生誕250年に寄せて2
シンドラー氏、「運命」を変えた、のか?
1808年 12月22日 初演
1809年 ライプツィヒにてパート譜を出版
1810年 ホフマンによる批評
1826年 ライプツィヒにてスコアを出版
1828年 アブネック氏率いるパリ音楽院管弦楽団が演奏(フランス初演ではないが)
1830年 メンデルスゾーンがゲーテにこの曲をピアノで聴かせた
1840年 シンドラーがベートーヴェンの伝記を出版(初版)「運命はかく扉を叩く」の発祥。捏造が多い問題の伝記。
これが交響曲第5番の初演後の動きだ。
「運命」という、ほぼ日本でのみ通用する曲名はシンドラーの伝記に載った逸話がもとになっているが、これはベートーヴェンの死後13年も経ってからのことになる。しかも、他の誰も書き遺していない逸話であるため、シンドラーのその他の罪状と合わせて「捏造で確定」となっている。
その逸話が世に出る前、スコアの出版は1826年であるから、ホフマンは演奏こそ聴いたとは思うが、スコアではなくパート譜、あるいは編曲版を見て批評した。当時は、売れそうな曲には室内楽用の編曲も出版されるのが習慣だったが、交響曲第5番も同様で室内楽版があったのだ。そして御覧の通りメンデルスゾーンがゲーテに聴かせたとあるように、相当有名な曲であったことは事実である。アブネックはパリ音楽院に管弦楽団を創設したが、これはほぼベートーヴェンの交響曲を演奏するために作ったと言ってよく、アブネックはベートーヴェンの交響曲全てを積極的に何度も演奏した。
詩人のクフナーがベートーヴェンに尋ねた
「あなたの交響曲で一番好きな曲はどれですか?」
「エロイカだ」
「ハ短調だとばかり思っていましたよ」
「いやいや、エロイカだ」
という逸話でもわかるように、ハ短調(交響曲第5番のこと。当時は番号を使わずに曲の調性で示した)は代表作ととらえられるほどに有名であった。
ところが…日本人は言葉に騙されるのである。
音楽に国境は無い(と言われる)。私は、低いながらも異なる言語間の壁があると思うが、ともかくそうなっている。しかし、もうひとつ壁がある。理解の壁だ。音楽とは楽しむものであるはずなのに「理解」とはこれいかに。理解できない謎かけであるが、なぜか日本ではクラシック音楽を理解するものと思う人が多い。「クラシック音楽? ワカリマセ〜ン」。なぜ「わかりません」なのか。「面白くないです」「つまらないです」ではなく「ワカリマセ〜ン」なのだ。これはなぜか。私が思うに、クラシック音楽を授業で習うからだ。なぜ「クラシック音楽を習う」のか。それは学習の対象なのか?
中学校のときに渡された音楽の教科書の副読本。これがクラシック音楽に入ったきっかけである自分は、実際のところ音楽の授業に感謝すべき立場ではあるのだが…。それでも、クラシック音楽は習うものである、という意識が大多数を占めているのだろう。だから「ワカリマセ〜ン」なのだ。
となると、どうなるのかっていうと、なぜか言葉が台頭してくる。クラシック音楽を言葉で理解しようとするのだ。だから学習ではないというのに。言葉は簡単だ。辞書を見れば意味が書いてある。辞書を読まなくても、簡単な単語なら誰でもわかる。そう、だから「運命」なのだ。ヨーロッパで「運命」(という意味の単語)でこの曲を示すことは、まず無いと言ってよい。そこが日本と違うところである。
ヨーロッパではシンドラーが何も書かなくても、交響曲第5番は名曲として君臨しただろう。しかし、日本では早く受け入れられるために言葉が必要だった。「運命」という誰もがわかる言葉。人生で密接かつ重要なものだというサイン。そして曲に衝撃的な何かを含むであろう予感。「運命」という言葉が感じさせる一切合切が、本来の曲の内容にぴったり合ってしまっていたのだ。そして、特に、冒頭のあれである。はじめて外国の音楽が日本に流れてきたとき、曲が何を意味するのか、そのまま納得してしまうのもやぶさかではない。
ちなみに私がシンドラーの捏造逸話をどう考えるか、についてだが、
「運命はかく扉を叩くのだ」
などという絶妙の表現を、弟子のリースやチェルニーでもなく、シンドラーのみに語るはずはない。得意げに、他の人にも言ったと思うのだ。シンドラーは、ピアノソナタ ニ短調(Op.31-2、第17番)についても、「何を表現するのですか」とおそらくしつこく尋ねてベートーヴェンが渋々「シェークスピアのテンペストを読め」という言葉を引き出したが、これも同じだろう。ここでも書いておくが、私の考えは
作曲家が自分の曲について何を表現するか聴衆に知っておいてほしいのならば、必ず自分自身ではっきりと「言葉を記しておく」はずだ。「英雄」交響曲でも、自分で表紙に書いたではないか。「田園」交響曲でも、説明を付けたではないか。言葉が何も記されていないのならばそれは「音楽のみで完璧に表現している」はずであり、それを根掘り葉掘り尋ねるのは、曲から何も感じ取ることができていないか、さもなくば「あなたの曲は出来が悪い。真意を聞かなきゃわからない」と言いたいだけ、ということになる。
交響曲第5番に限らず曲に言葉による説明を求めること、特に「この曲は、どんな思いで作曲したのでしょうか」という、短絡的かつ無思考なシンドラーのような問いは、他の誰の曲であろうと避けなければいけない。
というわけで、手垢にまみれた「運命」という言葉が付いているばかりに、たまたま「耳が聞こえなくなった」という音楽家として衝撃的な病気とベスト・マッチになってしまったために、それで曲の説明が完璧だと言わんばかりに「運命」交響曲と呼ばれるのは、作曲者本人としてははなはだ不愉快であるに違いない。よく考えてほしい。逸話が出たのはベートーヴェン没後のことなのだ。
ということで、「運命」という言葉は音楽鑑賞の上で実は全く役に立たないのだが、幸いなことに私が与えられた中学校での音楽の副読本で多くページを割かれていたのは、交響曲第5番ではなく交響曲第6番「田園」だったのである。ちなみに、現在の教科書では「田園」ではなく交響曲第5番が扱われている。
これまた幸いなことに、私は全く無垢な知識と経験の上で、この曲を初めて聴くことができた。30分と少しの時間を必要とするこの曲の初体験の印象を全く覚えていない。しかし、最初に与えられた6枚のLPレコード(*1)の中で、お気に入りであったことは事実である。そのままン十年。とりあえず生演奏も何回か聴いたかな。
子供の頃の私は物事を深く考えることが全く無かったので、レコードの解説には「運命」云々のくだりがあったはずだが、何も感じていなかったに違いない。そう、子供でも、素直に聴けばわかるのである。さてあなたのお子さんは35分ガマンできるかな? いや、正座して聴けとまでは言わない。ながら聴きでもいいのだ。
*1最初のレコードは、カラヤンの「運命」&「田園」、カラヤンの「未完成」&「新世界」、ヘルマン・プライのシューベルト歌曲集、吹奏楽による行進曲集、バースタインの序曲集、あと1枚は記憶に無い。
(2019.11.27)