「バガテル大全」
「バガテルは、面白い」
バガテルは、ベートーヴェンの真髄のひとつです。交響曲もピアノソナタも、弦楽4重奏曲も、彼の真髄を体現しています。しかし、あまりかえりみられない楽しい曲たちがあるのです。それがバガテル。すなわちピアノ小品です。「バガテル」は、つまらないもの、ちょっとしたもの、という意味です。ですが、決して面白くないということではありません。
曲の長さは、ほぼ3分以下。30秒ほどのものもあります。きっと、さまざまな経緯で出来たことでしょう。とりあえず面白いメロディーを思いついたので作ってみただけとか、ピアノソナタに組み込もうとして、結局あぶれてしまったとか。がんばって仕上げようとしたけど、小曲のままだったとか。
そんなことはどうでもいいのですが、数曲まとめて聴くと、ちょっとしたピアノ組曲になります。さすがに後期の曲集(Op.126)などは、最初から組曲としての構成を考えて作られています。このことは注意しておきたいところ。
そうそう、「エリーゼのために」もバガテルに分類されています。これも忘れてはいけないことですね。
バガテルにある彼の真髄とは何か。それは、何物にもとらわれないで書いた、ひとつのリラックスした姿なのです。魂の自然な発現です。メロディと面白い音型との組み合わせ。和声のみでの面白い進行もあったりする。そういった、ちょっとした思いつきで出来た小さな曲たち。
もちろん、この精神はピアノソナタでも活かされています。たとえば、「ワルトシュタイン」第1楽章再現部、第1主題の確保直前の3小節(b.171-173)。あるいは、「ハンマークラヴィア」第2楽章の、例の通称「滝昇り」(b.112)とその直後。これらは、面白い思い付きに常に注意していた彼ならではの小節でしょう。
ここでは形式論など書いても仕方が無いので、どこが面白いかについて書くことにしましょう。
7つのバガテル Op.33
1 アンダンテ・グラツィオーソ・クアジ・アレグレット 変ホ長調
冒頭のおだやかで優しい旋律が主題ですが、その間には、遊んでいるかのような面白い音型(b.19など)が組みこまれています。遊んでいるとしか思えないような。しかしそれがうまく主題を導くように出来ています。細かな音の遊びです。主題も、変奏されてしまいます。
2 スケルツオ アレグロ ハ長調
右手の主題と、左手の合いの手が面白い冒頭です。途中で短調になるのも、物語っぽくて面白い。後半になると左手による「合いの手」がしゃしゃり出てきて、結局最後は、左右の手がいっしょになって遊んでおしまいです。
3 アレグレット ヘ長調
おだやかな主題なのですが、5小節めで和声が面白い変化をします。この曲の特長は、和声の変化にあります。左手は、おとなしいながらも工夫された伴奏を弾きます。
4 アンダンテ イ長調
物語ふうの主題です。高音部が主題のように聞こえますが、じつはひとつ下の内声部にも、対位法による主題があります。室内楽に編曲してみたら、面白いかもしれません。
5 アレグロ・マ・ノン・トロッポ ハ長調
音の動きが大変面白い音楽。この曲の主題(?)は、細かな3連符です。あまりに面白い動きですから、ソナタに組み込むとしても、浮いてしまうことでしょう。
6 アレグレット・クアジ・アンダンテ ニ長調
冒頭4小節の主題は面白い。前半2小節と後半2小節の対比。これまた面白いのは、後半の特にトリルです。これが最大の特徴で、後半で変奏されても、トリルだけはしっかり残っているのです。
7 プレスト 変イ長調
小さいながらも、A-B-A-B-Aの、ロンド・スケルツォです。音の跳躍が面白く、Bの部分との対比も、しっかり出来ています。コーダは、遊んでしまいました、といったところ。軽めのピアノソナタになら、どれに含まれてもおかしくない作品です。
11のバガテル Op.119
1 アレグレット ト短調
ごく普通の曲。そりゃ、バガテルなんだもん、大したことがない曲くらいある。Op.119の出来は、もともとそれほどではないのだ。
2 アンダンテ・コン・モト ハ長調
これは、ピアノ3重奏曲ハ短調Op.1-3の、第2楽章のコーダをもとにした曲です。どの部分かは、探してみてください。両手が交差して演奏するようになっていて、可愛らしく動く音型が印象的です。3重奏曲のコーダも同様に可愛く終わります。
3 ア・ラルマンド ニ長調
アルマンド風というこの曲は舞曲なのです。どこがどうアルマンドなのか私にはわかりません。ただ、コーダが類似の小節を執拗に繰り返すところに、一種、変な感じがあります。
4 アンダンテ・カンタービレ イ長調
聴くと、どこにでもありそうな音楽なのですが、この曲の特長は、10小節めあたりの、主題を離れた音の遊びにあります。ただし音の動きは、主題から派生したものと考えられます。
5 リソルート ハ短調
リズムは交響曲第7番第1楽章に似ていますが、他人の空似でしょう。リズムが執拗。
6 アンダンテ アレグレット ト長調
たいそうな序奏の後に続くのは、音の遊びの曲。徹底して音の形を演奏しつくしているという感じ。
7 アレグロ・マ・ノン・トロッポ ハ長調
トリルで遊んでいるとしか思えない曲で、結末では、何を考えていたのでしょうか。
8 モデラート・カンタービレ ハ長調
特に面白いものではない。
9 ヴィヴァーチェ・モデラート イ短調
単純な伴奏の上にメロディーが乗った、単純な曲です。
10 アレグラメンテ イ長調
ベートーヴェンのピアノ曲として最短といっていいでしょう。音の動きが面白いだけです。
11 アンダンテ・マ・ノン・トロッポ 変ロ長調
これも、特に面白いものではない。
6つのバガテル Op.126
1 アンダンテ・コン・モト ト長調
後半、主題が左手に移り、味わい深い音の流れが展開されるところは秀逸。小曲としては、かなりの出来。
2 アレグロ ト短調
冒頭の音の流れが面白い。じつは、楽譜上では左右の手を交互に使うことになっている。あとはめぼしいところは無いが、面白い曲。
3 アンダンテ・カンタービレ・エ・グラジオーソ 変ホ長調
コーダで突然現れる音型は、何を意味するのか?
4 プレスト ロ短調
見事なA-B-A-Bの変則ロンド。Bでは、ピアノソナタ第7番ニ長調Op.10-3の第2楽章の音型が再現されています。激しいAと穏やかなBの対比が見事です。Bの伴奏になる持続音に、不思議な雰囲気が潜んでいます。サビもきちんとあります(譜例1段目最後の小節から5小節ほど)。味わいのある逸品です。
5 クワジ・アレグレット ト長調
メンデルスゾーンでいうところの、無言歌です。ソナタ「かっこう」の第2楽章にも通じるものです。さわやか印象の佳曲。
6 プレスト 変ホ長調
アンバランスなものを感じさせます。冒頭のプレストと、次のやや幻想的なアンダンテの主題との対比もそうですが、その幻想的な主題の次に、3連符の幻想性のかけらも無い部分が続くと、一層、妙です。