新(1868年)により、金刀比羅神社と改称しました。
所在地長崎県長崎市西山1丁目
電 話 
アクセスバ ス:立山公園前から徒歩20分
電 車:諏訪神社前から徒歩40分

 [ 2002 April 10 作成 }
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