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徹底(できるかどうか不明の)講座「エロイカで妄想する」2




例13

 これでもか、という衝撃は続く。もしこれまでの(1804年までの)交響曲や各種ソナタをよく聴いてきた人なら、度肝を抜かれるのが、この開始(例13)である。
 第3楽章は、このようにうごめく弦楽器から始まるが、このような開始を用意するという発想はどう表現したらいいものだろう。たいていの音楽、とくに当時のメヌエット楽章は、わかりやすい旋律がはっきり始まるものが通例なのだが、「え、今、何やってるの?」と思わせる音楽は本当に珍しいと思う。第9の冒頭があるじゃないかと言うだろうが、まだ1804年である。そこは忘れてはいけない。ただ、もし気づくことがあるとするなら、「ワルトシュタイン」ソナタの冒頭に似ていることである。これは、現代ではたまに言及されていることだ。
 何度も聞き込んだ耳には、このうごめきこそがこの楽章の重要な素材であることがわかる(例14)。侯爵と皇太子は気づいただろうか。

例14


  例えは悪いがバラバラのまま箱に敷き詰められたレゴのピースみたいなものである。ある日誰かがレゴを組んで形あるものにする。それが主題だ。主題が現れると、うごめきが戻ってくる。この不思議な感覚は、ハイドンの交響曲などの当時の多楽章組曲に多いメヌエット楽章の安定して始まる表現に慣れた耳にはとても刺激的である。また、楽譜の抜粋ではわからないことがある。これまでのメヌエット楽章では、そこにある旋律からあまり離れることなく音楽が続く。メヌエットは舞曲の一種なのだから、わかりやすいのが常であろう。
 しかしこの楽章は違う。中心となる旋律はたしかに存在しているのであるが、できあがった楽章は、それまでとはくらべものがないくらいに広い世界を見せてくれるのだ。このことに気付けば、この楽章もスゴいことがわかる。

例15


 トリオでは有名なホルンの三重奏(例15)。ここに来て侯爵らは、ホルン奏者が3人必要な本当の理由がわかる。この旋律を演奏するなら、2人のホルンに異質な他の楽器を重ねて三重奏にすることは絶対にできない。侯爵の楽団では3人のうちひとりはエキストラになるはずであるから(普段は2人で十分)、侯爵は事前にわかっていたはずである。ただ、ホルンが絶対的に3人でなければいけないこれほどの音楽が鳴るとは、全く想像できなかったに違いない。
 この楽章は、全体構造も格段の進歩を遂げているが、細部にちょっとした驚きもちりばめられている、相当に凝った楽章だ。


第4楽章は、1年ほど前に出版されたピアノ用変奏曲、通称「エロイカ変奏曲」の主題をもとにした新しい作品だ。侯爵と皇太子が、どこまでベートーヴェンの作品を追っかけていたかはわからない。ともかく、「エロイカ変奏曲」は一番聴いた可能性が高い曲であろう。同じ主題を持つバレエ「プロメテウスの創造物」、舞踏会用の「コントルタンツ」もあるが、舞台のバレエ(女性が多い)や舞踏会のお相手(当然女性)に気を取られていては、主題を覚えているのかどうか到底覚束ない。

例16


 交響曲で最終楽章に変奏曲を持ち込むのは、1804年までで私が知っている範囲では無かったのではないか。たいして聴きもしないのに推測してみた。しかし、ピアノソナタでは例がある。たとえば「葬送」ソナタの先頭楽章は変奏曲だ。変奏曲と葬送音楽のセットがソナタで「エロイカ」の前例としてあったということになる。そして、変奏は即興演奏で聴かせてくれる通りベートーヴェンの独壇場である。この第4楽章は、それがさらに練りに練られてものであると考えておこう。侯爵にも、変奏が始まった時点で十分にスゴい楽章だと感じるに足るものと思うし、実際にその通りの感想を得ただろう。
 ここまで来たら、圧倒、興奮も絶頂である。
例17


 交響曲が終わった。およそ50分。さて、侯爵はどう感じたか。少なくとも当日のゲストの皇太子は「私はもう一度聴きたい」と言ったはずである。50分にもなる音楽の再演奏を、まさかゲストの同意なしに侯爵が指示することはないだろう。侯爵も皇太子も、「すごい音楽を聴かされたが、これは1度聴いただけではだめだなあ」と感じたのが最も近いといってよいと思う。特に皇太子としては、今、よく聴いておかねば、次に聴けるのはいつになることかと考える。ピアノソナタを演奏するのとはわけが違うのだ。
「もう一度、演奏してくれ」というのは、最大級の賛辞ではないだろうか。「西洋音楽の歴史的な一場面に遭遇したのだ」とまで思ったかどうかは……思わなかったろうな。その先に続く曲を全く想像できないであろうからだ。


(2017.9.18)



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