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ベートーヴェン前後


 ある作曲家の音楽をとても気に入った頃、それに似たような感動を与える曲を他の作曲家で探そうと思ったことはあるだろうか。私も、若い頃にあった。まず、ひととおりの名曲を聴こうとした。また、有名な作曲家ならよいだろうということで、ベートーヴェンの前後で探したりした。あたりまえなのだが、ことごとく期待を裏切られた。少なくともベートーヴェンに似た音楽は存在しなかったのである。ここでいう「似た」というのは、構造とか雰囲気とか感動の種類とか、さまざまな要素のどれかについてのことだ。ベートーヴェンと同時代はどうかといえば、それは次に記そう。ただ、ベートーヴェンと同時代とはいえ名も無き作曲家、歴史に埋もれた作曲家は聴くことすらままならなかった。いや、今ならimslpに行って楽譜も探せるし奇特な人がそこに演奏をアップロードしてくれているかもしれない。でも経験上、聴いてもうなだれて嗚呼時間の無駄だったじゃねーかとなる確率は限りなく100%に近い。それはベートーヴェンに限らず、著名な作曲家全てに関していえることだろう。

 ベートーヴェンと同時代で直前といえば、やはりハイドンとモーツァルトだ。ただ、私はどちらも交響曲程度しか聴かない。
 ハイドンの交響曲でも、今は聴くのは後期の数曲に限られる。第100番「軍隊」や第94番「驚愕」はさすがに面白いと思う。「ロンドン」や「時計」もいいよね。それ以外は、あまり手を出さない。実はいわゆるザロモン・セット以前の曲がなかなかユニークで面白いらしいのだが、それを面白いと感じるほどハイドンを聴いているわけでもない。ほら、例の「告別」を聴いたが、ま、それでおしまいである。私のハイドン体験はザロモン・セット止まりなのだろう。ハイドンの作風だが、主題の作り方などが若干ベートーヴェンに似ていると思う。気にするほどではないが。ただ、当時の慣習だから似ているように見えるのかもしれない。譜例は「軍隊」の第1楽章の一部。弦楽器主体なので、楽譜の風景はベートーヴェンにも通じるものがある。
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 モーツァルトは、交響曲以外にわずかのピアノ協奏曲を聴く。交響曲は年に数回聴くくらいか。お約束の最後の3曲と、「プラハ」「リンツ」までがいいところである。交響曲は、なるほどハイドンより魅力的に感じられるが、どっぷり浸かるような聴き方ができないところは同じだ。おまけに、ベートーヴェンからは遠い。モーツァルトが孤高の天才だからか、あるいはハイドンのザロモン・セットがウィーンのエッセンスをまとめたものだからなのか、ベートーヴェンはハイドンのほうに近いというのが私の結論だ。ただ、ベートーヴェンに似た何かを見つけようとしても、たいしたものは2人には見つからない。譜例はモーツァルトの「ジュピター」第1楽章。もちろんこの眺めは古典派の音楽で、そのことは間違えようが無い。
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 ベートーヴェンの後には、シューベルトがいる。おっと、シューベルトに言及する前に、話題作りの一環としてベルリオーズについて書く。ベルリオーズは、フランスの(たぶん一部の)評論家によるとベートーヴェンの正統な後継者なのだそうだ。ちょっと笑ってしまう見方なのだが、自分の国を持ち上げたい意図はわかる。しかしベルリオーズは誰とも全く異質の音楽を書く。幻想交響曲と「ローマの謝肉祭」序曲くらいしか知らないんだけどね。どれほど異質なのかは当時のフランスの一般的傾向を全く知らないものだから、なんとも書くことができない。ただ、ベルリオーズほどの変態な人物はフランスでも唯一無二だろうと容易に想像できる。ベルリオーズが既成観念をブチ壊すところはベートーヴェンに似ているかもしれないが、そこまでである。もしベルリオーズをベートーヴェンの正統な後継者とするなら、ベルリオーズについていけなかったフランス後世の作曲家は歴史から落ちこぼれたダメな奴ばかりということである。

 シューベルトは歌曲ばかりが有名になっているが、私はとんと彼の歌曲を聴かない。3大歌曲集? 一度も聴いたことはありません。あ、「菩提樹」なら学校で聴きました。しかし、ベートーヴェン好きなら、やはり交響曲から選ぼうとするでしょう。ということでまず「未完成」を聴こうとするが、おいっちょっと待て、ここは第8(7?)番の「大ハ長調」を選ばないとね。ドイツ語圏の曲なのにこの曲の名前をカタカナで「ザ・グレート」と書かれることに大変な違和感を覚えるが、昔ながらのレコードジャケットでは、もはや英語の「ザ・グレート」は伝統の域に達している。誰も文句を言わないのだろうか。ドイツ語圏で「ザ」はないだろーよ。
 ベートーヴェンの交響曲第1番あたりに相当する雰囲気の曲は、シューベルトなら交響曲第5番で1816年の作曲、少し間を置いて「未完成」は1822年、そして最後の曲らしい「ザ・グレート」は1825年だ。少しずつ変化していくのがわかるが、私の一番のお気に入りは「ロザムンデ(魔法の竪琴)」序曲(1820)なのだ。実はこの曲がベートーヴェン的な雰囲気に一番近いと思う。

 少し聴けばわかるように「未完成」は名曲であっても雰囲気は古典派からかなりブッ飛んでいるし、「ザ・グレート」は正統な古典派の交響曲で大作であるがシューベルトゆえか少々間延びしている。その中にあって「ロザムンデ」序曲は約10分の長さの中に十分にコンパクトに良いところを詰め込んでいる。展開部が無いが、そのぶん提示部と再現部の末尾が長めでそれを補完している。まさにこの曲が、ベートーヴェンに最も似た曲であると思う。ベートーヴェンなら交響曲第2番あたりか、あるいは「プロメテウスの創造物」序曲よりちょっと出来が良いあたりかなと思う(下の2つの譜面例では、上がロザムンデ、下がプロメテウスである)。
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 シューベルトは器楽でベートーヴェンを目指そうと思っていたところ、残念ながらすぐに死んでしまった。もう1曲くらい、どこかに名交響曲、さもなくば名序曲が埋もれているような気がしないでもない。

 さて、ベートーヴェン以後としてブラームスを出さないのはなぜかと思うかもしれないが、あんなもの、どこも似てないですよ。純粋にベートーヴェンが好きな私には、ブラームスは異質の音楽。新古典派とでもいうらしいが、これは「古典派に似て非なるもの」という意味ですからな。

(2013.1.21)



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