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佐村河内守事件とベートーヴェン


 交響曲「HIROSHIMA」なんて、名前からして聴く価値無しなんだということはわかりきっているんだが、日本人はこういうのに弱いんですかね。昔、グレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」も似たような売り出し方をしてバカ売れしたっけ。あれはいわゆる現代音楽であって、評価する人はいても、喜んで聴くような音楽じゃない。今回のこの曲は全く知らないが、グレツキよりはマシだったのかもしれない。
 さて今回の事件、ベートーヴェンにも類似の事件があったのはご存知だろうか。それは約200年前、「ウェリントンの勝利、別名ヴィットリアの戦い」、通称「戦争交響曲」の裁判沙汰である。

■おさらい「ウェリントンの勝利」とは
 ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー率いるイギリス軍は、1813年にヴィットリアでナポレオン軍を打ち破った (*1)。この勝利に酔ったウィーンで、ヨハン・ネポムク・メルツェル(兄 *2)は音楽にして一儲けすることを計画し、作曲をベートーヴェンに持ちかけたのだ。メルツェルは機械仕掛けの自動演奏楽器「パンハルモニコン」を発明(1805年)しており、それに適した音楽があれば大助かり。そこへ国を挙げて喜ぶ大勝利がきたとあれば、それに乗らない手はない。時期さえ逃さなければ景気のよい祝勝音楽はすぐに話題になり、人気は確実、ガッポリ大儲けと踏んだのである。メルツェルの依頼を受け、ベートーヴェンは、管弦楽用のスコア以外に、ピアノ用などを作曲した。

■経緯
 儲けることに腐心するメルツェル(兄)は、いつでもどこででも演奏できる権利は、この曲の企画立案した我に有りと主張した。つまり著作権保有の主張である。しかし当然作曲者ベートーヴェンは譲らない。「ウェリントンの勝利」は企画したメルツェル(兄)のものか、はたまた作曲したベートーヴェンのものか。これは裁判に発展し、1808年審議が始まった。

 長期間に及んだ裁判の結果、1817年12月に和解に達し「ウェリントンの勝利」はベートーヴェンの所有物、すなわち著作権の保有が認められた。人々の意識の上ではもとよりベートーヴェンの作品であったに違いないが、法的にも同等の結末となったのだ。こと権利や金に関してうるさいベートーヴェンゆえに、すぐに表沙汰になったところが今回の事件と異なるところだろうか。当時の凡百の作曲家とは違うベートーヴェンは、社会的にもひとクセある人物だったのである。

■2世紀後
 約200年前、戦争を題材にした音楽で裁判沙汰となった史実が、ここ日本で2014年に再現された。奇しくもベートーヴェンという文字が文面に躍る。これを歴史のいたずらと言っていいのかわからないが、不思議な何かを感じるものである。
 ともかく、現代のベートーヴェンは誰かというなら、創造者である新垣氏のほうがベートーヴェンにはるかに近い。

■本文より重要なマメ知識>
*1 チャイコフスキーの曲で有名な1812年のモスクワ遠征失敗とは関係ない。
*2 ヨハン・ネポムク・メルツェル(Johann Nepomuk Mälzel、兄)は、メトロノーム(1816年)を発明したことで有名である。しかし、裁判沙汰の結果としてベートーヴェンの創作活動の邪魔をした兄と異なり、弟のレオポルト・メルツェル(Leopold Mälzel)は、ベートーヴェンのためにいくつも補聴器を作って贈った優しい男なのである。口をすっぱくして言うが、兄と弟を決して混同してはいけない
(2014.2.6)



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