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単発講座「アレグロ楽章解説」


運動エネルギー保存則

(ここで言うアレグロ楽章とは、速度の速い楽章のことで、ヴィヴァーチェなども含みます)

 モーツァルトやハイドンのアレグロ楽章とベートーヴェンのどこが違うのか。
 形式上の相違などというのは、聴いている最中(もなか、とは読まない)には考えが及ばない。実際に聴いている本人には音が全てである。どこが違うのかといわれると、ベートーヴェン特有の力強さである、と思うかもしれないが、そういうことではモーツァルトの「ジュピター」交響曲第4楽章も黙ってはいない。ハイドンだってなかなかどうして。無論、「英雄」、交響曲第5番などには勝てないかもしれないが、第1番や第2番の交響曲には勝てる、と思っているかもしれない。
 それでもベートーヴェンが他と違う点は何だろうか。ここでは哲学的な話や心理学的な話までは手を伸ばさない。消化不良に陥ってしまうのだ。聴いてすぐわかることで考えよう。
 ブルックナーの交響曲(とはいっても「ロマンティック」くらいしか知らないが)と比較するとはっきりわかる。ブルックナーは、全休止が頻繁に出てくるのだ。全員、休め!である。ベートーヴェンには、それが無い方向へ進化しようとしている。
 全休止というものは、ヘタをするとその後に何を持ってきてもいい。どうせ一度途切れているのだから、聴衆の頭の中は、オールクリア、聞こえてくるものが持続音であろうが強奏であろうが静かな和音であろうが、何でも受け入れてしまう。しかしベートーヴェンは、そうは書かなかった。音楽には必然的な流れが存在するのだ。
 音楽の想念が途切れることなく流れていくように考慮しているのである。そういうことではっきり努力の跡が見られるのは、交響曲第2番第1楽章である。
 この楽章の提示部を例にとる。ソナタ形式主部、第1主題から進んでいくと、まず途切れていると感じるのは第2主題の直前である。調を変えよう、旋律を出すぞと、構えたということになろうか。しかし、途切れそうであるがじつは途切れた最後の音が第2主題の最初の音になっている。じつは途切れていないのである。交響曲第1番では、第2主題の前で途切れていた。また、交響曲第2番では、提示部の後半までなんとか保っている。そこで本当に途切れそうである。かなりがんばりましたがまだまだですね、ということだ。しかし、交響曲第4番の第1楽章のように、よりスピーディな楽章あたりからは、途切れは回避されるようになってきた。この工夫は、交響曲第8番の第4楽章のような「速度で勝負」の楽章で顕著である。もし途切れそうになっても、ある必然的展開があって、運動量は見事に保存され、続いていくのである。(逆に、「英雄」や「合唱」交響曲の第1楽章のように、アレグロでありながらじつはゆったり流れる楽章では、休止どころか、単なる持続音によってもところどころでブレーキがかかっている。速度を犠牲にして雄大さを表現しようとしているからである。)
 途切れを回避してまでも、旋律の連続性にこだわるという理由、これを「運動エネルギー保存則」という。1小節4拍のうち最初に「ジャン!」ときて残り3拍を休符にすると、高速で突っ走ってきた音楽がブレーキが効かないために破綻してしまうのである。エネルギーを保持するためには、綿密な計算の上で音は持続していかねばならない。その「エネルギー」は、興奮、熱気に変化するものと呼んでいいだろう。
 ベートーヴェンにとって、交響曲というものは開かれた世界を広く聴衆にアピールするためにあるといってよいから、この「運動エネルギー」重視の傾向は顕著であるが、ピアノソナタにも同様の世界がある。「悲愴」ソナタの第1楽章や「熱情」ソナタの第3楽章などである。交響曲と異なり内省的とも言える弦楽4重奏曲では、速度任せの楽章が少ない。そのため、例にあげるとすれば「ラズモフスキー」第3番の最終楽章程度であろうか。
 管弦楽は豊かな音色と幅広いダイナミクスで聴衆を魅了する。その魅力を最大限に生かす交響曲がアレグロ楽章を演奏するとき、興奮、熱気というものはものすごい。これは重要な要素である。ベートーヴェンのアレグロ楽章の魅力は、この法則の明確な表現にある。そして「運動エネルギー」が何を媒介として形を現すかというと、管弦楽の「運動性能」によってである。
 運動エネルギーをどう保持するか。運動エネルギーは速度の関数であるから、高速のイメージを持たせる必要がある。高速というのはテンポの速いリズムであるが、それがはっきりわかるのが、第4、第7、第8番の交響曲の最終楽章である。どれもが弦楽器の運動性能を最大限に発揮して、めまぐるしく動き回る。カルロス・クライバーが交響曲第4番の第4楽章を高速で演奏したことは有名であるが、それは「運動性能を最大限に発揮」することで、この楽章が内在する「運動エネルギー」を前面に引き出して見せたのである。ちょっと話しがずれるが、こうすることは非常に効果的であるが、そのために特定の楽器では演奏が非常に困難な部分が出てくる。交響曲第4番では、ファゴットとクラリネットにしわ寄せがきている。しわ寄せは芸術の実現における「とばっちり」ということで納得してもらうとして、各楽器の運動性能、つまり、音がどこまで激しく動き回るかという点で、弦楽器の性能に大きく負っていることはすぐわかる。弦の性能が全てといっていいかもしれない。
 ともかく、カルロス・クライバーの交響曲第4番の演奏を「速すぎる」と批判する文もしばしば見受けられるが、このあたりのことをわかっていないといけない。曲が持つ必然的な運動エネルギーが、オーケストラの運動性能に十分にマッチして、効率的に表現されたということなのである。
 こういったところに、ベートーヴェンのアレグロ楽章の真髄があると思う。

聴いて面白いアレグロ楽章

交響曲第2番第1楽章
  第1主題から第2主題開始に至るまでの連続した動き。いかにも「第2主題で、ほっとしたね」と思わせるに足る緊張した出来である。ここまでやって始めて「主題間の性格の対比」ということが明らかにできるのではないだろうか。あと、コーダの盛り上がりが圧巻であり、トランペットの使い方、バイオリンなど高音の弦とチェロなど低域の弦の動きの対比が面白い効果を出している。

交響曲第4番第1楽章
 この楽章は、じつに心地よい流れを作り出している。第1主題開始から第2主題を導くところまでは、鮮やか。第2主題の導きかたは、第2交響曲よりも手慣れたもの。第2主題以後、さらに終結に向かう主題があったり、シンコペーションで提示部を終わる主題も現れる。この楽章は、主要主題(第1、第2)の間を、全く別の主題がいくつにもからんで組み合わされるという、豪華な構造をしており、後の第9交響曲第1楽章とよく似ている。
 「え、たくさんの主題? そんなこと、どこの本にも書いていないぞ」と思われるかもしれない。しかし、ここではあくまでも「聴いて」わかることを主体に書いている。非常に印象深い旋律を「主題」と表現しているのだ。諸井三郎氏の解説では「推移の主題」などと書かれているものである。

交響曲第4番第4楽章
 この楽章の特徴は、バイオリンによる小刻みな動きと、低音弦による「きざみ」の主題である。独特のリズム感が軽やかで心地よい。第2主題ではリズムが全く別の内容になっているので、性格の描き分けもバッチリである。細かい律動を高域弦楽器のみに任せることなく、ファゴット、クラリネット、はてはチェロとコントラバスにも任せるという考え抜かれた変化を伴うが、そんな難しい旋律を任されてしまう他の楽器は、迷惑千万である。

交響曲第8番第4楽章
 この曲はロンド・ソナタの構造をしている。簡単に言うと、提示部、第1展開部、再現部、第2展開部、コーダ、である。この2つの展開部がどのような始まり方でどのような展開をしているか、という聴き比べが面白いし、ここに展開技法/管弦楽法の神髄を聴くことができるのである。
 「第1展開部か。ほう、このように展開していくのか」そう理解した後で、「あ、第2展開部だ。なに、そんな展開をするのか!」こういった感動に浸るのである。
 神業(かみわざ)の域に達した音楽家の真の芸術が、こういったところにある。

交響曲第9番第2楽章
 「運動エネルギー」の話をしているので第1楽章ではなく、第2楽章を採り上げる。
 別ページで若干の解説をしているが、スケルツォの主部(ソナタ形式)の展開部後半から再現部第2主題の再現までは、運動エネルギーの持続性がすばらしく、場面の変換も非常に効果的であり、息をつかせぬ、とはこういうことを言うのである。

序曲「レオノーレ」第3番
 おとなしく始まった第1主題であるが、すぐに激しい展開を始めてしまう。弦楽器の複雑な動きで巻き起こされる強烈な流れは、第2主題が出てくるまで止まることを知らない。そのかわり、第2主題以後提示部が終わるまでは比較的おとなしい動きなのである。動きの激しさのレベルから言うと、展開部は比較的おとなしい部類に入るだろう。再現部は提示部と同じような構造をしている。であるから、逆にコーダの疾風怒濤の動きが効果的に表現されてしまうのである。

弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」第4楽章
 言わずと知れた、弦楽四重奏の運動性能を最大限に発揮させた名作。各パート1人だからこそ為し得た、痛快無比の楽章である。絶対に交響曲では書けないし演奏できない(はず)。この音楽をまだ聴いたことが無い人が、奏者たった4人で爆走する様を想像できるだろうか。

弦楽四重奏曲第10番「ハープ」第1楽章
 この楽章の白眉は、コーダにある。楽章としては比較的おとなしいものであるが、コーダは違う。第1バイオリンがめまぐるしく駆け回る間を残り3人がどのようにからめていくか。ベートーヴェンにとってコーダが第2展開部であるとは、こういった楽章が存在することを言うのだ。



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