昭和17年3月14日に加太電鉄は南海に合併され加太線となりました。
昭和19年10月1日に住友金属の貨物線用として紀ノ川橋梁が貨物輸送に耐えられない為、東松江−紀ノ川間の松江支線が開通、貨物営業を行いました。
昭和24年10月1日に松江支線は電化、昭和25年7月15日旅客営業を開始。
昭和28年のジェーン台風の水害で紀ノ川橋梁が破損し営業休止を経て、昭和30年2月15日に和歌山市−北島間を廃止、松江支線を取り込み紀ノ川−加太間9.6Kmを加太支線とし、東松江−北島間1.8Kmを北島支線と改称したが、昭和41年11月30日をもって廃止されました。
北島駅の周囲には人家も少なく、蓮池に囲まれた屋根付き1面1両分のホームを有する寂れた無人駅で、廃止直前には1031形の単行列車が東松江−島橋−北島間を結んでおりました。
北島支線の廃線跡を東松江駅からたどってみました。
北島支線は小さく見える加太線東松江駅より貨物線=松江支線(現在の加太線)と並んで土入川(どうにゅうがわ)の鉄橋を渡り、少し進むと島橋駅がありましたが旧駅周辺には人家が建ち痕跡が残っておりません。
土入川の鉄橋は現在も残っており人車橋として島橋地区から東松江駅への近道として住民に利用されています
東松江駅には昭和59年に貨物が廃止されるまでは側線があり、国鉄DE10が和歌山市駅まで牽引してきた貨車を南海の凸形の電気機関車ED5201形が側面に南海と書かれた緩急車ワブ501形を従え到着した貨車を住友金属のディーゼル機関車が迎えに来ていました。
ここから住友金属構内まではこのDLが貨物を牽引していましたが、今はこの線路も撤去され道路となっていますが、まだ住友金属の和歌山製鉄所内ではDLが活躍しており、湊御前松の紀ノ川に架かる河口大橋から見ることが出来ます。
手前の赤茶色の鉄の橋脚が旧北島支線の鉄橋でした。
鉄橋を過ぎ道路と交差した付近に島橋駅がありましたが、駅周辺にはたくさんの人家が建ち、駅の跡や線路の跡も消滅しておりました。
島橋駅から北島方向に行くと線路跡が道路となっていました、でも廃線後30年あまり経過しているにもかかわらず、この道路向きに玄関のある家はまだ少なく、ほとんどの家は背中を向けていました。
この写真は国道26号線狐島(きつねじま)に架かる歩道橋から島橋方向を撮影した物ですが、廃線跡はほぼ直線で、この先緩く右カーブし人家に突きあたって廃線跡の道路が三叉路になっており、この付近に島橋駅があった様です。
北島支線が廃止となった理由は紀ノ川橋梁が破損し盲腸線となり、乗客数が激減したのが主因ですが、国道26号線のバイパスが建設され北島支線と交差することになり、これを契機に廃線に至ったようです。
国道26号線の歩道橋から北島方面を撮影した写真です、西側と異なって線路跡道路の道幅が広く車の通行も多くにぎわっています。
この道路の突き当たり、県道との三叉路付近に北島駅が有りました、いまこの道路を和歌山市駅から旧国道の北島橋を渡り、北島駅跡付近からからこの道路を通り島橋駅付近まで行く和歌山バスの島橋線が運行されています。
北島駅周辺は廃線当時の昭和41年(1966)は一面蓮池で周囲に人家はなく、単行の電車が折り返しており、行き止まりの屋根付きでは有ったが木造の無人駅で、白熱灯の電灯が一つプラットホームに上る階段の上に付いており、又電車の照明も白熱灯だった記憶があります。
道路の延長上に見える茶色の大きな建物と鉄塔が南海和歌山市駅で旧・加太線はほぼ直線に進んでいましたが、北島駅付近の三叉路から紀ノ川橋梁までの間には倉庫が建設されており廃線跡は消滅しています。
紀ノ川に架かる加太軽便鉄道紀ノ川橋梁の跡は和歌山市が譲り受け河西橋(かせいばし)となっています。
加太軽便鉄道が大正3年3月31日和歌山口(現・和歌山市駅構内)まで開通の際建設した橋梁ですが、加太軽便は明治45年6月16日には加太から北島まで開通していたが、この架橋のため市内までの乗り入れに手間取ったようです。
その後も強風のため蒸気機関車が牽引の客車が転覆し機関車ごと紀ノ川に落下したり、終戦前には住友金属向けの貨物輸送に耐えられないため東松江−南海紀ノ川間の松江支線が昭和19年10月1日に建設され貨物営業が行われました。
昭和25年7月15日貨物線だった松江支線が旅客営業を始め、北島経由の列車は紀ノ川橋梁の老朽化のため電車の電動機を減らし軽量化し単行で東松江−和歌山市駅間を結んでいたが、昭和28年の水害で橋梁が被害を受け昭和30年2月15日に和歌山市−北島間を廃止しました。
現在の河西橋の姿ですが橋脚を見ますと、何回も水害の被害を受けコンクリーの橋脚を新設したり、古い傾いた石造り橋脚を補強したりして苦労の跡が伺えます。
私が小学生の頃でしたが、 河西橋が台風跡の数日後の晴天の日に、突如橋脚が流され橋が崩壊し、通行中の人が紀ノ川に落下し行方不明となった事件もありました。
今でも河西橋は自動車が通行できない、2輪と軽車両と人のみが通行出来るようになっています。
紀ノ川橋梁は緩やかにカーブしながら紀ノ川を渡るとすぐに終点和歌山口に到着です、和歌山口駅跡は和歌山市駅構内の北側にあり今は和歌山検車区が建っているようです。
昭和30年2月15日に和歌山市−北島間を廃止し、紀ノ川−加太間9.6Kmを加太支線と改称し残された、支線の支線となる盲腸線の北島支線もついに昭和41年11月30日をもって廃止されました。
30数年ぶりに河西橋を渡りましたが、夕刻だったので人通りは案外多く、市内と北島地区を結ぶ住民とって便利な橋のようでした。
以前は自転車で渡るのが怖かったのですが、欄干が高くなっているためかあまり恐怖感は有りませんでした、でも夜間や強風の日に通行するには少し怖い感じがします。