鳥 取
Tottori City


車窓より日本海
  出雲松江より鳥取に向かう途中の車窓よりの冬の日本海である。生憎の雪混じりの曇天の為、見晴らしは良くなかったが、荒れた日本海は良く見えた。
鳥取駅前
  鳥取大砂丘へ行った後、東京行きの夜行の時間があったため、市街散策とあの荒木又右衛門が滞在したという観音院に立ち寄ってみた。
  鳥取市は、千代(せんだい)川下流部の鳥取平野と周辺の山地よりなり、千代川東側の三角州に中心市街地が形成されている。もと、池田氏の城下町である。
  地名は水鳥を捕る人々、鳥取部(ととりべ)に因んでいるとの事であった。  
  1943年の鳥取大地震(死者1000人以上)と、1952年の大火災で街の中心街がすべて灰になったというが、我々が訪れたときは、流石にその痕跡は解らなかった。
  江戸時代より、大火災の多い街(17回)として、変なところで有名になった街でもある。
観音院
  市東部の上町にある天台宗の寺。藩主池田光仲が岡山から転封(1632年)の際、栗谷から移転した物である。
  観音院庭園は自然の傾斜地を利用した池泉(ちせん)鑑賞式庭園で深山を思わせる優美な築山に特色を持つ鳳来様式の庭園として知られている。 
  鳥取市街は、智頭(ちず)街道と、西の鹿の街道、東の若狭街道が並行して南北に走っており、古くから発展した町であるが、三角州の低湿に出来た街であるため、前記の火災のほか、洪水も多かったとの事であった。
  市街地を一回りした後、そのまま駅まで歩いて行った。
  翌日は仕事であるので、その日の夜行で東京へ戻った。  


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