大間越街道
Oomagosi Kaidou

十二湖
  男鹿半島寒風山を下りて、国道101号(男鹿街道)を八郎潟を形成する砂州の上を能代に向かった。能代より今回のメインである大間越街道(同じく国道101号と命名されている)に入った。
  日本海に沿って津軽の五所川原までの道で、江戸初期までは弘前藩の参勤交代の道でもあった。
  当時は、山道と砂浜と岩場の上を交互に歩くような狭い道で、又難所でもあった。あまりのひどさに、弘前藩は、その後は羽州街道(国道7号線)を利用するようになった。
日本キャニオン
  大間越街道は鉄道マニアに人気のJR五能線と平行して走っている道である。会社の部下のS氏が良く話してくれた事を思い出した。今の道路は、良く発達した海岸段丘の上を走っているので、見晴らしは最高であった。
、 津軽3関の一つである大間越を越えるとすぐ右手にあるのがこの十二湖である。標高200m位の台地上に33個の湖沼が点在し、その総称を十二湖と云う。崩山(くずれやま、940m)から見ると12個の湖が見えたから名付けられたとのことであった。
  この湖沼群の入り口にある断崖が日本キャニオンである。かなりオーバーな表現であるが、アメリカのグランドキャニオンに似ているからと命名された由。
千畳敷
  艫作崎(へなしざき、黄金岬)を回ると直ぐ深浦である。深浦は文字通り天然の良港で北前船の寄航地で明治末まで賑わった所だ。
  深浦と鯵ヶ沢の略中間の大戸瀬崎にあるのがこの海食台地、千畳敷だ。スケールの点では、紀伊白浜の比ではないが、見応えがあった。
岩木山神社
  鯵ヶ沢は青森、十三湖、深浦と共に、津軽四浦と呼ばれ、津軽藩の御用港であった。今回はちょっと立ち寄っただけで、大間越街道の終点である五所川原に行き、市内をゆっくりとドライブしてみた。
  その後、弘前を経て岩木山山麓の国民宿舎いわき荘でわらじを抜いた。翌朝、岩木山に登ろうとしたが今にも雨が降りそうなのでやめた。この写真は山麓の安寿と厨子王の伝説のある岩木山神社である


ルート

男鹿温泉(泊)〜寒風山〜能代
〜大間越〜十二湖〜日本キャニオン
〜千畳敷〜深浦〜鯵ヶ沢
〜五所川原〜弘前〜岩木山(泊)
岩木神社〜恐山


走行距離 210km
        
         大間越街道
   秋田県の能代から青森県の五所川原までの日本海に沿った街道。江戸初期は弘前藩の参勤交代にも利用されていた。
   現在の国道101号線に略一致。国道101号線は羽州街道(国道7号線)より秋田の大久保より分離し、男鹿半島の船川街道、男鹿街道を経て能代に入り、そこから大間越街道に繋がっている。
  終端は五所川原からさらに先に行った大釈迦で羽州街道に合流するところまでとなっている。
  
           駐車場

     日本キャニオン、千畳敷 無料

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