ベートーヴェンの交響曲第7番
第4楽章
上のタイトルに興味があって第4楽章にまで来た人、ご苦労様です。期待通りアホやってみました。この「ちゃんちゃかちゃん」という文句で、「演歌ちゃんちゃかちゃん」「第4楽章冒頭の音の、タンタカタンというやつ」の両方を連想していただくと、私の意図が達成されたというわけです(笑)。
1.全力疾走、ここに極まれり
第1楽章のホルンの咆哮、第2楽章のむせび泣く旋律で、これ以上の盛り上がりはあるのかと思うかもしれない。しかし、この曲はまだまだ上を行く。第4楽章は最初から疾走する。
そして、コーダこそがこの曲の白眉。もちろん第2楽章の魅力も捨て難いし印象深いが、やはり第4楽章、しかもコーダだ。そもそも、この最終楽章には速度の変化がないところが面白い。普通、最後の最後で盛り上がろうとしたとき、速度を変えるなどの工夫に走ることが多い。交響曲第5番の第4楽章もそうだ。しかし、この曲はそのままの速度で疾走する。全力疾走だ。一応、表記上は第3楽章がプレストで、第4楽章はアレグロであるが、取り扱う小節の性質上第4楽章の方が早くなってしまうのだ。そして、空前絶後の盛り上がり。熱狂、陶酔。この楽章で興奮しないで何に興奮しろと言うのだろう。
2.さわやかに中断するフルート
この全力疾走と少し似ているのは、第1楽章の序奏であろうか。その重厚な音楽の中で、その重厚さをさわやかに引き継ぐためにフルートが出てきた。同様にこの楽章でもフルートが途中で出る(b.202)。フルートほどさわやかに鳴る楽器は他には無い。ひと息つくにはフルートしかありえないのだ。もし、この楽章で「音色」を気にする部分があるとしたら、ここだけであろう。
3.ここが面白い
b.452,458のビオラの動きは、非常に面白い。ここが聞こえるのと聞こえないでは大違い。同様に、b.8など、ビオラや第2バイオリンの細かな動きを見ていると、なぜそんな凝ったことをと思う。これがスコアを見る楽しみというもので、いろいろな場面でのその効果や動きの必然性を考えたりすると、緻密な作曲技法に感心して、興味尽きないのである。
4.コーダこそ全て
第7番の第4楽章コーダは、空前絶後の盛り上がりを誇る。まさにベートーヴェン音楽の真骨頂だ。よく考えると小手先の制御が効かない、難所である。なぜなら、最後の最後であり、指揮者も演奏者も疲れているところなのだ。この曲だけではないが、ベートーヴェンの交響曲はさすがにスタミナが必要。35分ほど頑張った後でのこのコーダでは、ああ早く終わりたいとか、思うであろう。曲が曲なだけに熱狂してしまって、練習の時の指示を忘れて加速してしまったり、ということもあるだろう。
コーダ突入の合図はb.345(譜例6)だ。この「タンタカタン」4連発がミソである。ここまでの間、同じ音程での「タンタカタン」4連発は無かった。だからこそ、ここでの4連発がいかにもコーダという雰囲気を作り出しているのだ。
このコーダの特徴のひとつに、p(弱く)はたった一個所、b.435しか無い、という事実がある。このコーダを盛り上げるためには、普通、どこかで一旦音量をp程度にして、そこからクレッシェンドする、という手法が取られる。これは、指揮者ワインガルトナーが解説本でも推薦しているやり方であるが、これはもともと楽譜の指示に無いことであって、効果はあるが、実際のところいかがなものだろう。ワインガルトナーの演奏を聴くと、本当にpまで音量を下げていることがわかる。でも、それではベートーヴェン特有の運動エネルギーが保存できなくなるのではないか。
コーダの盛り上がりでは特別の冴えを見せる(熱情ソナタ、エグモント序曲、レオノーレ序曲第3番、ラズモフスキー第3番)彼のことであるから、pまで音量を下げてはいけない、下げる必要が無い理由があるはずだ。だから、良識ある指揮者はどんなに弱くてもmf(やや強く)程度にしかしないものなのだ。ベートーヴェンは、クレッシェンドにしたい所は必ずそのように書いている(b.436)。まず楽譜をよく見て、そしてクレッシェンド類似の表現を見つけ、それにあわせて指揮者は解釈していくのだろう。
コーダの記述を見ると、f,sempre piu f,sf(スフォルツァンド),ffがある。sempre
piu
fは、クレッシェンドと類似の意味をよく持たせている。だから、b.389からがクレッシェンドであるという解釈が普通だろう。というわけで、それまではfのままということになる。b.367以降、バイオリン、ビオラは細かな音型を演奏しているので、じつはある程度以上に強い音を出せない。逆に、b.361以後のティンパニとトランペットは、fが念を押すように書いてある。つまり「弱くするなよ」彼はそう言っているのだ。反対に管楽器にはb.358以降のしばらくの間、強さの指示が無い。しかも、あたかも音量が弱くなっていくような音の動きをしている。チェロ等の低音弦は、うごめくように少しづつ沈潜していく。このような場合、通常は音が自然と弱くなるようだ。しかし、無理に音を小さくする必要は無い。低音のうごめきは、効果的に後の盛り上がりを用意できる。私が思うに、この低音のうごめきをしっかりと聴かせて、その上でのバイオリンや管楽器の音の動きもはっきりと聴かせたかったために、ディミヌエンドなどの小細工を決して書かなかったに違いない。
さて、無理に注意しないでそのまま演奏していくと、弦楽器や管楽器は自然とmf(メゾフォルテ)程度まで弱くなるようにできている。だから、あえてトランペットとティンパニには、「お前たちだけは音を弱くするなよ」と書いてあると考えられる。彼らまで音が弱くなってしまったら大変だ。どうやって最後の盛り上がりをすればいいのか。それはともかく、b.389小節で音量が安定しクレッシェンドになる。
せいぜいmfまでしか音量が落ちていないために、延々としたクレッシェンドは困難だ。バイオリンは細かな音型を連続して演奏するので、クレッシェンドにはある程度までしか役に立たない。低音弦も同様である。まずb.389からは、管楽器がクレッシェンドをがんばる。クラリネットのみがb.392まで休んでいるのは、次の盛り上がりで加勢するためであろうか。次にb.397から第1第2バイオリンが1小節づつ交互に演奏する(譜例5)ので、ここでクレッシェンドのパワーが稼げるといえる。木管楽器は音量があまり増加できない分、音程を上げていくことで補う。本来、ホルンはなかなか音量を上げることができない。そのために、b.401までfのままだったトランペットとティンパニに、最後のクレッシェンドを全て任せているのだ。たった3小節でfからff、いやそれ以上に音量を増大させられるのは、数十人の管弦楽の中で、この2つ(3人)の楽器しかないのである。3人がオーケストラ全体を引っ張っていく非常に重要な場面だ。
どうであったろうか。楽譜に書いてあることをきちんとやれば、できてしまうのである。ここから後は、随所に出てくるsfを強烈にこなせば大丈夫、皆の熱気でそのまま強行突破(譜例7)、拍手喝采いい気分であることは間違いない。