国指定重要文化財 
眼 鏡 橋
中島川石橋群
眼鏡橋:01.09.19
 中島川の第10橋。1634(寛永11)年、興福寺の唐僧黙子如定禅師によって架設されたといわれていますが、寛文3(1663)年の大火で諸文書が消失したため、確証はありません。日本最古のアーチ型石橋で、長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5,46mあります。 しかし、正保4(1647)年6月の洪水で損害を受け、慶安元(1648)年、平戸好夢(こうむ)によって修復されました。
 川面に映った影が双円形を描くことから「めがね橋」と呼ばれていましたが、明治15(1882)年、正式に眼鏡橋と命名されました。
 この中島川には、かつて14のアーチ石橋がありましたが、1982(昭和57)年の長崎大水害により、 眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋が流失しました。眼鏡橋は1983(昭和58)年10月に、桃谷橋、 袋橋は1985(昭和60)年1月に復元されました。
中島川石橋群
袋橋袋橋(ふくろばし)
 中島川の第11橋。この橋の記録がなく、架設年、架設者ともに不明。 中島川下流に架かる橋の中では眼鏡橋に次ぐ古い石橋との説もありますが確証がありません。
 享保6(1721)年閏7月以降、度々の洪水にも流失を免れており、 壁面を整然と積む長崎型石造アーチ橋の形態を良く残しています。
 袋町に架かることから、袋町橋と呼ばれていましたが、明治15年に袋橋と命名されました。
眼鏡橋眼鏡橋(めがねばし)
 中島川の第10橋。
 上記
魚市橋魚市橋(うおいちばし)
 中島川の第9橋。元禄12(1699)年、岡正恒によって架けられたが、享保6(1721)年閏7月の洪水で流失しました。その後も木橋や石造アーチ橋が架けられましたがことごとく洪水によって流失しました。現在の橋は大正14(1939)年に鉄筋コンクリートで架設されたものです。
東新橋東新橋(ひがししんばし)
 1673年架設、1800年架替え。1982(昭和57)年の長崎大水害により流失したため1986年、昭和の石橋として架設されました。
芋原橋芋原橋(すすきわらばし)
 1681年架設、1721年崩壊。1804年再架。1982(昭和57)年の長崎大水害によりより崩壊したため、1986年に鉄筋コンクリートで架設。奥は一覧橋。
一覧橋一覧橋(いちらんばし)
 1657年に高一覧が架設、1795年に流失。1801年再架。1982(昭和57)年の長崎大水害によりより崩壊したため、1986年に昭和の石橋として、中国・福州市産の花崗岩を使って架設。
古町橋古町橋(ふるまちばし)
 1697年に河村甚右衛門の母、妙了尼が私費で架設。享保6(1721)年の洪水で流失したが、享和3(1803)年に長崎奉行所によって再架。1982(昭和57)年の長崎大水害によりより流失したため、1986年に昭和の石橋として架設。
編笠橋編笠橋(あみがさばし)
 元禄12(1699)年、岸村氏の喜捨によって架設。寛政7(1795)年の大洪水で流失。享和2(1802)年長崎奉行所によって再架。1982(昭和57)年の長崎大水害で全壊しため1986年、昭和の石橋として架設されました。
大井手橋大井手橋(おおいでばし)
 以前からあった木橋を1911年に石橋として架設されました。1721年崩壊。1804年再架。1982(昭和57)年の長崎大水害によりより崩壊したため、1986年に鉄筋コンクリートに改めて架設されました。
 この橋は、ぶらぶら節にもうたわれています。
高麗橋高麗橋(こうらいばし)
 1911年に明の江平府が架けたといわれます。現在は鉄筋コンクリートに改造されています。
阿弥陀橋阿弥陀橋(あみだばし)
 中島川の第1橋。1690年に唐貿易商園山善爾が架けた。翌年、仏像を安置した阿弥陀堂が橋際に建てられたため、阿弥陀橋と名付けられました。
 その昔、現在の市役所付近に牢獄があって、市中引き回しの死刑囚が必ず渡らなければならなかったため、来世は極楽に生まれるようにと結縁された。現在は鉄筋コンクリートに改造されています。
桃渓橋桃渓橋(ももたにばし)
 延宝7(1679)年、僧卜意が架設。河畔に桃の木が多くあり、桃の名所として有名だった。傍らに小さな地蔵堂があり卜意地蔵というので、卜意橋ともいいます。
 1982(昭和57)年の長崎大水害によりより半壊しましたが、1985年に原型に復元されました。
中島川上流の石橋
一の瀬橋蛍茶屋跡
一の瀬橋蛍茶屋跡
 長崎日見街道の出入り口にあたるこの一帯を一の瀬口といい、長崎氏の部下、一の瀬四郎右衛門の名にちなむといわれています。樹木が茂り、夏は蛍が飛び交った蛍の名所でした。文化文政(1804〜1829)頃、甲斐田市左衛門により、旅人歓送迎の茶屋が始められ、蛍の名所だったことから、蛍茶屋とよばれました。
 一の瀬橋は、1853(承応2)年、唐大通事陳道隆(穎川(えがわ)藤右衛門)が私財を投じて架設した長さ9.1m、幅4.4mのアーチ型の石橋です。 橋名に「ICHINOSEBASHI」とあるのは、1882(明治15)年、日見国道改修の折りに刻んだもの。
古橋中川橋
古橋(こばし)(左)と中川橋(なかごばし) (右)
 江戸時代、長崎から一の瀬橋、蛍茶屋を経て日見街道にいたる道の鳴滝川に架かる径間5.1mの橋。1854(承応4)年、唐通事林守殿(しゅでん)(林仁兵衛)が架けました。
 1918(大正7)年、下流に新しく中川橋が架けられ、これまでの中川橋は古橋と改名されました。

現役日本最古の鉄橋
出島橋出島橋(でじまばし)
出嶋橋銘板 出島、史跡阿蘭陀商館跡の北東隅の中島川に架る鉄橋。長さ36.2m、幅5.5mのトラス式鉄橋。 1890(明治23)年製。アメリカから輸入された錬鉄で造られた。トラスの上部に唐草模様の装飾や蝙蝠の型をした銘板がある。
 出島周辺の埋め立てが進み中島川を出島と江戸町の間に通すように変えた際に出島から対岸に「新川口橋」として架けられましたが、明治43年に現在の位置に移設し改名されました。

所在地長崎県長崎市中島川沿
アクセスバ ス:賑橋から徒歩3分、公会堂前から徒歩5分
電 車:賑橋から徒歩3分、公会堂前から徒歩5分
 平和公園、長崎駅方面からは築町経由よりも、
蛍茶屋行きに乗り、公会堂前で下りた方が早く着きます。
一の瀬橋は、蛍茶屋から徒歩3分。
古橋は、新中川から徒歩5分。
桃渓橋は、諏訪神社前から徒歩2分。
2001 Sep. 16制作、'02 June 12補訂
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