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単発講座「編曲の真髄」


「正統派編曲モノ」
 別ページでは、編曲モノについて若干触れた個所があるが、ここではいくつかある編曲モノそのものについて書きたい。が、他人が編曲したモノはつまらないので、ベートーヴェン(と弟子)による作品について述べたい。では曲をいくつか並べてみよう。ただし1曲のみ、弟子のリースやチェルニーがかなりの部分を編曲したものがある。

 交響曲第2番の、ピアノ三重奏用編曲  弟子のリースに編曲させ、チェルニーが一部修正し、ベートーヴェンが要所を補筆したようだ。
 七重奏曲の、ピアノ三重奏用編曲    これ以下は全てベートーヴェン自身の編曲
 ピアノソナタ作品14-1の、弦楽四重奏用編曲
 弦楽四重奏曲「大フーガ」の、ピアノ四手用編曲
 バイオリン協奏曲の、ピアノ版協奏曲用編曲
 ピアノ三重奏曲作品1-3の、弦楽五重奏用編曲
 管楽八重奏曲の、弦楽五重奏用編曲

 ざっと、こんなところである。
 作曲当時は、じつにさまざまな編成による出版があったということなのであるが、当然、他人の編曲はほとんどCDで聴かれないので、出来がどうなのかわからない。もちろん作曲の心得がある人が作業したわけであるが、原曲の意図をどこまで汲み取ることができるかといえば、どんなもんだろうか。

 バイオリン協奏曲の編曲は、上の中では少し毛並みが違う。編曲したのはバイオリン独奏がピアノ独奏になったのみで、しかも、足りない左手に音を追加していることがほとんどであるからだ。バイオリン協奏曲に慣れてしまっては、ピアノ協奏曲では物足りない部分も多い。
 七重奏曲、ピアノ三重奏曲、管楽八重奏曲、弦楽四重奏曲「大フーガ」の編曲は、素直にできる部類であろう。交響曲第2番も、大丈夫であろう。音の欠落も追加も、あまりない。妙にいじらなければ演奏できない部分というのもない。
 しかし、元の曲の編成にピアノが含まれていると、ちょっとした問題が出る。いえ、指が10本あるから、ピアノを含まない楽器か編成で10の音を同時に出すのが大変ということとかではない。和音とはせいぜい4つ5つの音でしか構成されていないわけだから、工夫すればなんとかなる。それに弦楽器は、重音奏法もあるし。問題は、ピアノ的な音の並びと、ピアノ特有の音の世界である。これを他の楽器に書き移すことがは非常に難しい。いや、おそらく編曲のプロなら「簡単さ」と言うかもしれないか? それは条件次第だろう。「月光」「熱情」ソナタを弦楽五重奏にしてくれと言われたら、これはもう遠慮するしかない。
 であるから、ピアノソナタ作品14-1という曲はどんな曲だろう、ということになる。音をそのまま移し替えているのみであろうか。ちなみに、このピアノソナタの弦楽四重奏版はスコアも出版されているし、CDも3種類ほど存在しているはずである。

 このピアノソナタはホ長調であるが、編曲版はヘ長調になっている。これは弦の音程の都合上、便利だからである。第1楽章は原則としてほぼそのまま音が移し替えられている。無論、運指の都合上、和音などでは音の並びの上下間移動はある。しかしほとんどそのままとみていいだろう。もともとの曲が単純明解であるので、それが可能なのだ。しかし、ところどころ新しい音型を加えて弦楽に適した内容になっている。こういうところが、他人の編曲ではできないところなのだ。
 第2楽章では、和音の使い方が弦楽器に適したように質素になっている。この楽章が若干の憂いを含んでいるので、それが弦の音にマッチしているのだ。弦とピアノでの編曲の違いとして、非常に面白いのではないだろうか。
 しかし第3楽章は違う。主題そのものが伴奏に細かい分散和音を伴っており、中間部でも和音の分散で展開されている。では、これを弦に置き換えることができるか。ベートーヴェンは、3連符での分散和音の連続を2人の弦で一方をシンコペーションとしてリズミカルに動かすことで回避した。シンコペーションで進行すると、軽やかな動きが表現できる。和音としては3つの音が2つになり不足してしまったが、聴けば全く不足という感じがしない。このあたり弦とピアノの音の性格の違いが現れている。また、中間部では3連符での分散和音は、全く別の書き方になっている。3連符であることは同じであるが流れが異なる。それを補うために、主題の材料が一部切り出され添えてあるのが工夫の現れである。結果として、小節数には変化なく和声の流れも分断されることなく最後まで進めるようにできている。

 なんだか簡単に編曲できそうな気がするが、それもそのはず。本来が演奏上易しい作品である上に、音型が変えられているところは、もともとがそれほど印象的なところではなく、聴き比べても全く違和感がないようにできているのだ。これが著名な曲では、簡単にはできないだろう。
 試しに「悲愴ソナタ」の楽譜を眺めているが、冒頭から「これはできない」と思わせてしまう。ピアノの打楽器的用法を前にしては、弦楽器が数人では無理な話である。実現しようとすれば、オーケストラになってしまうだろう。であるから、こういったことからもワインガルトナーが「ハンマークラヴィーア」を管弦楽に編曲してしまったことにうなずけるのである。
 いくつかの曲は、条件さえ許せば何らかの編成にうまく編曲できるわけだ。しかし、前にも書いたが、「熱情」のような曲は無理といえるだろう。最初から最後まで、ピアノでなければ演奏できない音の並び具合なのである。これを、ピアニスティックとでも言うのだろう。真のピアノ的書き方というものが、このあたりから生まれてきたのだ。



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