北京漂流記
by kana

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7日目:帰国(北京→京都)
(2002/01/01)



5時前、なんとなくみんなが起きて動き回ってる気配に気づく。
5時、モーニングコールがかかってきてはっきりと目覚める。
這うようにしてベッドから出たのは5時10分くらい。
昨日ハードな一日だったのと寝不足なのとで、のどがちょっと乾いてるかも。

空港送迎のミニバスがホテルに迎えにくるのが6時。
服を着たまま寝てたので、洗面だけ済ませて急いでロビーに下り、朝食を取る。
まだ5時半くらいなのでブッフェには早朝出発組の客が5、6組のみ。灯りも中央付近のみ灯火なのでかなり暗い。
今朝はおかゆの濃度がずいぶん濃いのに驚く。いつもは水がゆだったのに。
薄いかゆは、みんなが米を先にすくい取ったからだったんだ、ってことを初めて知る。(今ごろ気づいても遅いっちゅーねん。)
昨日遅くまで起きてたのでまだ眠くて身体が動かず、今朝はあんまり食べられない。

部屋に戻って荷物をまとめ、急いでロビーに下りる。
するとロビーにパイさんとチエンさんの姿が。
見送りのためにわざわざ起きてきてくれたらしい。
(このあと太極拳に出かけたのだろうか? だとしたら超人的な2人である。^^;)
チエンさんの帰国は明日、パイさんの帰国は明々後日。
日本で無事再会できることを約束して(笑)、添乗員に連れられミニバスに乗り込む。

さよ〜なら〜、ぺきん〜、という感慨はなく、とにかく眠い。外はまだ真っ暗だし。
コンさんもカオさんも、車内でうとうと。
でも私はなぜか眠れず。
途中北京国際飯店の前を通る。ああ、あそこのトイレはきれいだったなぁ。

空港着。
添乗員に空港税チケット(90元)を買ってきてもらい、チェックインカウンターの番号を聞いてゲートをくぐる。
が、その番号のチェックインカウンターが開いていない・・・
案内係のお姉さんが私たちの航空券をのぞき込み、あっちあっちと開いてるカウンターを指し示す。うーん、よく分かんないけど行ってみよう。

カウンターに航空券を差し出し、窓口職員に「うぃんどう!」と窓側席をアピール。
が、発券されたのは中央席。あーあ。
そのとき気づけば抗議したのに。(気づいたのは実際搭乗してから。)
それとも窓側はもう売り切れてたのかな?

手荷物検査のとき、コートまで脱がされてコートのチェックをされる。なんでっ?
日本で手荷物検査受けるときは着たままでOKだったのに。
カオさんもコンさんも、いろんな国に行ったけどこんなことは初めてだという。
(中国渡航経験者のみなさんへ。中国では手荷物検査ではコートを脱がされるのが普通なのですか?)

搭乗時刻が何時か分からなくて不安だったのだが、まぁ30分前だろうとふんで、その間免税店巡り。
私は海外旅行が初めてで、免税店というのは安いもんだとばかり思ってたのだけど、その価格の高さに驚く。
だって青島ビールは市内の市場じゃ4〜5元だったのに、免税店では9元もするんだよ。2倍じゃん。ホテルほどぼったくってないにしても。(市場で買った2〜3元のビールが、ホテルでは25元だった。怖い。)
ウィスキーやリキュール類も日本円に換算すると、日本の激安酒店とほとんど変わりがない。だったらわざわざ重くて壊れやすいものをここで買わなくても・・・
(化粧品は安いのですか? 私、そっち方面にはとんと興味がないので比較できませんでした。)

飛行機は、中国国際航空上海経由大阪行き。
7時半ごろ搭乗が始まり、7時50分、テイクオフ。
定刻は8時だったのに、定刻前に飛び立つのもこれまた珍しい。
行きは日本語放送があったのに、帰りは中国語と英語のみ。しかも音量がとても小さく、まったく聞き取れず。

私は横一列でコンさんカオさんに挟まれた中央の席。
二胡は両足に挟み込むような形で置き、機内食でテーブルを倒す場合はそのまま二胡を沈めて前席の下に半ば潜り込ませるようにする。
私たちの席の後ろにどうやら中国楽器らしきソフトケースを抱えた男性が座っていて、聞くとその人も日本人で、北京で楽器のレッスンを受けてきたんだとか。
上海乗り換えの際にはこの人に付いていくことを決心する(笑)

元日ということで、乗務員からグリーティングカードとチョコレートのサービス。
どちらもかばんの中へ。

間もなく飲み物と機内食のサービス。
中華風と洋風が選べるようになっていて、中華風はおかゆ、ロールパン、野菜炒め、クッキー、オレンジジュース。洋風はクロワッサン、オムレツ、フルーツ、オレンジジュースなどの構成。
私は中華風を選ぶ。パンより米が好き。(ついでに言うと米より麺が好き。)
ザーサイと野菜の炒め物には香菜が刻んで入っていて、香菜の嫌いな私は食べられない。これしかおかゆのおかずがないのに(涙)
3時間前にホテルで朝ご飯を食べたばっかりなので、ロールパンとクッキーは食べられずカバンの中へ。

コンさんもカオさんもうとうと。
でも私はなぜか眠れないので、旅メモをつける。
(旅メモはいつも寝る前につけてました。このメモがあるから、いまこうして漂流記が書けるんだよーん。)

やがて飛行機が下降。アナウンスがまったく分からないんだけど、おそらく経由地の上海に着陸しようとしているのだろう。とりあえずシートベルトを締めておく(笑)
北京滞在中は「よく分かんないけどとりあえず○○しておく」ってのが多かったなぁ。こうやってみんなたくましくなって行くんだろうね。^^;

上海着。
ここで飛行機を降りてしまう人もいるし、大阪まで乗る人も、ここで一旦降りて出国手続きをしないといけない。
飛行機を降りる際、出口で中国人乗務員が一人ずつ日本語で
「サヨナラ〜」
と声をかけていく。
うーん、私は出国手続き後またこの機に戻ってくるから、さよならじゃないんだけどな。
そして私の番。私がさよなら〜と言いかけるより先に、乗務員さん、
「再見!」
なんで私には中国語やねん!(笑)
私の後に続くコンさんカオさんにも、
「再見!」
そしてまた別の人には
「サヨナラ〜」
「サヨナラ〜」と「再見!」の判断基準はなんやねん。私たちの背中に背負われた二胡か?(笑)

ここで降りてしまう人と、大阪まで乗っていく人とでは進路が違うので慎重に進む。
さっき話をした男性の中国楽器をひそかに目印にする(笑)
そして出国手続き。
出国カードを書いて、カードとパスポートをカウンターに提出。
パスポートを返却してもらう際、派手に投げつけられてびっくりする。
カオさんに「私、なんか書類に不備でもあったんやろか・・・」というと、「中国だからだよ」となぐさめられる(笑)

飛行機が何時に飛び立つのか、何時に搭乗が始まるのか、まったく分かんない。
搭乗待合いロビーをうろついて各便の発着時刻が表示されたモニター画面を探し、フライトナンバーで自分の飛行機の時刻を確認する。
11時、おおよそ1時間後の出発らしい。ってことは搭乗開始は30分後かな。

ぶらぶらと免税店巡りしていると、本屋さん発見。
もしかして日中・中日ハンディ辞典があるかな、とのぞいたら1冊あったので即購入。
定価の34元。日本円にして540円ほど。
日本でこれの日本版を買うと、中身はほとんど変わらないけど3000円近くするんだよね。らっきー。

元から円に両替してくれる窓口を見つけるが(中国では元→円両替は空港でしかできない。しかも金額に制限がある)、手元に残っているのは11元で、全額両替できても100円ちょっと。面倒なのでやめておく(笑)

再び搭乗。大阪へ向けて出発。
またまた間もなく飲み物と機内食のサービス。
フィッシュ?チキン?ってことでフィッシュ選択。
鯖の塩焼きなんか出たらうれしいなーと思いながら、でもどうせ中華風だろね、って期待しないでおくことにする。
実際出されたのはカレイの煮付けみたいなの(まぁまぁおいしい)と、なんの魚か分かんないけどフライ(七味たっぷりの激辛)。
あとは白飯、チーズをはさんだロールパン、焼き野菜、フルーツ、ミネラルウォーター。パンはかばんへ。
朝5時半にホテルで1食目、8時半に機内で2食目、11時半に機内で3食目。食いすぎや・・・

トイレに行ったカオさんによると、ビジネスクラスには客が誰もおらず、客室乗務員が座って映画を見ていたらしい。
そう言えば上海で途中下車したときビジネスクラスの席を通ったら、座席に乗務員の制服の上着がおいてあったな。

大阪に近づいたころ、気流の悪いところに突入する。怖いよう、怖いよう(^^;;
なんとか無事に関西国際空港着。
行きに比べれば、まぁまぁスムーズな着地。
腕時計を見ると12時半。結構早い到着やなぁ。定刻は14時やなかったか?
と、ターミナル内の時計を見ると13時半。おおっ、時差を忘れてたぜ。(にしても定刻より30分も早いけど。)

入国手続きをして荷物を受け取って、そして税関。
「申告するものはありますか?」
んっと・・・
私としてはしばらく様子を見ておきたかった(摘発されるか調べたかった)のだけど、誰かが「二胡を持ってます」と自主申告する。
ということで3人とも出発前税関で書いた『外国製品の持出し届』を提出。
「みなさん中国でレッスンだったんですか?」と笑顔で尋ねられる。(^^;;
しかし、行きも帰りも税関の職員さんは笑顔で丁寧に対応。うわさで聞くほど怖くなかったな(笑)

しかし日本は暑いね。この時点でみんな汗だく。
なんつーか、北京の風は突き刺していくような感じ、日本の風はまとわりつくような感じ。

私とカオさんはスーツケースを宅配サービス会社に託すことに。
こんな重いもの、エレベータなしのマンション最上階まで一人では運べん。
身軽になって、3人でJRのホームへ。
私はカオさんと関空快速に乗り込む。
カオさんと話に夢中になって降りる駅を間違え、大阪駅に着くまで2度も乗り換えしてしまった。
駅のホームには初詣に行くのであろう家族連れがたくさん。

中国に行っていた間、雑踏からもれ聞こえてくる人々の言葉に対して、びっくりするくらいに敏感になっていたようだ。
無意識に聞き耳を立て、意味があろうがなかろうが、なんとか聞き取ろうとしているくせが付いている。で、自分が知ってる単語が聞き取れると喜ぶ。
こうやって言葉を貪欲に吸収することによって、赤ん坊は言語を覚えていくのかな。

そんなわけで、日本に降り立った今も、ついつい周囲に聞き耳を立ててしまう。
そして、聞こえてくるざわめきが全部日本語で、言葉が全部理解できるのが、とても不思議に思える。
雑踏の中すれ違いざまに日本語が聞こえると、「あれっ、今の人日本語うまいね、ひょっとして日本人?」とか思っちゃうのだ。頭が環境ボケしているんだろうね。もうここは日本なのに。
たぶんヨーロッパとかアフリカとかアラブとか、全く日本人と顔つきの異なる国から帰国すれば環境ボケは起こらないと思う。
でも中国人と日本人は顔つき体つきが激似。外見からでは見分けがつかない。
だから「もうここは日本なんだよ」って自分に言い聞かせないと、すれ違う人がみんな中国人に思えてしまうし、日本語が聞こえてきたらびっくりしてしまうのだ。
カオさんにそう言うと、カオさんも日本語が聞こえるたびについつい振り返ってしまうと言っていた。

1週間ぶりにケータイの電源をオン。
連れからメールが来てたので「帰国した」メールを出すと、途中から車で迎えに行くよ、と返事が返ってきた。
そこで、カオさんと別れて大阪で途中下車し、連れの、まだ若葉マークが初々しい車に乗り込む。

教習所出たての車は交通法規をしっかり守り、超安全運転。
ところがこれが、北京の交通ペースに慣れた私には合わない。
「行け〜、突っ込め〜、もたもたしてると歩行者が飛び出してくるぞ〜っ!」
 (↑日本ではそんなことないない^^;)
と助手席で叫び、連れにビビられる(笑)

数時間後、無事に京都の自宅まで帰宅。
さぁ、寝るぞっ!!


あとがき


ほんのメモ書き程度になると思ってたのに、書き始めると、後から後から思い出してきて、書き上げるのに10日もかかってしまいました。
毎日ちょっとずつ書いてはその都度公開していったわけですが、その間掲示板でいろいろな感想をいただき、恐縮しています。
(個人の旅日記なんて、誰も興味持って読んでくれるわけないと思ってたんですよね。^^;)

北京は寒い寒いと聞かされていたのですが、6日目をのぞき、私たちの滞在中はやや暖かかったようです。
それでも京都市内や大阪よりは遙かに寒いわけですが、もともと私は京都府北部の厳寒地域育ちの上、6日目以外はだいたいいつも
「ホテル」→「タクシー」→「劇場・音楽ホール」→「タクシー」→「ホテル」
というような行動をしていたため、そんなに外気に触れることもありませんでした。
また、私たちの部屋は南向きで、日中は陽が射せばとても暖かく、昼間は暖房を切って窓を開けていてそれでちょうどくらい。
このような状態は真冬の北京旅行としてはラッキーだったのでしょうか。
(去年もかなり暖かかったそうですけど。)

自分が乾燥には強いタイプというのは分かりましたが、唇だけはやられてしまいましたね。
荒れてひび割れて感覚がなくなって、自分の唇ではないみたいな気持ち悪さがあるし、熱いものや辛いものがしみるし、帰国後数日は大変でした。
あと北京の静電気にも閉口しました。
びりびりばちばち、すごいの何の、普段日本で感じる何倍もの痛さです。
いま日本でたまにビリッと感じると、日本は平和だ〜と感じますわ。(^^;;

北京の交通の怖さについてはさんざん書きましたが、「車に轢かれた方が悪い」的な考え方のようなので、これから初めて北京に行かれる方はくれぐれもご注意下さい。実際事故も多いそうです。
なお通りのあちこちに「公安」と書かれたパトカーが止まっていますが、日本だとおまわりさんがいるとなんとなく安心した気分になるのに、中国では不思議とそういう気分になりません。
ってゆーか逆に職務質問されそうで怖い(^^;;

北京行きが決まったのは2001年10月。
教室の先生から、出発までに挨拶程度の会話とタクシーに乗って行き先が言える程度の語学力を身につけておくこと、北京市内の大まかな地図を頭に入れておくこと、の2点を繰り返し言いつけられていたのですが、挨拶どころか自分の名前の中国読みすら覚えず、数字の数え方も分からず、北京のガイドブックも買ったもののまったく開きもせず、という、先生が知ったら卒倒しそうなとんでもない状態での今回の旅でした。
そのおかげで毎日がミステリーツアーのようだったのですが、なんとか無事に予定をこなして帰ってくることが出来たのは、同行者がみなしっかりしてたのと、研修期間中は通訳さんがいてくれてたためでしょう。
もしまた行くことがあったらせめて挨拶言葉ぐらいは覚えておきたい。そんでもってガイドブックでしっかり調べて、点心のおいしいお店に行きたい。(^^;;

食べ物の話で思い出しましたが、研修期間中は毎回食事の心配ばかりしていました。
スケジュールが狂ったとき(交通渋滞に引っかかったとか老師の熱が入ってレッスンが長引いたとかしたとき)、真っ先に時間調整の犠牲になるのが食事時間。
夜は毎晩観劇かコンサート。それが終わってホテルに帰る頃にはお店は閉まってる。
コンビニとかいう便利なものはないし、特に夕方に食いっぱぐれると、一晩中ホテルで空腹という恐れがあるわけで(ホテル内のレストランはべらぼうに高い)、毎日「今日はちゃんとご飯食べられるかな?」という心配ばかりしていました(笑)

現在、北京のガイドブックを丹念に読んでいます。(今頃・・・(^^;;)
故宮博物院の見所とか、先に調べておけば良かったですね。
6日目に行った2つの四合院の名前と場所も分かったし、前門の小龍包のお店の名前も分かりました。
しかし、ガイドブックを読んで分かったことですが、6日目の午前中に雇ったガイドにはずいぶんぼったくられたようです。料金を二重払いで請求されてたようで。知らなかったから言い値で払ったけど。
(ガイドがぼったくったのか、ガイドの所属する旅行社がぼったくったのかは不明。)
日本語の細かい言い回しも理解できず通訳としても物足りなかったし、皇族の四合院も「おおみそかによる臨時休業でした」と言ってたのに、実際はこの日はもとから休館日(毎週月曜)だったのだというお粗末さ。
そのおかげでもう1軒四合院回ることになって、こっちは買い物時間が削られたんだぞー!
ま、いまここで言ったって後の祭りなんですけどね〜。

もう少しスケジュールに余裕があって少し語学ができたら、ぜひ自分で京胡か何かを買ってCITES取ってみたかったですね。大森林酒店の周辺の工事はもう終わっているのでしょうか。
それから、「五星旗」のリーダー・ファンキー末吉氏がオーナーである「jazz-ya」にも行ってみたかったな。
今回の観光に関しては、語学もできない・下調べもしてこないという立場上、全て周囲にお任せしましたが。

それから、今後中国で二胡レッスンを受けることを検討しておられる人たちへ、一言アドバイス。
中国では芸事は真剣勝負です。
ですので、「余暇の暇つぶしに」「老後の楽しみに」「気分転換に」「なんとなく」などといった日本のカルチャーセンター事情は、あちらの老師には理解してもらえません。
「真剣に上手になりたいから本場中国にやってきたんです」という気持ちがあれば大丈夫。
が、「ちょっと本場のレッスンを体験したかっただけなの〜」的な気持ちだと、レッスンのとき老師と少しギクシャクしてしまうでしょう。
中国でレッスンを受ける予定の方々は、このことを少し頭に入れておいて下さい。
今回冷やかし気分で出かけた私は、ある意味痛い目に遭いました(^^;;

ほかなんか書いておかなければならないことはあったかな?
また思い出したときに密かに更新することにしよう。

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