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  5. 大権現様は、どこが偉大なのか

大権現様の、わしの音楽を聴け! 第1回
「大権現様は、どこが偉大なのか」



 今日は、私の肩の上にいて、いつも「わしの音楽を聴け」とうるさい大権現様ことベートーヴェン氏に、どこが偉大なのか、語っていただこう。例によって口が少々悪いのでご容赦願いたい。

(大権現様:以下、大)わしのことを楽聖などと持てはやしてくれる皆さん、ありがとう。いつもわしの音楽を聴いてくれているかな? 今日は、わしの偉大さについてお話ししてみよう。わしが偉大であることについて、多くの皆さんは、どうも「英雄」や「熱情」「合唱」「皇帝」を作曲したからだと思っているようであるが、それは全くの間違いだと申し上げておかねばなるまい。どうしてだと疑問をはさむ人は多いであろうが、事実である。たとえば「英雄」はたしかに偉大な作品であるが、わしの偉大さとは別のものだ。「英雄」などの名曲は、単に作曲した結果にすぎないのである。では、わしが偉大なのはなぜだと思うかね?
(なかさん:以下、な)耳が聞こえなくなったのに、すばらしい作品を書いたからですか?
(大)違う。そんなことではない。スメタナも耳が聞こえなくなったが作曲した。たしかにわしの曲より数段劣るがね。であるから、耳の病気は単なる不幸のひとつでしかない。ヘレン・ケラーの不幸に比べればマシである。ううむ、どうもわしの偉大さについて取り違えているふしがあるようだ。この際よく言っておこう。わしが偉大であるということは、耳が聞こえないのに「第9」を作曲したなどということではない。難聴を克服したということは、たしかに大変だったかもしれないが単なる一つの経験でしかない。わしの偉大さとはすなわち、常に進歩し続けていたということである。
(な)自分で言って、恥ずかしくないですか?
(大)はっきり言わなきゃわからない御人もいるものだ。さて、人は日々何をしているかという点で、3つに分かれる。第1に、気ままに考えて言って行動して、他人への迷惑も顧みず文句は言うし人を恨むし、罪を重ねている人。第2に、人の幸せを常に根本に置き、考えて言って行動し、人に幸せを運び自分自身も幸せなる人だ。第3はこの中間の人間である。
(な)そういえば「口と心と行いと生き様もて」という言葉がありますね。
(大)聖書か何かの言葉だろう。そういう言葉を教会に忘れてきてしまう人が、いかに多いことか。わしは教会なんかに行かなかったぞ。そこらじゅうで神様は私を見てくださっているのだ。いつも自分が何を言っているか、いつも何を考えているか、どのような行動をしているか、そしてどのような生き様をしているか。神様は見ている。たとえば自分の大嫌いな人が目の前にいたとしよう。そこで自分が何を言うか。どんな行動をとるか。それを、目の前の人の目と耳で、神様はご照覧しているのである。目の前に神様はいらっしゃるのである。そういうことでも、瞬間瞬間が真剣勝負なのだ(*)。自分の行動いかんで、その場を一瞬のうちに天国にも地獄にもすることができるのだ。大嫌いな人が目の前にいたら、君はどうするかね?
(な)無視するかもしれません。
(大)それではいかんな。君は、神様を嫌って無視していることになる。人は誰でもこの世に神様によって生かされているのだ。それを忘れてはいかん。
 そして、進歩し続けている人とは、たとえ最初はわしが言った第1に属する人間であっても、それが第3の人間になり、そして第2の人間へ向かっていく人物なのである。何も、わしが最初は罪人だったとは言わないが、進歩し続けていくことは忘れたことはなかった。わしが生涯を捧げた音楽は、人を幸せにすることができるすばらしいものなのである。これでもしわしが進歩をし続けないでいたとするなら、神様から見ればさぼっているとしか思えないだろう。
 わしの偉大さとはすなわち、進歩し続けていたことなのであり、その結果、わしが作曲した音楽の中に絶えざる進歩の跡があり、それが見事に実を結び人々に幸せを与えることができたということである。
(な)進歩し続けることは大変な努力が必要だと思いますが。
(大)その通りだ。そのためには、持続力、忍耐力が必要だ。
 ところで、人間で最も大切なことは何だろう。それは持続力であり忍耐力だ。どんなに心が愛で満ちていても、それが長時間にわたって持続できなければ意味はない。心の中の愛を長時間持続できなければ、他人を幸せにすることなど、到底できはしないのだ。こう言うと難しいことかもしれないが、毎日、どんな場面でも数秒考えてから行動すれば、容易に自分を良い方向へ持っていくことができるのではないか。少しでいいから進歩していくことは、それほど困難なことであるとは思えない。しかし、十分な信仰が無い人には、すぐに無礼な振舞いにおよぶ人がいるかもしれない。
(な)では、家政婦さんが数日ももたずに何人も辞めていったのは?(**)
(大)[目が虚ろになって]うう、そういうこともあったかもしれん……。
 [そして唐突に]真の信仰とは、毎週日曜日に教会へ行くことでもなければ、聖書の文句を振りかざすことでもない。瞬間瞬間の、自分の生き様との真剣勝負に勝つことだ。信仰ができている人間とは、信念に貫かれている人間のことである。わしは音楽をもってそれを示したのである。どうだね、これでわしの偉大さがわかったかね?

(*)神道では「中今(なかいま)の思想」といい、「今この瞬間」の心の持ち方がもっとも重要であるという。
(**)ベートーヴェンの振舞いに嫌気がさして逃げ出したり、あらぬ疑いで追い出されたりした家政婦が多かったそうである。



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