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二人の椅子

 二人というのは、勿論ゴッホとゴーギャンのことです。1888年2月にアルルに先に入った、ゴッホはゴーギャンが来ることを待ち望みます。理想郷をアルルにもとめ、ゴーギャンが来たあとに、他の印象派の画家が来ることも望んだわけです。ゴーギャンは、自分の理想をタヒチに求めながらも、お金がなく、ゴッホの弟テオの援助を受けてました。ゴッホは苗字で、フルネームはフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホです。弟の名前は、テオドラスで、愛称がテオです。ゴッホより、4歳下になります。


 テオは大変優秀な画商で、ゴッホ一家を支えていたのは、彼です。彼の申し入れがなかったら、ゴッホとゴーギャンの共同生活は実現しなかったのです。ゴッホ(フィンセント)は、10年の間、絵を描き続けれたのは、テオのお陰なのです。私が読んだ書物の中の知識で、ゴッホが社会に順応できたのは、画商見習いをしていた、わずかな期間だけです。それも、ロンドンに行って恋をしてからおかしくなってしまいます。


 社会に溶け込むためには、どうしても妥協が必要になります。それが、ゴッホにはできなかったのです。ただ、勘違いしないで欲しいのは、テオが兄を援助したのは、兄の絵は今は売れていないけど、必ず売れる時が来る、と思っていたからです。誰よりも先見の目があったのは、弟のテオだったのです。


 ゴッホの人生は不幸だったと言われてますが、身近に理解者がいたことはラッキーだったと思います。もし、テオがいなかったら、ゴッホは寂しく死んでしまうしかなかったと思います。


 ゴーギャンは、1888年の10月にやって来ます。二人の共同生活は、ゴッホが耳を切るという最悪の結果で終ります。切ったのは、右耳です。どういう経緯だったかは、明らかになっているようで、なっていません。逃げるようにゴーギャンは、アルルを離れたので、ひょっとしたら、ゴーギャンにもやましいことがあったのかもしれません。


 ただ、私が思うには、ゴッホという人物に共同生活は不可能だと思います。普通は我慢して合わせないといけないことが彼には、できないということです。しかし、逆にそのことが、凄いパワーで絵を描けたのではないでしょうか?

ゴッホの椅子 ゴーギャンの椅子

 この二つの椅子は、ゴーギャンがいなくなった後の、12月に描かれています。二つの椅子を同時に観ることはできません。ゴッホの椅子(油絵・キャンバス・93×73.5cm)は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーにあって、ゴーギャンの椅子(油絵・キャンバス・90.5×72.5cm)は、アムステルダムのゴッホ美術館ににあるからです。


 私は、夏の旅行で、この二つの椅子を観ることができました。大きさもほとんど変わらない、二つの絵は、かなり違います。それぞれが、自分の人柄を現しているようです。ゴッホ椅子は質素で、座る部分にパイプが置かれてます。四本の足のうち、手前の向かって左の足はねじれてます。この椅子は、本当に座れるのでしょうか?床もタイルで質素です。面白いのは、奥の箱に入ったタマネギです。箱には、『Vincent』と、ゴッホのサインが入ってます。やはり、生命の息吹を感じます。


 一方、ゴーギャンの椅子には、肘掛もついて豪華です。椅子にキャンドルが置かれ、ロウソクが二本さされていて、一本だけ火がついてます。このことは、アルルに残ったゴッホを暗示するのでしょうか?本が二冊置かれています。壁にも明かりをしめすものがあるので、夜でしょう。床には、絨毯がひかれているのでしょうか?私は、ゴーギャンの作品を沢山観たわけではありませんが、彼の絵に似ている気がします。同じ明るい色を使うにも、ゴッホはモネのように混ぜ合わし、ゴーギャンはマネのように、べっとりと塗るように思われます。


 皆さんは、これら二つの椅子を観てどういう風におもわれますか?感想を聞かせて頂けると有難いです。




二つの椅子は、出会うことはないのかもしれません。


次のページでは、一番有名な作品のひとつ「花瓶のひまわり」について述べます。


(2003年8月22日作成)

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