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大権現様の、わしの音楽を聴け! 第2回
「大権現様は、歴史に深く根を張る」



続・大権現様は、どこが偉大なのか。

 前回は、なぜにベートーヴェンが偉大なのか精神面を中心に語ったが、歴史的にどうだろうか。

(大権現様:以下、大)まず、交響曲をコンサートの主役に引き上げたな。これはすなわち、交響曲を至高の芸術にしたのだ。それまではコンサートといえばアリアなどの歌がメインだったのだ。それを、わしの交響曲で置き換えたのだ。もう、わしの交響曲の偉大さについては語る必要は無かろう。
 また、ピアノ音楽の隆盛を導いた。わしの作曲無くしてピアノの発展無し。当時は、ピアノ製作者が競ってわしのところへ新型ピアノを贈ってくれたものだ。どうだ、うらやましいだろう。わしのおかげで、88鍵の音の大きなすばらしいピアノが生まれたのだ。
 ピアノ音楽への貢献はな、ピアノそのものだけではないぞ。わしは、史上最初の最も偉大なピアニストだったのだ。そしてわしの弟子であるチェルニーからはリストが生まれ、その次その次と21世紀にまで、綿々と師弟関係は続いているのだ。もっとも一子相伝の暗殺鍵ではないが。ギャグが過ぎたな。
(なかさん:以下、な)交響曲を偉大な形式にしてしまった影響力は、すごかったですね。ブラームスやワーグナー、ブルックナー、マーラーなど、皆苦労しました。
(大)でも、影響が偏ってないか? わしは室内楽において究極の弦楽4重奏曲を作った。それに匹敵する作品は、どうした?
 わしのピアノソナタを継ぐ作品は、いったいどこにあるというのだ?
 皆、交響曲で悩んだのみなのか?
(な)交響曲以外では、影響のあらわれ方が違いますね。弦楽4重奏曲やピアノソナタでは、それを乗り越えることも避けて通ることも、できませんでした。
(大)情けないことだな。しかし、交響曲ではいくつも名曲が出た。これはこれで良かったが、やはりわしを超えることはできなかった。ベルリオーズは「イッてしまった」な。ブラームスは、苦労したわりには大したものではない。民族音楽に逃げた者が多いが、それは正解だったかもしれん。シベリウス、ボロディン、ラフマニノフ、ドボルザーク、チャイコフスキー。しかし、民族音楽へ逃げると旋律や雰囲気重視になり、構成力が落ちる。ソナタ形式が書けないぞ。
(な)「シェエラザード」という、交響曲のようで実際は違う組曲が出現しました。ソナタ形式が含まれないので「交響組曲」というサブタイトルになってしまいました。
(大)旋律重視であるな。また、楽器が変化し増加してきたことも見逃せまい。コールアングレが増え、ハープが加わり、シンバルやトライアングルは、オーケストラのレギュラー楽器になってしまった。さらには楽器数が増え、単一楽器で4音の和声もできるようになった。つまり、雰囲気で交響曲の個性を作ることが、より一層簡単にできるようになった。わしの時代は楽器が限られていたから、交響曲は、中身で勝負だったのだ。
(な)そのわりに、当時はベートーヴェン以外の交響曲が見当たらないのは、どうしたことですか?
(大)暗黒の時代だったのだ。案外知られていないが、1800年以前は、モーツァルト、ハイドンを筆頭に、有名作曲家は多かった。名作も多かったぞ。しかし、1800年を境にして約20年間、何があったと思う? せいぜいロッシーニの歌劇くらいだ。他の作曲家といえば、ハイドンやモーツァルトに匹敵する作品はおろか、それを真似た作品すら残すことができなかったのだ。1800年からの20年間、ウィーンの音楽は不毛の時代だったのだ。そこにわしがいた。わしが歴史に名を残したのは、そんな時代に喝を入れたということによる。交響曲、協奏曲、弦楽4重奏曲、ピアノソナタにバイオリンソナタ、ピアノトリオなどなど。まさに、ひとり勝ち、独占状態である。わしは、強烈なカンフル剤を世界に投与したのだ。効果は激烈だった、な、そうだろう? あまりに強烈すぎて、後の作曲家は皆困ってしまった。しかしもう後戻りはできない。自分の存在意義をヨーロッパの音楽界で見出すために、各作曲家は創意工夫に専念した。おかげで「ロマン派」の発展となる。
 1800年からの約20年間は暗黒時代ということであったが、もしモーツァルトがあと20年長生きしてくれたら、かなりウィーンもすばらしい音楽にあふれたことに違いない。暗黒時代にはならなかったろう。そのかわり、次に生まれてくる作曲家は何を書けばいいのだろうか。想像するに、なかなか楽しいものがある。
(な)それは、どういう意味ですか?
(大)わしが、モーツァルトに強い影響を与えたらどうなるか、ということだ。そこで出来あがった曲は、おそらく、これから作曲家を志そうという若い人たちの意識を木っ端微塵にしてしまうだろう。歌劇、ピアノ協奏曲、交響曲。彼が残したあの名曲の後に、どんな曲が続くと思う? もしそうなったら、おそらくどの作曲家もグウの音も出まい。作曲の意欲も一気に消えてしまうだろう。
(な)それでは、1820年以降が暗黒の時代になってしまうかも。
(大)しかし、そうはならなかった。19世紀の最初の四半世紀、偉大な作曲家は世界でわしひとりだったのである。それで十分だ。わしひとりで、ヨーロッパ音楽のその後の歴史を全部動かしていたのだ。痛快ではないか。わしの偉大さとは、たったひとりでクラシック音楽の歴史を一気に書きなおしてしまったところにあるのだ。もっとも、わしのことをよく解説で「ロマン派への道を開いた」などと形容するが、わしは「ロマン派」を求めたわけではない。そんなのは、後世の人たちが勝手に「ロマン派」と呼んでいるだけの話である。



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