1984年(昭和59年)の和歌山の鉄道界の大きな出来事と言えば、やはり和歌山線(五条−和歌山間)と紀勢線(和歌山−和歌山市間)が10月1日から電化された事です。
このためキハ35系の通勤形ディーゼルカーが105系の電車に置き換えられたり、和歌山線からはキハ58系の急行「紀ノ川」、DE10牽引の50系客車列車や、和歌山市まで乗り入れていた12系の客車列車が廃止されました。
最後の活躍をするキハ35系の和歌山線普通列車 9.12
紀和−和歌山間を走る126列車 DE10が牽引する12系客車の普通列車
和歌山機関区に到着した新鋭の105系電車の横を通過する余命わずかの急行「紀ノ川」 9.21
和歌山機関区1984.9.21 まだたくさんのディーゼルカーが配置されていました。
和歌山線に唯一走った50系客車列車、夜に和歌山市まで乗り入れ翌朝は紀和から発車しました。
和歌山機関区で一休みする大ムコ所属のキハ58系急行「紀ノ川」、京都−和歌山
和歌山機関区所属の老兵の救援車
9.28和歌山市駅付近で、和歌山線から乗り入れた普通列車、キハ58と35が混在していた。
御坊駅にて紀州鉄道604 大分の耶馬渓から移籍してきました。1984.10.3
ED60重連の貨物列車、和歌山駅北方にて1984.10.4
国鉄に乗り入れるため渡り線を通過中の南海きのくに、渡り線上にも架線が張られているようです。
南海線内ではヘッドマークを付け特急扱いとなる難波行きのくに
113系紀勢線乗り入れの「春日塗り」快速 10.15山中渓付近にて
阪和紀ノ川鉄橋を渡るED60−EF15重連の貨物列車
和歌山駅の南方で入れ換え中のEF58と貴志川線1201形3連の出会い 10.15
和歌山駅南方で急行きのくにの発車を撮る、8連で最後部には南海から乗り入れの2両を連結
朝夕のラッシュ時には3連もあった南海貴志川線、先頭は高野線から来た電装解除のクハ21201
一部座席指定の特急四国号1001系、南海紀ノ川鉄橋北方にて