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単発講座「ベートーヴェンの進歩の分析」(改訂)


「ベートーヴェンの、守・破・離」
 これから書くことは、別にベートーヴェンしかあてはまらない、というわけではない。他の作曲家でも、あてはまる人はいると思う(が、知らない)。あなたが大ファンの○○○は、どうであろうか。それに、これはクラシックの作曲家にしかあてはまらないわけでもない。「守・破・離」(しゅ・は・り)は、茶道の言葉なのであって、おそらく芸術全般に言えることである。芸術以外の分野でもあてはまることが多いであろう。

茶道は知らないが

 茶道では、入門すると、お師匠さんの型を学ぶことから始まるという。茶道というと、高校の文化祭で、ただお茶を飲みに行ったことしか記憶にない私であるが、動作などのひとつひとつに決まりがあることはわかる。何がなんだかわからないけど、そういう文化継承だから、やる。どこまで理論を教えてくれるのか知らないけど、とりあえず言われた通りにやる。これが、「守」。型を守るということなのであろう。
 いろいろ真似て、師匠と同じことができる(そんな簡単なもんか)ようになると、次が「破」になる。何年もかかると思うが、お師匠さんのやることが全てできるようになったら、次はそこに、オリジナリティを盛り込むということなのだという。すると、それはその人の個性が発揮されることになる。しかし、これは、基本が完全にわかっていて、基本が完全に身についているからこそ、そこに別のものを加えることができるというわけである。「守」ができていなくてオリジナルなことばかりやっていると、基本ができていないので、結局長続きしないし、完成されたもの特有の何かは望めない。とにかく、「破」は、「守」があってこその流れの延長線上にあるのだ。
 「破」ができるようになると、それは自由自在の境地の入り口に達したということになる。茶道では、普段の生活そのものが茶道の延長線上というか、茶道そのものというか、茶道で体得した「道」というものが常に身からにじみ出ているように、振る舞っていることをさすようだ。ものが茶道なだけに、風流な振る舞いなのであろうか。それはさておき、つまり、それが「離」で、茶道の茶から離れても茶道、何をやっても茶道、茶道をやっていても、茶道であると思わせないほどの茶道の神様のような人。茶道で学んで身につけたことが、全身をもって常に示すことができる。目の前に茶が無くても関係ない境地になるのであろう。

まず学ぶ

 およそ文化を継承すべく学ぶ上で、「守」から始まるのはどれも同じのはずだ。であるから、作曲家は、和声学や対位法を最初に学んでいるわけであろう。ベートーヴェンも例外ではない。飲んだくれのオヤジは別にして、生地のボンではネーフェという先生について、いろいろ学んだというし、ウィーンに出てからは、ハイドンやアルブレヒツベルガーやサリエリに学んだということである。サリエリは、モーツァルトの映画「アマデウス」で有名なサリエリだ。歌曲の作曲法を学んだということである。
 1800年以前のベートーヴェンの作品は、たしかに個性はあるが、まだまだ「守」の段階といえる。ソナタ形式や、和声については、きちんと当時の習慣を守って作曲している。さすがに旋律そのものや展開の方法までは、先生を真似るよりは、時折、自分の癖が出て、一部の人に評判が悪い。しかし、さすがに王侯貴族、耳が肥えている。いいものはいいと、必ず心酔する人が現れるのである。「守」の段階が何であるか、作曲する人も聴衆も、よくわかっているウィーンである。
 交響曲では、第1、2番。ピアノソナタでは、悲愴ソナタあたりまでであろうか。作品がきれいに並んで進歩していて、明確に区切りの線を引くことはできない。またあるひとつの時点で、交響曲も、弦楽4重奏曲も、ピアノソナタも、同じように区切ることはできない。しかし、明らかに変化していることはわかる。
 およそベートーヴェンの作品を総括的に解説する文章では、作曲の変遷を前期、中期、後期に分ける。じつは、これが「守・破・離」の各々に対応するわけである。すなわち、古典派の規範にのっとった前期。次に、様々な試みを盛り込んだ中期、そして、前人未踏の境地に赴いた後期となる。
 弦楽4重奏曲は、op.18の6曲は前期である。

「破」がベートーヴェンの個性

 「英雄」に始まり、交響曲第5番、「田園」「テンペスト」「熱情」「ワルトシュタイン」「クロイツェル」「ラズモフスキー」「皇帝」。これら「名前付き」の曲を並べただけでも、この威容は、いかがであろうか。これこそが、ベートーヴェンの「破」の時代。形式の「かせ」を越え、新たなものを付け加えた結果の一部がこれら名曲である。どれもが、どこかに「破」の要素を持っている。従来からの古典的形式を踏襲しつつ、新機軸を盛り込むこと大なる作品群である。どれもが超個性。どれもが、ただ1曲で歴史に残ると言われる名曲だ。
 また、これらの曲には重要な特徴がある。それは取っ付き易さだ。どれもが、「あ、こういうものを私は聴きたかったんだ」というものを持っている。名曲の条件とは、期待を裏切らない、明確で平易で個性的で印象的な何かを持っていることである。あまり限定してはいけないが。

「離」に至り、神業に至る

 交響曲では、第7、8番がその「離」に達した頃と考えてよいであろう。弦楽4重奏曲なら、第12番あたりであろうか。ピアノソナタなら第26番あたりからか。
 交響曲は9曲しかなくて書きやすいので、これを例にしよう。技法が神業(かみわざ)の域に達したということは、第7、8交響曲からであろうか。交響曲第5番、「田園」では、交響曲の形式は一応守ろうとしながらも、様々な試みを加えたために、楽章の結合、増加が行われたり、一つのモチーフで全体としての統一を図ったり、盛り込む内容に自然の描写(実際は感情の描写)を加えるなど、した。しかし、第7番では、形式上はもとに戻ったかのように見える。しかし、もう古典派の交響曲からは十分に逸脱した世界を構築している。第1番や第2番でも、たしかに個性的ではあったが、第7番は未来の音楽としてよいであろう。
 第8番では、形式も何もかもが達人の域であるが、一見小さな普通の交響曲に見える。何の変哲もない、ただの4楽章形式に感じられる。第7番のような燃える魂も見えない。しかし、それは、その後の曲をよく知っているために感じる錯覚だ。そこに書かれた管弦楽法は、神の如き才能を見せている。第7の圧倒的評価を聞いたベートーヴェンが、「第8の方が優れている」と言ったのは、それを知っていてのことであろう。たしかに外面的な聴き方では、圧倒的に第7番であるために、仕方のないことであるが、盛り込まれたものの完成度合いという点では、第8番は、大変なものを持っている。そこが「離」。もはや、「第8」の真似は誰にもできない。いや「第7」の真似も無理だろう。ここで間違えてはいけないのは、曲が大きいとか、目立つとか、人気があるとかと、「守・破・離」とは、関係はないのだ。

やはり順序よくこなさないと

 そして、第9番がくる。もう、形式なんて、どうでもいい。とうとう第1楽章のソナタ形式では、提示部の繰り返し記号は無くなった。晴れて、ソナタ形式は、統一のとれた有機体として生まれ変わった。第2楽章に引越しをしたスケルツォの中にはソナタ形式が盛り込まれ、形式にこだわらない新しい世界ができた。形式も表現も、スケルツォという言葉が、意味をなさない。前半2楽章を知っただけでも、それ以後の人は、何でもありの広大で豊かな世界をそこに見つけることができる。
 第3楽章は、形式上お決まりの変奏曲である。しかし、あれほどに息が長く、豊かで美しい旋律が、かつてあっただろうか。それまで発表された、多くの交響曲と比べてほしい。第4楽章は、もう、言うまでもない。たしかに、寄せ集めとしか思えないような複雑な構成をしているが、歌詞を加えることで、器楽というものの枠を越えようと試み、十分に成功したといえる。ベートーヴェンは、四半世紀で、交響曲という世界における「守・破・離」をこなしたのである。そして、茶道などと異なるところは、もう、世界の人々が十分にその「離」の到達点を知ってしまったということである。

 「離」の域に達した作品が目の前にあるのだから、それを目標として後世の作曲家ががんばるのは不思議ではない。しかし、「守・破」をこなした上で、はじめて「離」の境地で作曲できるわけであるから、「第9」(というより、第9に達する道のり)がいかに高い壁であったかということを今一度よく考えてみよう。ブラームスの交響曲第1番は、指揮者ハンス・フォン・ビューローが「第10交響曲が現われた」と言ったそうであるが、その後で「第2と第3(「英雄」)の間くらいのものだ」と言ったとか。ともかく、どこでも言われるように「不滅の金字塔」というのは、簡単に越えることは絶対に出来ない境地を指すわけである。そしてそれを越えるには、基本から始めねばならない。そして、地道に基本から始めていたのでは、いつになったら目標とする境地に達することができるのか、わからない。そもそも、目の前に「第9」という究極の目標が誰の目にも見えてしまっている。基本から着実にこなさなければ達することはできないとわかっていながら、そこに達するまでの距離感を認識すると、途方に暮れることであろう。
 外面的な大きさだけ越えようと思ったら簡単である。第9より規模が大きい作品は、いくつだってある。派手な作品も、いくらでもある。そして、ブルックナーもマーラーも現われて、時代は過ぎていく。しかし、時代はロマン派を過ぎ、近代現代となるにしたがって、交響曲という形式は死んだも同然になっていった。どのような内容を盛り込めば新たな進歩があるか模索するうちに、あるべき交響曲の姿を見失ってしまったのである。過去の作品の真似をするばかりでは出口が見えない。結果、完全に、交響曲という形式そのものが「守・破・離」の最終段階に来てしまったのである。ソナタ形式を使いこなす達人は消えていった。管弦楽法の妙技は、ただただ音色の組み合わせに重点が移り、交響詩などで頂点を極めることになるが、それも失われていった。そして、そうなる運命を引き起こしたのは、「第9」であり、ベートーヴェンなのである。もし「第8」までしかベートーヴェンが残さなかったら、いくばくかは交響曲の歴史は違ったものになっていたであろう。
 交響曲を例にとって書いてきたが、弦楽4重奏曲などもそうである。あなたの記憶にある名曲の倉庫の中で、ベートーヴェンの弦楽4重奏の後に生まれた名曲、大勢の支持を得ている曲を、いくつ知っているであろうか。では、ピアノ・ソナタはどうか。「第9」のかわりに、ピアノソナタ第30、31、32番で考えてもいいだろう。以後の名曲は、数えるほどしかないであろう。そこにも、交響曲と同様の現象があるはずである。ワーグナーが歌劇に進み、19世紀中葉にワルツが盛んになり、交響詩や単なる管弦楽組曲が多数生まれたりしたのは仕方ないことだったと考えるであろう。
 それが、ベートーヴェンこそが最も偉大な作曲家であるという理由なのである。



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