和 歌 山
 Wakayama


和歌山城
  奈良を後にして、吉野川(紀ノ川)沿いに車を走らせ、憧れの和歌山にやってきた。初めての訪問であった。
  和歌山と言うと、先ず誰もが思い描くのは、徳川御三家の一つ紀州徳川家の城下町としての成り立ちであろう。和歌山の地名は、秀吉が弟秀長のために岡山(虎伏山、とらふすやま)に築いた若山城に由来すると言う。
紀ノ川河口
  家康の第10子(これがまた羨ましい、金と精力があったらと男なら誰しも思うであろう)頼宣が紀州に入ってから現市街地の基礎を作った。ドラマでも、お馴染みの八代将軍吉宗は紀州の出だ。
  その和歌山城天守閣から、紀ノ川の河口が見渡せる。この河口は、古くから水陸交通の要地で、大和朝廷の朝鮮出兵の基地(河口の紀伊湊)ともなった所である。 
和歌山市街 
  紀ノ川は、奈良県の大台ヶ原と吉野山が源流であるが、紀ノ川は和歌山での呼称で奈良では吉野川と呼ばれている。出世魚ではないが、日本にはこんな川が多い。例えば飛騨川は上流では、益田川と呼ばれている。
  この写真は、紀ノ川を挟んで、孝子峠方面を望んだものだ。
紀三井寺
  和歌山城から、約6km南にあるのが紀三井寺である。名草山の中腹にある西国三十三所の第2番札所となっている。寺の周囲に3つの井戸があったため名付けられた。但し、近江の三井寺と区別するために、頭に紀の文字が付いたそうだ。
  正月2日のため、すごい人混みであった。桜の名所としても知られている。
  紀三井寺を後にして、有田、日高を経て御坊(ごぼう)市に向かった。御坊は日高川の河口に出来た街で、もともとは西本願寺御坊(本願寺日高別院)の寺内町として発展してきた所である。その手前の川辺(かわべ)町にあるのが、安珍と清姫の伝説で名の知られた道成寺(どうじょうじ、天台宗、701年創建)である。
   川辺町は日高川の川辺にあるから「川辺」と名付けられたという。   
道成寺仁王門
  安珍清姫の話は、「今昔物語」に収められており、能でもお馴染みである。蛇になった清姫が安珍を焼き殺したなんて、凄まじい。女のぬめぬめした感じが蛇に例えられるのか、こんな民話は各地に残っている。
  今回のドライブは、湖北に始まり、比叡山京都奈良、五條、和歌山、勝浦那智、そして止めは伊勢と由緒ある神社仏閣巡りの観が強い、ある意味では正月に相応しいドライブとなった。


ルート

奈良〜五條〜吉野川〜和歌山城〜紀三井寺
〜道成寺〜白浜〜勝浦



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