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大権現様の、わしの音楽を聴け! 第27回
「衝撃の初演について、有名なあの人に独占インタビュー」



 わたしは、リヒノフスキー侯爵の使いの者が「侯爵のお言葉では、今夜は面白いからぜひ来てくれ、ということでした」なんて言うものだから何のことかな、と思ったのだ。その使いの者に「何があるのかね」と訊いたのだが、それはわからぬようだった。
 わたしは作曲しかかっている楽譜もそのままに、侯爵邸に出かけたんだな。
 そうしたら、あいつがいるじゃないか。あいつとはそう、弟子のビートーフェンだよ。わたしが
「君も呼ばれたのかね」
と尋ねたら、
「ええそうです。今日は特別な日なんですよ、先生」
と答えるじゃないか。手には手書きの楽譜を持っていたな。いろいろと作曲していることは当然聞いていたんだが、まさか、あの場で聴くことになろうとはね。とにかく、どんな作品を作曲していたかまでは知らなかったのだ。
 リヒノフスキー侯が、
「今日のお楽しみは、わが友人で偉大なる音楽家ハイドン氏の弟子、そして当代きってのピアノの演奏家でもあります、ビートーフェン氏が作曲したトリオの3曲です。今回は初演、どうか十分にご堪能いただけますよう」
 と紹介したら、あやつ、本当に得意げにこう言ったものだ。
 「今日は皆様にとって特別な日になります。きっとご満足いただけます! では、変ホ長調のトリオから!」
 隣に座っていたリヒノフスキー侯の夫人に
「どんな曲なんでしょうね」
と尋ねたら、
「それがね、ここにいらしてから、まだ一音も鳴らしていないんですのよ。少しだけ聴かせてって頼んだら、マダムの頼みでもだめです。もう少しの辛抱ですよ、ですって」と言った。
 ビートーフェンは、ピアノの前に座るとバイオリンとチェロを従えて演奏を始めた。最初の変ホ長調。続いてト長調。この2曲は4楽章の、まあ簡単に言ってしまえば普通のトリオだったな。ああ、もちろん彼の個性はあったよ。わたしが言うのは、夜会で演奏しても安心して聴いていられるような、周囲に溶け込む音楽だったってことだ。
 しかし、ビートーフェンが
 「続いて、3曲めはハ短調のトリオです」
 というものだから(え、ハ短調?)と思った。あいつの短調は少々クセがあるんだ。
 3曲めのトリオはそう、一言でいえば前の2曲より進歩した代物だった。それは提示部を聴いただけでわかる。わたしは周囲を見回したが、連中は興味津々だったな。第1楽章が展開部へ進んでいくにつれ、皆の目と耳がよりいっそう熱心になっていくのがわかった。ここにいる多くの人はビートーフェンの即興演奏を聴いたに違いない。なるほど、今日の最大のお楽しみはこれか。この音楽は、さすがにすごい。悲劇的な要素に満ちていて、込められている力というのが半端じゃない。しかし、そういう性格の音楽は、楽しく歓談する場である夜会のようなところで聴かせたって、そうそう楽しんでもらえるもんじゃない。
 最後のトリオが終わったときの聴衆の拍手は、すごかったぞ。皆、彼の即興演奏の片鱗がここに聴けたことも喜んだのだろうが、それよりも、何か新しいものを聴いたという優越感があったのかもしれない。ほとんどの客が少なからずビートーフェンを知っていたのが最大の理由だったからだろうか。
 得意満面な彼への皆の注目が、わたしに移ってきた。皆が口々にわたしに感想を求めた。わたしが有名であったからというより、わたしが奴に教えていることを知っていたから当然のことだったのだろう。前の2曲については、わたしの弟子の作品ということもあったが、いろいろ褒めてやった。ただ、勢いでこう言ってしまったのはまずかったな。ハ短調の印象があまりにも強かったものだから、
「ただ、3曲めのトリオは出版しないほうがいいのではないだろうか」
と言ってしまった。たしかにこれは普通のサロンの音楽ではない。しかし3曲まとめての初演なのだから、きっとまとめて出版するに違いない(*1)。そんな想像が駆け巡っていたのだ。
 あわてて「ハ短調のみ別にして出版したらどうか」と言ったが、そこでもう少し詳しく言ってやれば良かったのかもしれない。しかし、ビートーフェンの視線が、なんというか敵意がこもったようなものになってしまったから、それ以上わたしは言えなかったよ。このハ短調を聴くには、ビートーフェンが何者か、少なからずの知識が必要だ。これはビートーフェンの取り巻きが好んで聴くような音楽なんだ。
 夜会の後で、しばらく日をあけてからビートーフェンの弟子のリースが来た。「あの晩、どんな理由であんなことを言ったのですか」と尋ねるから「まだまだ聴衆はあの曲を理解するには時間がかかるのではないかと心配してしまったのだ」というようなことを言っておいたのだが、きちんと伝えてくれたかな。

 ってことで、今年、例のトリオ3曲が出版されたというのだが、予約者名簿を見て驚いた。あの夜会に出席した貴族は、ほとんど名前があったばかりか、他にも連ねている名前を見ると、ウィーンにいる全ての貴族じゃないかと思った。1組でも十分なのに、2組も3組も予約している人もいた。リヒノフスキー侯は20組の予約だったな。
 わたしは、さきほどロンドンから帰ってきたばかりなのだが、すぐにでももう一回行こうかなと思ってしまったよ。あいつも、わたしなんかいらないようだしね(*2)。


(*1)3曲または6曲まとめてというのが、当時の出版の習慣だった。
(*2)ハイドンがロンドンへ演奏旅行に旅立つと、さっさとベートーヴェンは作曲の師匠をハイドンから変えてしまった。

(2008.6)



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