西暦 | 年号 | 天皇 | 事 件 |
581年 | 敏達10年 | 敏達 | 蝦夷侵寇、綾糟(アヤカス)服盟 |
607年 | 推古 | 推古 | 遣隋使「国書」を送る |
637年 | 舒明 9年 | 舒明 | 蝦夷叛来て朝出ず。上毛野形名(カミケヌノカタナ) 征夷 |
645年 | 大化 1年 | 皇極 孝徳 |
大化の改新 |
646年 | 〃 2年 | 〃 | 東国に8人の長官を派遣す。「穂積臣・巨勢臣・紀臣・安曇連・大市連・羽田臣・田口臣・平群臣」 |
647年 | 大化 3年 | 〃 | 淳足(ヌタリ)柵設置 |
648年 | 大化 4年 | 〃 | 磐舟(イワフネ)柵設置、柵戸を配置 |
654年 | 斉明 1年 | 孝徳 斉明 |
越の蝦夷99人、陸奥の蝦夷95人に饗(ア)えし、併せて百済調使150人に設えす |
658年 | 〃 4年 | 〃 | 阿倍引田臣比羅夫 北航 |
659年 | 〃 5年 | 〃 | 遣唐使に蝦夷2名従う |
660年 | 〃 6年 | 〃 | 阿倍引田臣比羅夫 粛慎(ミシハセまたはシュクシン)と戦う |
663年 | 天智 2年 | 天智 | 白村江の戦いで大惨敗 |
670年 | 〃 9年 | 〃 | 日本最初の全国規模戸籍「庚午年籍(コウゴネンジャク)」が作られ、今までより迅速、効率の良い徴兵が出来るようになった。 |
672年 | 天智11年 | 天智弘文 | 壬申の乱 |
683年 | 天武10年 | 天武 | 越の蝦夷 伊高岐那(イコキナ)等、俘人70戸を1郡と為さんと請う。乃ち聴(ユル)す。 |
689年 | 持統 3年 | 持統 | 「飛鳥浄御原令(アスカキヨミハラリョウ)」の制定で「日本」と国号する。 越の蝦夷 八釣魚(ヤツリナ)等に賜う。各々差有り |
696年 | 〃10年 | 〃 | 越の度嶋(ワタリシマ)の蝦夷 伊奈理武志(イナリムシ)と、粛慎(ミシハセ)の志良守叡草(シラスエソウ)とに、錦袍袴・緋紺綵・斧等を賜う。 |
697年 | 文武 1年 | 持統 文武 |
越後の夷狄に物を賜う |
698年 | 〃 2年 | 〃 | 石舟(磐舟)柵を修理する。越後の夷狄 物を献ず |
699年 | 〃 3年 | 〃 | 越後の夷狄106人に爵を賜う |
700年 | 〃 4年 | 〃 | 石舟柵を修営 |
709年 | 和銅 2年 | 元明 | 陸奥鎮東将軍(左大弁正4位下巨勢朝臣麻呂「コセアソンマロ」)・征越後蝦夷将軍(民部大輔正5位下佐伯宿禰石湯「サエキスクネイワユ」) 派遣 |
710年 | 〃 3年 | 〃 | 奈良に都を移す 隼人と蝦夷が元旦の朝議に拝賀す。 |
712年 | 〃 5年 | 〃 | 「古事記」の成立 |
720年 | 養老 4年 | 元正 | 「日本書紀」の成立 陸奥蝦夷が陸奥按察使(正5位下上毛野朝臣広人「カミケヌノアソンヒロヒト」)を殺害、持節征夷将軍(正4位下多治比真人県守「タジヒノマヒトアガタモリ」)・持節鎮狄将軍(従5位上阿倍朝臣駿河「アベノアソンスルガ」))を派遣 |
722年 | 養老 6年 | 〃 | 陸奥海道蝦夷が大掾(従6位上佐伯宿禰児屋麻呂「サエキスクネコヤマロ」)を殺害、持節征夷将軍(式部卿正4位上藤原宇合「フジワラウマカイ」)・鎮狄将軍(従5位上小野牛養「オノウシカイ」)を派遣 |
724年 | 神亀 1年 | 元正 聖武 |
聖武天皇即位す |
725年 | 〃 2年 | 〃 | 天皇 朝に臨み、詔して征夷将軍以下巳下1696人に爵位を叙す。 「俘囚」の最初の用例(続日本紀) |
733年 | 天平 5年 | 〃 | 秋田県高清水岡に出羽柵(後の秋田城)配置 |
737年 | 〃 9年 | 〃 | 陸奥鎮守将軍従4位下大野朝臣東人軍 出羽進出 <和我君計安塁「ワガノキミケアルイ」を山道に派遣し、鎮撫する。> |
749年 | 〃 21年 天平勝宝元年 |
聖武 孝謙 |
黄金迫で黄金産出(百済敬福が九百両を献じ従三位を授けられる。陸奥国介従5位下佐伯宿禰全成、鎮守判官従5位下大野朝臣横刀に従5位上を授く) |
752年 | 〃 4年 | 〃 | 従5位上佐伯宿禰全成が陸奥守に任ぜられる。 |
753年 | 〃 5年 | 〃 | 陸奥国人大初位下丸子島足が牡鹿連を授けられる。 |
757年 | 天平勝宝九年 天平宝字元年 |
〃 | 橘奈良麻呂の変(藤原仲麻呂が主導であばく) 佐伯宿禰全成も関わっていたとされ勘問され自供する。 橘奈良麻呂の子 正6位上藤原朝猟を従5位下に進めて陸奥守に任じた。 牡鹿島足は仲麻呂派として立ち振る舞う |
758年 | 〃 2年 | 孝謙 淳仁 |
「夷俘」の最初の用例(続日本紀) |
759年 | 天平宝字3年 | 〃 | 桃生城・雄勝城 築営 |
762年 | 〃 6年 | 〃 | 多賀城碑建てられる。(参議東海東山節度使従4位上仁部省卿兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝猟修造する と称賛する) |
764年 | 〃 8年 | 淳仁 称徳 |
恵美訓儒麻呂が勅使を劫した事変の時、嶋足と坂上苅田麻呂とが勅を奉わって訓儒麻呂を殺した。 苅田麻呂は正6位上から従4位下に、島足は従7以上から十階を飛び従4位下になり、姓も連から宿禰に5階級特進する。 |
765年 | 〃 9年 | 〃 | 道嶋宿禰島足は、従4位上近衛員外中将に昇進 |
767年 | 神護景雲1年 | 〃 | 伊治城 築営 嶋足は、陸奥国大国造,在国の道嶋宿禰三山に国造が任じられる。 |
770年 | 神護景雲4年 宝亀 元年 |
称徳 光仁 |
蝦夷 宇漢迷公宇屈波宇等、賊地に逃げ還る 正4位上近衛中将兼相模守勲2等道嶋宿禰嶋足等を差して虚実を検問せしむ。正4位下坂上大忌寸苅田麻呂を陸奥鎮守将軍に任ずる。 |
771年 | 〃 2年 | 〃 | 従4位下佐伯宿禰美濃が陸奥守兼鎮守将軍に任命される。 |
773年 | 〃 4年 | 〃 | 鎮守将軍兼陸奥按察使に従4位下大伴宿禰駿河麻呂が任命される |
774年 | 宝亀 5年 | 〃 | 海道蝦夷が、桃生城を攻撃 |
775年 | 〃 6年 | 〃 | 出羽で不穏、陸奥全土に広がる気配 |
776年 | 〃 7年 | 〃 | 奥羽から軍3千人を動員、陸奥を攻めるが利なし 陸奥鎮守将軍兼陸奥按察使に従4位下紀朝臣広純が就任す。 |
777年 | 〃 8年 | 〃 | 出羽の蝦夷と戦い、官軍利なし |
780年 | 〃 11年 | 〃 | 伊治公呰麻呂の乱 起こる。紀広純と、道嶋大楯殺害される。 |
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