大権現様の、わしの音楽を聴け! 第23回
「第9の演奏上の課題」
ベートーヴェン交響曲第9番の演奏には、さまざまな課題がある。聴く方としては、そのあたりの違いを聞き分けるのが通なのだが、その違いを悟られずにすんなり聴かせるのが、指揮者や演奏家の腕なのかもしれない。
※以降は、書籍やインターネットを丹念に探せば詳しい説明がいくらでも見つかると思うので、気になったら、のんびり探してください。
1.楽譜を変えて演奏していいのか。
作曲当時と現代との演奏技術や楽器の構造の違い、あるいは時代が進むに従って音楽の嗜好も変化するため、楽譜を改変しての演奏というものが起こる。そのような例で最も多いのは、次の2箇所だろう。
第2楽章 スケルツォ主部第1主題の再現
全合奏において第1主題が強力に再現されるクライマックスである。ここで、弦楽器群が、4音のみ1オクターブ低く書かれている(例1のカッコ、上からティンパニとバイオリン)。もともとの主題の形としては変になるが、当時としてはあまりにも高音域であるため、演奏技術を考慮して、この4音のみ下げられているようだ。
ここを楽譜通りにするか、元の形に戻すかの対応の方法は指揮者が決めるが、現在の演奏例では、比率がほぼ半々だ。しかし、楽譜通りにする場合には、管楽器群が十分な音量で主題の形のくずれを気づかせないようにするのが条件だろう。また、オクターブ上げたとしても、音楽的には全く問題がない。(私は、改変して演奏してほしい)
第2楽章 スケルツォ主部第2主題
主題の旋律は本来管楽器のみであるが、ここでワーグナーがホルンをメロディーに変えてしまうという工夫を始めたことで有名だ(例2、上からオーボエ2段、ホルン2段、バイオリン)。その加えた結果があまりにワーグナー風味で、ベートーヴェンには合わないと気にする聴衆も多い。
20世紀前半の巨匠は、ほとんどがホルンを追加していたが、巨匠時代が終焉した20世紀後半からは、ホルンが伴奏に戻っての本来の姿で演奏することが多くなった。ここも、管楽器が十分な音量で演奏できれば問題ないが、曲の性格上、弦楽器も負けるわけにいかないので、音量のバランスが難しい。仕方なく、4本あるうちの2本のホルンを、弱めでメロディーに加えた演奏もあるが、ホルンにとっては、強く演奏したいところだろう。(私は、改変しないで演奏してほしい)
なお、ベートーヴェンがホルンを旋律に加えなかった一番の理由は、楽器の構造上旋律を吹けなかったからであろう。音色としての理由もあるだろうが、もし吹けたら、一度は試したはずだ。
2.常識なのか、改革なのか。
ベートーヴェンは変革者であるが、例の汚い楽譜の書き方などの理由で、それが伝統に根ざしたものか伝統を超えたものか、さっぱりわからない場合がある。
第2楽章、トリオの速度はどうすればいいのか。
スケルツォ楽章はメヌエットの流れを汲む3部形式であり、中間部をトリオと呼ぶ。メヌエット楽章では、前後より遅めの速度とするのがトリオの常識だ。ベートーヴェンでも、ほとんどのスケルツォではトリオで速度を落としても問題が無かったが、第9に限って言えば、トリオに移る部分で「加速」(例3、だんだん速く、と書かれている)があることと、トリオの速度表示が誤っている(例にある右側の表記そのものが疑わしい)のではないかという疑問があり、指揮者によってトリオの演奏速度に違いがある。
そのため、「加速」と完全に合うように、トリオを高速にする解釈、通例通りにトリオをその前後より「遅く」してPrestoを無視する解釈、通例とは言いながらも「加速」を気にして、速度を早くもなく遅くもない、中庸にしてしまう解釈という3種類がある。(私は、かなり高速が好みである)
こうなった理由は、ベートーヴェンの書き方が汚いとか、速度表記についての手紙が、ベートーヴェン直筆ではなく他人の代筆で書き間違いだったのではないかとか、さまざまある。
ちなみに、弦楽四重奏曲「ハープ」のスケルツォでは、前後と比べて2倍ほどの速度比を持つ「超高速」トリオがある。
第4楽章、ティンパニ
これは故岩城宏之氏の著書(岩波新書)でも有名な、孤独に音を弱くするティンパニである(例4、上から、ホルン2段、トランペット、ティンパニ)。合唱も含めて全管弦楽がフェルマータで聴衆を圧倒する中、ティンパニのみが音を弱くしてしまうのはなぜだろう。
この解決のためにはベートーヴェン直筆の楽譜にさかのぼることが必要だが、結論を言えば、ティンパニ「のみ」が音を弱くしてくことは間違いらしい。そもそも、ベートーヴェンは、ディミヌエンドを比較的少ししか使わず、特定の楽器に単独でディミヌエンド(音を弱くしていく)させることはない。じつは、研究の結果、オーケストラ全体が弱くなっていき、合唱のみが力強く引き伸ばす、という解釈もあり、になっているのだ(ブライトコプフ・ウント・ヘンテル社の2005年原典版)。(私は、ティンパニも他の楽器も、ディミヌエンドしてほしくない)
これは、写譜屋が間違えたという説もあるが、結局は最終結果を整理できていないベートーヴェンの責任である。
3.スタッカートはどうすればいいのか。
装飾音符の演奏法などで、当時と現代とでは異なる場合がある。トリルや短前打音、ターンなどの演奏法の変遷は音楽大学で教えるそうだが、さらに複雑なことに、ベートーヴェンの生地ボンと、ウィーンとでは、同じ記号でも細かな点で演奏方法が変わってしまう場合がある。つまり、モーツァルトの使い方と若きベートーヴェンの使い方は違うというのだ。もっとも、それらはささいな違いでしかない。
学校教育では「音を短く切る」と習うスタッカート「・」でも、問題がある。通常流布している版の楽譜では、曲全体にわたって至るところにある無数の「・」は、じつは複数の記号が、勝手に統一されてしまったものである。本来は、例5のように、4種類あった。これで二分音符などの比較的長い音符に「・」を付けてどうするのか、という疑問は消える。つまり、例の4番であれば、意味は通る。「音を短く切る」という意味ではない。現代では、「・」が演奏者の解釈に任されているのがほとんどなので、聴く上では全くといっていいほど疑問に感じないはずだ。逆に、「・」の音符の音を、はっきり出すことで、ベートーヴェンの重厚さというものが強化されることになる。(私は、重厚に、音をたっぷり鳴らしてほしい)
なお、20世紀末より出版が活発になってきた原典版の楽譜では、かなりの記号が「くさび型」に戻して印刷されている。絶対正しいかどうかは、もちろん不明だ。
出典:児島新「ベートーヴェン研究」(春秋社)
結局、字が汚いとか、最終結果をしっかりとまとめていないとか、ベートーヴェン自身に関係した問題ばかりじゃないか、と思った。
注)例5は、ピアノソナタ向けの解説によるが、オーケストラ版でも適用できる。
おまけ)例1の1小節めで、本当にティンパニは9回叩けるのだろうか。
(2007.6)
※いつもの、おちゃらけた会話コーナーになっていないのは、特別講義という扱いだったから。じつは、この一連の講座は、某アマオケの機関紙の連載コーナーなのである。