野上電鉄モハ20形25・26・27



終点登山口駅で静かに出発を待つ27

終点登山口駅で静かに出発を待つ27



巽学校前を行く25−23 25・26・27とも元阪神の700形704、710、707、で南海のブリル台車と電動機をつけており、2扉車で前後に乗務員用の扉があり、前面は非貫通の3枚窓となっていますが、27のみZパンタの位置や台車が異なりました。

25はモハ20形の増備車として阪神からは一番早く野鉄に入り、1955年(昭和30年)に竣功、26は遅れる事2年の1957年(昭和32年)に竣功となっており、制御器は阪神の物を使用したが、ブリルの台車や電動機は南海より譲り受けた物を使用、廃線時、野鉄では最古参の車両で、この2両は比較的ペアで運用される事が多かったようです。

24と共に25・26も最終列車に使用され日方駅まで回送された後は、今にも発車しそうな姿でホームに停まっていましたが、1995年(平成7年)1月に日方駅や車庫そして放置されていた車両と共に保存されることなく解体されてしまいました。

25−26のペア 重根−幡川間

重根−幡川間を行く25、26


27 27は元善光寺白馬電鉄から譲り受け電装したデハ22の廃車が予定されていたので、これの代車として1960年(昭和35年)に竣功、当初台車は加藤製ボールドウィンと南海の電動機をつけていましたが後に南海からのブリル台車に履き替えましたが、モハ20形の物とは異なりモハ30形やクハ100形と同じ物だったためか25・26とペアを組むことは少なく、単行やクハを引き連れる事が多かった様ですし、Zパンタもなぜか、野鉄で唯一登山口側に設置されていました。

昭和50年にデ10形3両が運用開始の際は余剰となり廃車されるという話もささやかれましたが、無事に廃線まで使用され、幸運にも野上町在住の田伏氏が引き取り大切に保存されています。



八幡馬場−北山間を行く27単行

八幡馬場−北山間を行く27単行

日方車庫の奥で休息中の26−25

日方車庫で休息中の26−25 左横の台車群は何のため?



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