2004年8月の日記
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暑い〜! 記録的な猛暑だそうで、昨年の冷夏が嘘のよう。
今月のレッスンは28日です。



2004年8月1日(日)

夏バテ? 終日吐き気との戦い。



2004年8月2日(月)

あっと言う間に8月。 7/10の合奏練習のことも、
7/25のアンサンブル会のことも、
まだ書けてなかったなぁ。
光陰矢の如し。月日の経つのが恐ろしい(--;



2004年8月3日(火)

ここんとこ『八月桂花遍地開』の練習をしている。
アンサンブル会で使用しているのは「紅軍バージョン」と呼んでいる楽譜。
人民音楽出版社「二胡重奏練習」に載ってる楽譜とよく似ているのだけど、ところどころ違う。
一番の違いは、「二胡重奏練習」版だと「1」となっているところが、何カ所か「7」になっていること。
なんでだろう。私は「1」のほうが合うと思うんだけど。



2004年8月4日(水)

京都は久々のまとまった雨。ちょっと涼しい。

今日は練習をさぼってしまった。
弾かないときはどーんと週単位で弾かない時だってあるんだけど(こら)、ここ最近は十六分音符を集中的にやってたので、1日さぼるとやっと動きかけた指がまた退化しそうな 強迫観念が少し。



2004年8月5日(木)

今朝起きてテレビをつけて、初めて昨日の雨は台風だったことを知った(汗)
昨日日本近海で誕生して、昨夜近畿を縦断したんだと?! で、今朝私が起床したらすでに温帯低気圧って、あんた・・・
んなこと知らずに昨夜遅くまで残業していた同僚は、帰宅時大雨でえらい目にあったらしい。(で、私と同様、今朝のニュースであんぐりしたとか。)

今日も練習はさぼり。
明日は中国語教室なので、どうしても今日は残業になってしまった。



2004年8月6日(金)

中国語教室。
疲れすぎて最後はめまい起こしそうだった。

生徒が2人になってからレッスンの密度が濃い。濃すぎる(--;



2004年8月7日(土)

昨日寝たのは深夜0時頃だったのに、今日は起きたのは正午0時半。12時間以上寝てたのね。
先週末も深夜0時頃寝て、翌日起きたのはなんと14時半だった。
ここ数週間、体力的に非常にきつかったから。

昨日は中国語教室。すでに会社を出る時点でふらふら。

レッスンの前半は会話練習。
お盆休みは何日間か、とか、休暇中の予定は?とか先生が質問して、生徒が答えていくもの。
「〜から〜まで」はかろうじて覚えていたものの、「打算(○○するつもり)」の単語が出てこなくて返答に詰まってしまった。
ちょっとでも詰まると、その後の文章はすべて日本語で答えてしまうのが私の悪いところ。
対してもう一人の生徒は、文法的発音的にブロークンでも、日本語英語混じりでも、身振り手振り付きで中国語を話そうとする。

レッスン後半はヒアリング。
先生が例文集を読み上げ、それを書き取っていく。
こっちは私のほうがかなり出来がよかった。テキストの例文は文法的に整ってるし、慣用句も多いし、法則さえ分かれば結構すらすらいけるのだ。

つまり私って、ペーパー試験の成績はいいくせに、いざ外国人の前に出ると何も話せない、 典型的教科書人間ってこと。



2004年8月8日(日)

2ヶ月かけて準備してきたボランティア演奏が、今日無事終了した。
当分私は燃え尽きモードに入りますんで。>関係者のみなさま。



2004年8月9日(月)

今年の健康診断の結果が返ってきた。
赤血球とヘモグロビンが基準値を下回り、やや貧血との判定。最近運動してるし食べてるのに、ちょっと意外な結果。(--;
気になってたコレステロールは大幅減。これは最近インスタントラーメンを食べなくなったから?^^
肝機能は相変わらず基準値すれすれの低空飛行。←毎晩ビール飲んでるのに数値が上がらないのはひょっとして健康ってこと?(笑)

昨日のボランティア演奏。
和やかな雰囲気だったし終始リラックスして弾けたと思ってたのだけど、昨晩は布団に入ってから弾いた曲のフレーズがぐるぐる頭を駆け回って、 朝までうなされてしまった。



2004年8月10日(火)

明日出勤すれば盆休み♪

休暇中にアンサンブル会の練習会がある。
合奏練習は楽しいし勉強になるし好きなんだけど、苦手なのは1曲ずつソロで弾かされること。
しかも当初は
「人前で弾く度胸とステージマナーを身につけるためなので、なんでも好きな曲を弾いていいですよ。」
とのことだったのに、
いつの間にやら「良宵か賽馬のどちらか」ということになってたらしく(私は聞いてない)、それを知らずに私は前回ポップスを弾いて、 失笑されてしまった。^^;



2004年8月11日(水)

今ごろ、ですが。


【7/10(土)】

実家の高齢わんこの誕生日。お赤飯を炊いてもらったらしい。(ごはんも豆も彼の大好物。)
それはおいといて。
この日は合奏練習でした。8月下旬のショッピングセンターでのイベント演奏(6/15日記参照)に向けて。
家を出てから道中かなり進んだところで大鑼を忘れてきたことに気づき、いったん家に戻る。
結果教室には20分ほど遅刻。最前列の席しか空いてなかった。

指導はグループレッスン担当の先生。
本番での席次プリントが配布され、各自自分のパートを確認。
そしてイベント主催者から指定された衣装の説明があり、譜面台持参係等が決められる。
と、ここで、先生から全生徒に向かって「アンサンブル会」の説明が唐突になされた。
前々からメンバーの間で
「他の生徒さんたちにアンサンブル会についてどのように説明したらいいか」(先生に「あの人たちのグループってなんなのですか」って問い合わせた生徒さんがいたらしいから)
というのは話題になってたのだけど、
私は
「個人レッスンの生徒が定期的に集まってアンサンブルの練習をしているグループ」
程度の説明でいいじゃん、と安易に考えていたのだ。(実際最近の私の認識はそうだったし。)

で、のほほんと先生が話すのを聞いていたら。
「「アンサンブル会」とは、プロになる決意をして、人生二胡に捧げる覚悟をした人たちの会です。」
え。
ちょっと待て。
他のメンバーはそうかもしれないけど、私は違う。違うったら。

「プロになる」云々のあたりを突き詰めないまま私はなし崩し的に入会してしまったけれども(7/1日記参照)、とにかくプロになる決意は私はしていない。ってか現実に考えてどうがんばったって私がプロになるのは無理っしょ?(私は現実主義者。)
だから、生徒全員の前で突然そう言われて、正直ショックで動揺した。
でも他のアンサンブル会のメンバーは平然としているし、そもそも他のメンバーはそういうの納得済みで(プロになる決意をして)入会しているのだろうから、異端なのは私なわけで。

んー。んー。

とにかく、今後は、他の生徒さんに、
「kanaさんってばプロになりたいんですって。(あのレベルで?)」
って思われるんだろうなぁ・・・(-_-;;


【7/25(日)】

アンサンブル会練習日。私が入会してからは3回目。5月から月1回ペース。
8月下旬のショッピングセンター・イベントで、アンサンブル会だけで何曲か演奏するので、その練習。
滋賀県の公共施設にて。参加者6名。

前回ぼろぼろだった『八月桂花遍地開(紅軍バージョン)』(上下各3人で私は上パート)は、だいぶ息が合ってきた。
連続十六分音符に突入しても、あわてず、落ち着いてリズム取れるようになってきたし。

『我愛北京天安門』は、上下各3人で、私は下パート。
上は考級1級の譜面のままでゆったりした曲調なんだけど、十六分音符の多い下パートは、リズムが細かくてどうしても勢いづいてしまう。ので、下の勢いを減らして上を元気良くするため、上パート4人・下パート2人に変更された。もちろん本番もこの編成で。
私は下パート据え置き。まだまだ十六分音符で指がもつれることが多いんだけど、2人になってしまったのでプレッシャーが大きくなった。=間違えると目立つ。

最近合奏で十六分音符を練習することが多く、リズムが細かくなると人によってリズム感にすごく差がでることが分かる。
同じ音符を同じ速度で弾いているはずなのに、リズムが上下に刻まれる縦乗り型、リズムに旋律が感じられる横揺れ型、リズムにとっても勢いがあるGO!GO!型、他の人のリズムに寄り添っていくような調和重視型、等。中間型や複合型もあって、みんなそれぞれ個性的。
私はどちらかというと縦乗り型なので、横揺れ型の人と合わせるのは正直弾きにくい。相手のリズムがつかめないのだ。
逆に相手が縦乗り型だと、とっても弾きやすい故に暴走してしまう危険性がある。
『我愛北京天安門』の下パートは2人とも縦乗り+勢い型。上パートを無視して、2人だけで突っ走ってしまいそう。落ち着け。落ち着くんだ、かな坊。^^;

帰り道、同じ駅から同じ路線で帰る人たちと、駅前で少し立ち話。
前回の合奏練習の時に感じたことを思い切ってぶっちゃけてみる。みんな「プロになります」って宣言したの?
で。
その場にいた人たちは、私と同じく現実主義者ということが判明。つまり、なれるもんならなりたいけど、現実考えたらねぇ・・・ってなやつ。
ちょっとほっとする。というのも
「なれるかなれないかも分かんないのに最初から諦めるなんてナンセンス。努力が足りないだけ。」
とか言われたこともあったから。
でもね、冷静な現状分析をして冷静な判断を下した結果の結論として、受け止めるべき現実ってのもあると思うんだ。

なんで「プロ」って言葉だけが私の周囲でこんなに一人歩きしてるんだろ。
なんで「プロになる・ならない」って先に宣言しなくてはならないのだろう。
うまくなりたい、から練習する、だけではだめなのかな?



2004年8月12日(木)

突然ですが、8/8日記の続き。

今から遡ること2ヶ月余り前。
「にこ通を見た」という人から、1通のメールが届きました。
「大阪の老人施設で二胡の演奏をしてくれる人を捜しています。」

で、二つ三つ私の知っている関西の演奏団体の連絡先を返信。
でも、その後何通かやりとりするうちに、「kanaさんたちに出てもらえないか」って言われて。
本当は断るつもりだったの。だって最近は女子十二楽坊の大ブレイクのおかげで、二胡に馴染みのない一般の人でも耳が肥えてしまって、『奇跡』とか『自由』とかレベルを期待する人が増えてきたから。
でも、アマチュア初心者で構わない、ほのぼのアットホームな雰囲気で演奏してほしいと言ってくださったので、最終的に私が普段一緒に練習している二胡仲間と一緒に慰問演奏に行くことになったのでした。

参加演奏者は全部で9人。聞きに来られた入所者の人は100人余り?
演奏したのは唱歌、懐メロ、初級中国曲(八月桂花遍地開、瑪依拉、太湖船、阿里郎)。
日本の歌は事前に歌詞プリントを配布してもらっていたので、それはもう大きな声で歌ってもらうことができ、気持ちよく演奏できました。
それに、歌詞を用意してなかった『阿里郎』(アリラン:朝鮮族民歌)まで歌ってもらえて。(朝鮮語だったのだろうか??)

自分が演奏してるときにはできるだけ静かに集中して聞いててほしい、という人も多いと思いますが、私は演奏中一緒に歌ったり手拍子入れたり、弾いてるほうも聞いてるほうも共に楽しんでいきたいというタイプ。
だから、今回は私にとっては、とってもとっても楽しい慰問演奏でした。



2004年8月13日(金)

今夜はいよいよアテネオリンピックの開会式ですね。
テレビ中継は午前3時前から。
リアルタイムで見たいけど、明日はアンサンブル会練習日で、7時半には起きないとならない。
レンタルスタジオの予約証を預かってるので絶対に遅刻できないし。
起きられるかな〜



2004年8月14日(土)

昨夜は、五輪開会式のオープニングイベントを見て、日本選手団の入場行進を見て、力つきて就寝。午前4時過ぎ。
今日のアンサンブル練習会に絶対遅刻できないというプレッシャーで、「起きたら10時半だった(→完全遅刻)」という夢を見てうなされました。(--;
アンサンブル練習会の模様については後日。



2004年8月15日(日)

CITES取得に関して新たに必要書類が追加されたという情報を7月末にお知らせしましたが、その具体的体験談が送られてきました。
「税関通過について」の項に掲載しましたのでぜひお読みください。

CITES取得については、二胡本数が厳しくなったり取得日数が伸びたりと、ここ数年で状況が厳しくなりつつあるような気がします。
これから中国旅行で二胡を購入するつもりの人は、くれぐれも最新の情報に注意し、 日程に余裕を持って挑んでください。



2004年8月16日(月)

今年7/20以降、中国の農林局でCITESを取得する際、新たに必要書類が追加されたという情報を「税関通過について」の項でご紹介していますが、
これに関して、
北京の体験談の『本ニシキヘビ皮証明書("標識" biaoshi)』と、上海の体験談の『二胡収蔵証』は、別物ではないか。
というご意見がありました。
とすれば、同じ中国でありながら、北京と上海の農林局では違う書類が必要であるということになります。未確認ですが。

もし地域によって必要な書類が異なるのであれば、
例えば旅行で
「日本を出発して上海空港へ→上海で二胡を購入→北京でCITES取得→北京空港から日本に帰国」
というプランだった場合、どうなってしまうのでしょう?
上海の楽器店で『二胡収蔵証』を渡されても、北京の農林局では『本ニシキヘビ皮証明書("標識" biaoshi)』がないと交付不可。と言われてしまうのでしょうか?

また、北京・上海以外の、他地域の農林局でCITES取得する場合は、いったいどんな書類を用意すればいいのでしょう?
購入した楽器店で確認しようとも、楽器店の店主自体新しい書類が必要になったことをまだまだ認識していないようですし。
(楽器店によっては二胡輸出の際CITESが必要であること自体知らなかったりするし。)

今年7/20以降に、北京、及び他地域でCITESを取得された方、その地域で求められた追加書類がどういうものであったのか、 ぜひぜひ教えてください。



2004年8月17日(火)

14日はアンサンブル会練習日でした。
滋賀県の公共施設にて。参加者5名。
8月下旬のショッピングセンター・イベントに向けての最終練習会。
でも、イベント参加者6人のうち3人が欠席。お盆の中日だから仕方ないか。
(つまり、この日参加5人のうち、2人はイベントには出ない。)
だからか、イベント演奏曲は2回ほど弾いただけで、後半は違う曲の練習が行われた。
私的には『八月桂花遍地開(紅軍バージョン)』も『我愛北京天安門』もまだまだ不安なので、みんなと一緒に弾き込みたかったのだけど。
ちなみに本番は22日なんだけど、練習会はこれで終了。当日リハーサルもなし。
未完成な状態なので、とってもとっても不安である。



2004年8月20日(金)

今日は中国語教室。「比」を使った比較の構文。
Aは28歳。AはBより15歳年上で、CはAより12歳若い。一番若いのは誰で何歳?
みたいなのをヒアリングで10問ほど。中国語より計算問題に固まる私・・・

7/3の演奏(7/6〜13日記参照)を録画したテープが回ってきたので家で見る。
んー・・・。ちょっとこれは・・・
プロになる云々どころか、黙って基礎からやり直すべきだね>自分
正直言って、こんなので人前で演奏してていいのだろうか、というレベル。私に限って言えば。

と言いつつも、明後日はショッピングセンターでのイベント本番。
明日はリハーサルを兼ねた合奏練習会。
ここ数日忙しく、今日も中国語で帰宅が遅かったので、全然練習してない。
とにかくぐっすり寝たい。



2004年8月21日(土)

合奏練習の日。
練習は16時からなんだけど、15時からアンサンブル会だけで最終練習することになり、いつもより早めに家を出る。

練習所は地下鉄の駅のすぐ上。
最寄り駅に到着後、改札を出て地上に上がると。

異様な光景。

真ん前の大交差点は信号がすべて赤で、信号待ちしている車も数台しかいない。
歩道には人がそこそこいるけど、全員車道に向かって横一列に並んでいる。歩行者は限りなくゼロに近い。
ので、歩道を普通に歩いている私はものすごく特殊な存在と化している。
そして車道には警官が数人。
頭上にはヘリコプター。このヘリのエンジン音しか聞こえない。
人の話し声も、車のエンジン音も聞こえない。
動いているのは上空のヘリと私だけ。

なんだろ? なんだろ?

とそこに、交差点に進入してきた2台の白バイ。
そして後続は菊の御紋の車。にこやかに手を振りながら私の眼前を通り過ぎていく天皇陛下・・・
ちょっと待って! こっちにも心の準備というものがっ!!^^;

京都は皇族の訪問が多く、特別警備や交通規制には慣れているのですが、陛下の生姿を拝見したのは初めてでした。
しかし日常生活の視界の中に突然飛び込んでこられると、思った以上にビビります^^;

ちなみに、二胡のケースを持ち歩いててライフルと間違えられた体験談を何件か聞いたことがあるのですが、別に私は警備の警察官に職質されませんでした(笑)
もっとも私が地上に上がってから陛下が通り過ぎるまで60秒とかかっていないので、警官もそんな暇なかったのかも。

以下明日の日記に続く。



2004年8月22日(日)

昨日の日記の続き。

スタジオに入ってアンサンブル会のみんなの到着を待つ。
ほどなくグループレッスンの先生到着。
「見た? 見た?!」
見ましたっ! ←主語も目的語もないけど先生の言いたいことは分かった。
ちなみに先生は美智子さま側の歩道だったらしい。
あんなに色の白い人は日本人で今まで見たことはない、と。いいなー、私も間近で拝見したかったなー。

で、アンサンブル会練習開始。演奏予定の4曲を1〜2回ずつ弾いてみる。
心配していた『八月桂花遍地開(紅軍バージョン)』は、十六分音符も暴走せずに、上下パートまぁまぁ合っていた。
私は上のパートなんだけど、右隣が下のパートで、今回初めて下のリズムを聴きながら、下のメロディに合わせて弾くことができた。
家で自分一人で練習しててもこういう感覚ってなかなかつかめないから。

『我愛北京天安門』は、今日は私の左手薬指の動きが悪く、十六分音符で惨敗。
でももう一人の下パートさんがしっかりしているし、彼女は弓に勢いがあって音量も大きく、仮に私がこけても大丈夫でしょう。

以下明日の日記に続く。



2004年8月23日(月)

昨日の日記の続き。

で、16時からは全体合奏練習。
翌日のショッピングセンター・イベントの最終練習。
座席や持ち物・衣装・タイムテーブルの最終確認も。

イベントに参加するのは約30名で、今日は参加者がほぼ出席したのと、参加しない人も何人か出席しているので、部屋はかつてないほど満杯。
隣の席とは10〜20センチほどしか空いてなくて、弓を押しても引いても誰かに何かに当たってしまう。
指揮をしながら先生が
「ここはもっと弓を大きく使ってたっぷりと!」
などと指示を飛ばすのだが、そんなことをしたら間違いなく左右で乱闘が起こるぞ。^^;

全体的にそこそこいい出来。
ちょっと心配なのは、『金蛇狂舞』の弦が暴走気味なこと。
打楽器よりリズムが速く、勝手にどんどんペースアップしている。大丈夫かな?
本番は明日。



2004年8月24日(火)

昨日の日記の続きのようなもの。
翌22日のこと。

この日はショッピングセンターでのイベント本番でした。
全国規模のチャリティイベントの傍流イベントで、10組余りの出演者が入れ替わり立ち替わりステージパフォーマンスを行い、募金を募るというもの。
ステージはショッピングセンターの中にあるイベントスペース。

うちらの教室の出番はお昼過ぎ。昼前にショッピングセンター従業員通用口前集合。
うちらも30人という大所帯だけど、他にも20人を越えるグループが何組かあり、控え室は1室を入れ替わりで使用しないとならないため、入室・撤収は厳しく時間管理されている。
ちなみに控え室はショッピングセンターのバックヤードにある従業員研修室。

実費で1260円也。
壁面には挨拶の言葉一覧や、服装・身だしなみについての注意事項が貼り出されている。

時間になり、イベント指定のTシャツに全員着替えて、バックヤードからステージに向かう。
愛で地球を救うために。

以下明日の日記に続く。



2004年8月25日(水)

昨日の日記の続き。

二胡と譜面と譜面台を抱え、ステージ脇で、前の出演者の出番が終わるのを待つ。
ステージを覗き見ると、んー、教室より狭いんじゃない?
全員座りきれるのだろーか・・・(汗)

いよいよ出番。
んんん、やっぱキツキツだなぁ。いや、かなり。
弓の端から端まで使うのには空間を曲げる特殊能力が必要かも。
指揮者(グループレッスン担当の先生)は舞台に乗れず、ステージ下からの指揮となった。
譜面台は2人に1台。私の席からは譜面台は私の左側で、指揮者は私の右側になる。
指揮を見たら譜面は見られず、譜面を見たら指揮は見られず。

前半は全員で『八月桂花遍地開』『唱歌メドレー』等、
中盤はアンサンブル会のみで『八月桂花遍地開(紅軍バージョン)』『我愛北京天安門』等、
後半はまた全員で『彩雲追月』『金蛇狂舞』、
という構成。
前半の全員合奏は、うちの教室としてはなかなかいい出来だったと思う。
前日の先生の指示も守られてたし、特にアンサンブルが乱れることもなかったし。

以下明日の日記に続く。



2004年8月26日(木)

昨日の日記の続き。

ショッピングセンターの売り場の中にある特設ステージなので、全体的にざわざわした雰囲気。
指揮もあり、三列構成で音量も大きい全員合奏はまだいい。
指揮もなく横一列に6人が並んで弾くアンサンブル会は、端に座るともう一方の端の演奏がほとんど聞こえず、手探りで弾くしかない。
聞こえるのは自分の音と自分の隣に座っている人の音だけで、全体としてどうなのかは分からないまま弾くのは不安だし、たぶんその不安が体に表れて私の演奏は萎縮してしまってたかもしれない。
『八月桂花(紅軍)』は、出だしの合図がよくつかめなくて、出だし二小節ほど無音で見送ってしまった・・・。 ごめんよ、みんな。
『天安門』は、上パートが本番の熱気に押されたのか、アンサンブル会史上最速で走り出しちゃったものだから、下パートの私はぜーぜーはーはー。
八分音符中心の上パートが全力疾走したら、十六分音符中心の下パートは死ぬっちゅーの。^^;

エンディングの『金蛇狂舞』。私は大鑼。
これまた弦が大暴走。打楽器が弦に引きずられていく〜(笑)
私は私で「室内なので多少音量抑え目に」と言われてたのに大鑼ガンガン行っちゃったしさぁ。
それはもうストレス発散!とばかりに気持ちよく打たせていただきました。はい。
一般買い物客には大迷惑だったことでしょう。なはは。

終演後、控え室に戻る途中、買い物客らしきグループが「最後の曲良かったね」と話してるのを小耳に挟む。
誉めてもらえるとうれしい。けど全体的に失敗も多かったから気分は複雑。
次回はもっとうまく演奏できますように。(もう私が参加するイベントはないけど。)

帰り、募金箱に募金したら、「ありがとうございまーす」の声とともに、このイベントの募金専用箱を渡されてしまった。
もうこれ以上出せるお金はありませんっ^^;;



2004年8月27日(金)

先日のイベントで『八月桂花遍地開』二重奏を2バージョン弾いたのですが、この曲は中国全土に伝わる革命民歌ですから、いろんなバージョンがあるようですね。
ソロ譜はもちろん、重奏譜もたくさんの編曲があるようです。
難易度の低いものから高いものまで、二重奏譜の場合主旋律が上下パートで入れ替わるものもあれば、主旋律は上だけで下はほとんど十六分音符伴奏、というのも見ました。

私の教室では
アンサンブル会:
題名忘れたが中国で発行された少年向けの教材本に載っている二重奏譜。
全体合奏:
『二胡広播教学講座』(1980年代上海音楽出版社発行)に載っている二重奏譜。
を使用しています。

今年の初夏に発売されたウェイウェイ・ウーさんの新しい教本、
『巫 謝慧(ウェイウェイ・ウー)の二胡をはじめよう』
にも『八月桂花』二重奏譜が載っていますが、これは前述の『二胡広播教学講座』版とそっくり。
スラーの指定は若干違いますが、音符に関してはほんの2〜3箇所のみの違いで、斉奏から重奏に移るタイミングもまったく同じです。
ウェイウェイさんの教本を持っている人がいたら、夏の間にぜひ弾いてみてください。



2004年8月28日(土)

今夜のバラエティクイズ番組のテーマは北京でしたね。
風水の理論に基づいて作られた理想的都市なんだとか。

レポーターが町を歩きながらクイズを出題しているとき、民族楽器店がちらっと映っていました。
ショーウィンドウには琵琶や大阮が並べられてありましたね。
町並みの雰囲気から琉璃厂の通りだったのかしら。



2004年8月29日(日)

昨日のこと。

レッスン104日目。
台風が近づいているせいか、風が強く曇っていたのでいつもより涼しく、久々に先生宅に歩いていくことにする。
毎日3キロのウォーキングはやってるんだけど、なんだか今日は足が重くて、快調なら先生宅まで55分の道のりが、1時間越えてしまった。

以下明日の日記に続く。



2004年8月30日(月)

昨日の日記の続き。

先生宅到着。
まず、以前採寸してもらったアンサンブル会お衣装(7/1日記参照)ができあがっていたので受け取る。
赤地にチャイナ柄のベスト。アンサンブル会は小柄な人が多く、みんなが着るとかわいいけど、ムダにデカい私が着るとまるで(自分で書いてて悲しくなるので以下省略)。

続いて、先生に北京ちゃんの状態を見てもらう。
今年の4月頃から外弦開放弦ですごい超音波を発するようになって、その都度金属製千斤を調整してみたり、弦を替えたり、たるんだ弓毛を切ったりしていたんだけど、そのときはそれで収まってもまたしばらくするとピーピー不快な超音波音が混ざるようになり、どうしていいか自分で分からなくなっていたのだった。
私の弾き方が悪いのかと思って先生に弾いてもらうと、やっぱりビリビリピーピー超音波音が入る。
それもどうやら弓のある箇所に差し掛かったら頻繁に発生しているようだ。

以下明日の日記に続く。



2004年8月31日(火)

昨日の日記の続き。

しばらく先生に状態を見てもらった結果、私の弓の弓毛は松脂が馴染んでないように見える、と。
ほどよく松脂が乗った弓毛は1本1本がふわっとしてほぐれているものなのに、私の弓毛はどうも一つにまとまろうとしているらしい。
松脂がうまく塗れてなくて毛に松脂の粉がなじんでないようにも見えるし、ひょっとしたら古い松脂が粘ってるのかもしれない。
普通にほぼ毎日練習してたらこんなことは滅多に起こらないと思うんだけど、私は家では弱音着装着の上海ちゃんで練習してて、北京ちゃんは月に4、5回しか弾かない。そのツケがやってきたのだろう。

超音波の原因が弓のせいかどうかはおいといて、このままの弓毛ではよい音色が出ないので、松脂をたっぷりつけて弾き込んで落として、また塗って弾き込んで落として、を繰り返し、弓毛に松脂を馴染ませてみるようにと言われた。
粉が激しく飛び散りそうだから家でやるのはいやだな。ハウスダストアレルギーになりそう。
もうちょっと涼しくなったら夕暮れの公園でやってみるか。

以下明日の日記に続く。


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