那智勝浦
Katsuura

森浦湾
  和歌山では高齢の家康が生んだ第10子、頼宣を偲び、道成寺で女の執念を目の当たりにし、そして白浜で新婚さんに当てられ、逃げるようにここ勝浦にやって来て、宿を探した。しかし、いわゆる温泉旅館が無く、結局泊まったのが、紀伊勝浦駅前の連れ込み宿であったのが悲劇でもあった。利用客は当然一組も無く、「まあどうぞ」なんて言われ、野郎同士で泊まることになったのであるから皮肉である。
   その分、食事も宿の主人と女将と一緒で、掘り炬燵に入っての家族待遇となった。
勝浦港
  翌朝、知ったことであるが、湾内の中之島には、近代的な観光ホテルが出来ている。ここから艀(モーターボート)で渡るのだ。勝浦温泉は、いわゆる温泉街が無い。細長く曲がって突きだした狼煙(のろし)山や、勝浦湾の浮かぶ小さな島々に温泉が湧き、そこに旅館が建っているのである。従って、どこに行くのにも、この勝浦港から船で渡ることになる。
  暗くなってから、車でやって来た我々は、そんなこと知らなかった。滑稽なことに、南紀屈指の温泉場に来て、温泉に泊まれなかったのである。
  従って、自分の勉強不足もあるが、勝浦温泉の印象は良くない。今回のドライブの最後の宿が、とんでもない予定外の事になってしまったのだ。
  この辺の海岸はリアス式で、この勝浦港や、宇久井港などの天然の良港に恵まれている。勝浦港は、近畿屈指の遠洋漁業の基地として栄えてきた所である。湾内には小島が多く、紀の松島とも呼ばれているほど、景色の良いところである。
  早朝の勝浦港では、早くも今朝採れた魚介類の水揚げが行われていた。ここの名物、秋の秋刀魚寿司は、なかなかのものだそうだ。私も、福島県のいわきで食った生きの良い秋刀魚の刺身は忘れられない。脂が乗っていて、何とも言えない程旨い。ただ、直ぐ腐りやすいのが難であった。  
熊野・鬼ヶ城
  直ぐ南の太地(だいち)は熊野灘の捕鯨の基地としても知られている。そして北側が那智湾に面して、熊野那智大社である。この辺の町村が合併して1955年に那智勝浦町となった。
  この後、那智大社、熊野の鬼ヶ城、そして伊勢神宮を参拝して、そのまま東京に帰った。湖北から比叡山、京都、奈良、和歌山、白浜、潮岬を経ての南紀一周は、流石に強行軍のドライブであった。



コース

和歌山〜御坊〜白浜〜潮岬
〜勝浦〜鬼ヶ城〜那智〜伊勢〜東京

7001/0105
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