大権現様の、わしの音楽を聴け! 第25回
「大権現様、第5番を語る」
(なかさん)第9演奏会、お疲れ様でした。(注:私が関係している大府市のアマチュア管弦楽団が、2007年11月に「第9」を演奏した)
(大権現様)いや、わしは何もしとらんが?
(な)いえいえ、何もしていないのに生前に作曲済みの音楽で世界に影響を与えるというのは、並大抵のことでできません。
(大)うむ、そうかもしれん。
(な)そこで、次回の演奏会(2008年5月)には、とうとうショスタコービチが演奏されるようで。
(大)あの魅力には勝てなかったのか、というのが選曲に関する正直な感想だ。とうとう「あれ」をやるのか、とも思った。つまり、高い目標という意味だ。目標を高く持つことは大切だね。
(な)で、ショスタコービチは、どう評価されますか。
(大)一言で言えば、表裏がある音楽というところか。特に政治に迎合したような音楽はね。それは彼が政治的に屈折した世界にいたからに違いないとわしは思うのだが。とにかく、政治というか一個人というか、そいつが音楽のみならず全ての分野で大きな影響を与えた、たぐいまれな国だったなソビエト連邦は。あれに匹敵するのはナチス・ドイツくらいのものだったか。しかし、ナチスが終戦とともに消滅したのとは異なり、ソビエト連邦という国は長く続いた。特に粛清の嵐が吹きすさぶ寒い時代は、悲惨な、どうしようもない時代だったらしいな。
(一例を示すと、1934年のソ連共産党大会の直後、報告にあるだけでも、その大会に出席した代表1965名のうち1180名が反逆の疑いで逮捕。党大会で選出され139名の中央委員とその候補のうち、98名が逮捕、銃殺されたことになっている。無名の人々がどれほど殺されたか、想像もつかない。このような状態が18年も続いたのだ。その時代にショスタコービチは国家最高の音楽家として、独裁政治に対峙していかなければならなかった。)
(な)先生は、独裁者が嫌いでしたからね。
(大)おう、嫌いだとも。それは皇帝だと自ら称したナポレオンに限らないことだ。自らの努力は認めても、それをかさに何でもかんでも威張り散らすのは、全く納得できない。わしは音楽という分野では威張りくさっているが、自分の守備範囲というのはわきまえているつもりだ。
でも、わしがソ連で作曲していたら、どうなっただろう。作曲する以前に亡命していただろうな。何も音楽は残せなかっただろう。いや、亡命に失敗して銃弾の露と消えるのがオチだったろうか。
(な)次回に演奏するショスタコービチの交響曲第5番は、5番という数字がミソですね。
(大)彼の5という数字は偶然だったのだが。わしの5というのも、偶然かもな。初演時は6番めの交響曲だったからな。しかし、曲は当然、似て非なるものだ。一言でいえば、わしの音楽は健康的なのだ。第5番の交響曲だって、健康的に終わるだろう。まさに元気いっぱいだ。それに比べるとショスタコービチの交響曲第5番は、どことなく屈折したものを感じるな。
(な)それは、たとえばどのような場面のことでしょうか。
(大)たとえば、第1楽章の最後。雰囲気が一転し、上下が逆さまになった主題が現れて静かに終わるところだ。何か未解決の謎を残したまま隠れてしまうような感じがしないか? わしの普段の第1楽章の終わり方のように、確固とした和音で終わらないことをどうかと思うかもしれない。しかし、似たような終わり方をする曲にブラームスの交響曲第1番の、やはり第1楽章がある。だから、コーダで一転雰囲気が変わるのは前例があるのだ。素人さんは、この言い訳でごまかせる。しかし、ブラームスとは違いショスタコービチの場合は納得の上で終わっているように感じないのだな。そこ至る前が、あれほど声高く主張する音楽だったにもかかわらずだ。そこが謎なのだ。
(な)たしかにアンバランスなところはありますね。
(大)それと、第4楽章前半の執拗なばかりのアッチェレランドだ。あれは、少なくとも気分的に安定した足取りとは思えない。胃潰瘍になりそうだ。何かに追い立てられているような、そう、現代のビジネスマンに近いかもしれない。いったい何に追い立てられていたと思うかね? 借金取りじゃないぞ。しかし作曲当時のことを考えたら、そんな冗談も言っておれないな。
(な)脅し、ですね。当時は「西側」(*)にも国内にも、脅しが向けられていた。
(大)それに比べてどうだ、わしの第5番最終楽章ハ長調。あの安定した雄大な音楽、あれこそ気分良く終えるために必要な音楽の王道なのだ。ここは堂々と自画自賛しておきたいな。音楽とは、こうでなくてはならん。わしの音楽は最後の和音で終わってしまうが、その後に人々の良き生活が永く続いていくことに全く違和感が無い。しかし、最後の和音が鳴った後に、自分の境遇を嘆くことができるような解釈を可能とする音楽がある。それがショスタコービチの交響曲第5番なのだ。そこに、わしの音楽との最大の違いがあるといえよう。
注)
西側:今は死語になったが、自由主義陣営のこと。対する共産主義陣営は「東側」と称され、東西の冷戦状態は核戦争の危険までもはらんで長く続いた。
(2007.12)