ベートーヴェンの「第9」遍歴
最初の経験
「第9」を最初に経験したのは、1974年、14歳、ワルター指揮ニューヨークPOによるLPレコードでした。モノラルで1000円でした。なぜそれを選んだかと申しますと、ただ安かったからです。小額の小遣いでしたから、なるべく安いものを買ったのです。そして、なんと、ほとんど同時にスコアを買っていました。全音楽譜出版社のポケットスコアでした。それまでは、第1、2、8番などの交響曲のスコアを買っていましたから、その点だけについてはマセたガキであったわけです。「ワルターの演奏は暖かい」などと言われますが、この演奏は録音のせいか、冒頭から鋭く聞こえてきました。CBSソニーは昔も今も録音がヘタです。
次に買ったのは15歳だったでしょうか、カラヤンとフィルハーモニーOの東芝EMI盤で、たしか1500円でした。これは擬似ステレオだったような気がします。違いましたっけ? 今では擬似ステレオというのは、フルトヴェングラー程度しかありません。そして、この2枚のみで「第9」鑑賞はしばらく続いたと思います。高校生の頃から、名古屋フィルハーモニー交響楽団の「第9」演奏会に行くようになりました。
珍しい録音
1973年頃ですが、コンティグリア兄弟によるリスト編曲2台のピアノによる「第9」が出ました。しばらく遅れてそれを見つけた私は、当然のように買いました。発売開始後3年近くたっているのに、廃盤になっていなかったのは珍しい。しかし、ただ1点のみ失望したのでした。リスト編曲では、なぜか第4楽章で1小節抜けているのです。それくらい弾いてみればわかることなのに、しょせん二流ピアニスト、書き直して演奏してはくれませんでした。そもそもリストにあるまじきことです。チェルニーの弟子であり、ベートーヴェン直系のピアニストであるはずなのに。こいつ(リスト)は、他にもドジをふんでいて「第5」のピアノ編曲でも、第4楽章にあるはずのない1小節をはさんでしまったのです。こいつ(リスト)は、こういう点で、間が抜けているのです。ピアノ盤「第9」で満足がいくには、カツァリス盤が出るのを待つしかありません。(カツァリス盤は、大変満足できるものであったことを付記しておきます)
高校3年から大学に入るまでは、親からレコード購入禁止令を親から食らいました。ちょうどカラヤン/ベルリンPOによる新しいベートーヴェン全集が進行中で、「レコードマンスリー(略してレコマン)」という無料雑誌を読みながら、指をくわえていた記憶があります。
大学
大学に行きますとバイトをします。それで、1300円、1500円といった廉価盤を買うようになりました。当時はLPの主要価格帯は2200〜2400円でした。3番めに買った「第9」は、ベーム指揮ウィーン交響楽団のモノラル版1300円でした。その後、猛烈な勢いで増加していったのです。河合塾などでのバイトでかせいだ金は全てLPレコードなどに消えていきました。この頃にはトスカニーニ、フルトヴェングラーなどが加わってきました。
大学3年の頃、オトマール・スゥイトナー指揮ベルリン・シュターツカペレの演奏がはやっていました。B&Kマイクロフォンという質の良いものでデジタル録音されたということでした。私もご多分にもれず「第9」を含め買い続け9曲全部そろえるところでしたが、演奏そのものが地味でしたので、全9曲そろう直前に、全部中古屋へ売ってしまいました。今は、思い直して買ったCDが3枚ほどあるのみです。一世を風靡したはずの録音でも、今は見向きもされないものってあるものですね。
同じ頃、ベーム最晩年かつ最後の録音「第9」が鳴り物入りで出ました。もちろん買いました。ゆっくりとした演奏でしたが、私には違和感なく楽しめました。重厚でよろしいじゃないですか。1997年現在、ベームの演奏はあまり店頭に並んでいません。これは寂しいことです。なお、これはデジタル録音初期のものでしたが、LPレコードでしたので量子化ノイズの問題点は隠れていました。CDが出始めたのはその2年ほど後のことです。他には、ワインガルトナー、クリュイタンス、ハイティンクがコレクションに加わりました。
会社
会社に入った頃からは「外盤」に手を出しました。東京出張で秋葉原の味をしめた私は、カラヤン、ライナー、ベーム(1970年とバイロイト盤)などを購入していきましたが、それよりも全ベートーヴェン作品の録音を探すことに集中していました。誰も買おうとしない曲を探して買う。至福の時代です。秋葉原では定番の石丸電気以外にも、スキヤ橋のハンターとか、お茶の水のレミントンといった、マニアな店に出入りしたりしました。おかげで「第9」の増加は小康状態でした。
この頃にピアノソロによる「第9」カツァリス盤が出ました。衝撃でしたね。最初は「田園」に始まり、最後に「第5」のLP(今はCD)が出たわけですが、そのすごさといったら!
また、ケーゲル盤「第9」を買いました。ケーゲルはCDで買った最初の「第9」でしたが、合唱の部分になると、レベルオーバーのノイズがやたらと耳につきました。失望しました。演奏も大したことはありません。すぐに売り払ってしまいました。
じつは、この頃になってやっと「第9」がなぜすごい曲なのか、確かな手応えとともにわかるようになってきたのです。10年以上かかりました。
高品質/古楽器
1980年代後半になりますと、キングレコードが高品質LPレコード「スーパーアナログディスク」を発売し始めます(じつは1970年頃かな、「オーディオラボラトリ」という高品質LPがありましたが、私は知りませんでした)。そこでなんと待望の「第9」が、しかもイッセルシュテット/ウィーンPO盤で出たのです。すごいですね。ウィーン・フィルの音がCDよりも鮮明に暖かくまた重厚に、豊かな響きで鳴ったのでした。感激モノです。CDなんて、メじゃありません。
1990年を過ぎますと、CDも高品質の時代になり、録音がお上手になってきました。また演奏そのものも古楽器演奏が市民権を得てきました。ですが通常のオーケストラの録音による「第9」は逆に下火になってきたような感じがしました。めぼしい巨匠がどんどんお亡くなりになりました。カラヤンも、ベームも、バーンスタインも、すでに過去の人です。アバドはまだ若造です。ジュリーニもレヴァインもシノーポリもメータも、まだ買う気をそそるには至りません。きっと、私には、もう買う気をそそる指揮者は出ないんじゃないかと思うようになりました。そうそう、朝日奈はまだ買ってませんね。今思うと不思議です。別ページ掲載のリストにあるように、1992年以降の録音をほとんど買っていないのは、もう、自分には、最近の演奏は不要ではないか、と思うようになったからです。フルトヴェングラーやトスカニーニ、カラヤン、ベーム、クーベリックを超える人が出てくるのか。彼らの解釈を超える人が出てくるのか。そう考えると、今の指揮者の録音を購入する意欲は「ゼロ」になってしまうのでした。私は「第9」だけのマニアではないので、これでいいんです。
第9の魅力とは
ひとことで言うと「巨大さ」です。ただデカいだけではありません。統一のとれた「デカさ」。第1楽章の大きさは、最低4小節単位で流れていく、その大河のようなうねりがあってこそのもの。前進するエネルギーにあふれた第2楽章は、決して細切れになることがない構造を持ち、これも、巨大であるのに巨大さを感じさせないくらい一気に聴かせます。第3楽章は、慣れない人は眠ってしまうかもしれません。変奏曲の王道を行くその技法は、彼以前の他の作曲家では交響曲に使わなかったほどの、ベートーヴェン独特の長い長い旋律をゆったりと響かせます。
これら3楽章が、かつてどの世界にあっただろうかと、私は思います。年表を見てください。ハイドン、モーツァルト亡き後、「第9」が生まれる頃まで、新しく生まれる名曲はベートーヴェン以外は皆無であったといえます。その空白の19世紀の最初の四半世紀の、その総決算は「第9」であります。
第4楽章は言わずもがなでしょう。当時としては「第9」そのものは長すぎたということですが、内容や構造を考えたら、その巨大さは必要十分で、長すぎることなく短すぎることなし。各楽章の細胞ともいえる最も小さい構造が、その巨大さを十分に支えていることが、今はわかるようになりました。
ご参考
名古屋にいますと、地の利を感じます。東京ほどではありませんが、一応中古レコード屋も古本屋もあります。金さえあれば東京へは2時間で行けます。大阪だって、時間的にも近いです。東京にいれば全てが早く揃うとは思いますが、この街でも十分に満足しています。逆に、もし私が別の所、たとえば名古屋まで2時間かかるようなところに住んでいて、周囲には中古関係の店がなにも無かったとしたら....。きっとこれだけの趣味を維持することなんてできなかったに違いありません。私は幸運であったと思います。とにかくマニアになるには、環境条件が重要です。