1. ベートーヴェン勝手解説大全集 >
  2.  
  3. メニュー >
  4.  
  5. このおっさんには感心する

このおっさんには感心する


(※おっさんが対象なので、女性については書かない)
 やはり、ベートーヴェンの演奏はおっさんが似合う。なるべく頑固がよい。しじゅうにこやかでは困る。しかし、にこやかな人でも立派な演奏をする場合がある。ワルターやクリュイタンスなどがそうだ。ただし、良質の演奏は曲が限られているようである。やはり「英雄」「合唱付き」を立派に演奏するには、どこか頑固でなければならないようだ。なにも女性がダメとは言わないが、女性が頑固ではちょっと困るであろう。ピアニストの神谷郁代さんが、ダイレクト・トゥ・ディスク・レコーディング(演奏を、直接LPレコードにする。要は生演奏の一発録音)で「熱情」をレコードにしたが、それくらいの気概があるとベートーヴェンはサマになる。逆に言うと、ショパンばかり演奏して根が女性的になると、ベートーヴェンには不向きになるのだ。

指揮者

モントゥー
 このおっさんはアルキュール・ポワロのイメージに近い。過去、彼による第2、4番の交響曲のLPをよく聴いたものだ。なにせ、1980年頃、LPレコードが1300円という(当時では破格の)廉価盤で安く購入でき、非常に大切にして聴いた。私にとって第2、4番はモントゥーが基準なのである。彼の録音での交響曲を全部集めきったのは、最近のことであった。第9がなかなか探し出せなかった。
 洒落た紳士のようないでたちであるが、ベートーヴェンの演奏はがっちりとまとめる。好きな演奏家である。フランス音楽界は伝統的にベートーヴェンが得意のようだ。19世紀の初めに指揮者アブネックがベートーヴェン専門の演奏会を開いてからのことだろうか。

クリュイタンス
 このおっさんはフランス紳士であるがベルギー生まれ。もとはラヴェルなどが得意であるが、ベルリン・フィルとの交響曲全集があることからわかるように、やはり注目してよい。そりゃベルリン・フィルが彼と演奏していいなと思ったのだから、質は平均以上である。バイロイトに初めて出演したドイツ以外の指揮者であるところにも注目したい。つまり、どこか変なのである。
 第2、4、6、8番の偶数と第1番がよい。第6番はベームの録音と双璧と思う。録音そのものがあっさりしている感じがするので、こうなるのかもしれない。

クレンペラー
 こちらは特に変で頑固なおっさんなので、ベートーヴェンに適していそうであるが、一部ダイナミクス(強弱)の制御で気に入らない(楽譜と大きく異なる)部分があるので、完全にはお勧めできない(EMIのステレオ盤)。また、全体としてゆっくりめなので、これも気に入らない場合があるだろう。とはいうもののその2点以外は、十分にすばらしい出来である。ジャーマンスタイルの楽器配置が、大変よろしい。

ベーム
 このおっさんの特徴は「ライヴで燃える」だ。人によっては、「ライヴで豹変する」などと言う場合がある。すると日本に生まれたからには、1975年NHKライブ録音に止めを刺す。第4、7番とレオノーレ第3番がある。この盤は日本のみの発売であり、日本人はすべてこの録音を聴くべきであろう。このライヴ録音には「ザ・グレート」「マイスタージンガー前奏曲」など、熱狂する名演がてんこ盛りである。もっと注目されていいおっさんである。

ワルター
 第1、2、6番が名演のこのおっさんは、録音/企画のヘタなCBS/ソニーがマスターを保存しているのが、いかん。何度も何度も再発売された。デジタル黎明期、LPで再発売した約3ヶ月後にデジタルリマスターLPを再発売したり、CD時代になって何度再発売したことか。グチが多くなったが、ワルターはCBS/ソニーのイメージの悪さに足を引っ張られている、かわいそうなおっさんである。

シェルヘン
 グールドもピアノ演奏中にも唸るらしいが、このおっさんは、叫ぶ! では叫ぶことが演奏のキズに繋がるかというと全く違う。適切なところで叫ぶからだ。超変なおっさんの情熱を知りたいと思うなら、非常に適した演奏であろう。ルガノ放送交響楽団との全集は、まことに貴重な記録である。

コンヴィチュニー
 大酒飲みが死因(のはず)なのだから、あっぱれである。過去、序曲集のLPを愛聴した私にとって、コンヴィチュニーの交響曲全集は高い評価を得るにふさわしい。多少地味であろうが、頑固そうな風貌がベートーヴェンにぴったりのおっさんである。普通、酒で死なない。

トスカニーニ
 これも頑固なおっさんである。ベートーヴェンの演奏においてはその演奏スタイルはともかく、頑固であるところがいわゆるひとつの基準である。このおっさんの顔を見よ。これを頑固と言わずしてなんとする。トスカニーニの録音で第1に推薦は「英雄」である。スタジオ録音であるため残響が不足がちだ。そのため、のめり込むタイプの曲が聴くにはいいだろう。7重奏曲をオーケストラ版(弦が各パート複数名)で録音したこともある、変なところで融通が効くおっさんである。そのため、楽譜の改変も節度を保ちつつ柔軟である。

フルトヴェングラー
 このおっさんも、やはり頑固である。ファンなら言葉を尽くさぬともわかるであろう。頑固でなければあのように深い表現を実現することができない。論文を書いたり講演をしたりしても、ベートーヴェンが話題の中心になる。本来は、自作の交響曲をもっと評価してほしかったらしいが、世間はそれを許さなかった。ナチに足を引っ張られた生涯であったが、そうなってしまったことも自分の信念への頑固さゆえである。
 バイロイト盤の「第9」は、はたして生演奏そのままだったのかどうかと物議をかもした(2007年)のは、録音のことをあまり考慮しなかったからだ。

カラヤン
 このおっさんも、頑固さではヒケをとらない。演奏では、交響曲や協奏曲ではなく、序曲集にとどめを指す。レオノーレ第3番、エグモント、コリオランは、じつは、他者の追従を許さない演奏だ。あと、3重協奏曲だ(オイストラフなどの独奏の盤)。序曲であんなにうまくドラマチックに演奏できるのに交響曲ではかえってすっきりまとめてしまうのは、やはり、どこか頑固なのである。しかしこれは、じつはトスカニーニに洗脳されているのダ。「第5交響曲の第1楽章は、ただのアレグロ・コン・ブリオだ」。これを突き詰めるとカラヤンになるのだ。すなわち、曲に込められたドラマの筋書きが消えていくのである。それはそれで客観的演奏として成立する。
 演奏会ではない音楽のあり方に最も着目し活用したのが、カラヤンである。

カルロス・クライバー
 レパートリーを非常に狭くして、なかなか演奏会を開かない、しかもすぐキャンセルするという変に頑固な指揮者だ。ミケランジェリといい勝負である。今のところ、第4、5、7番の録音しかないのは有名である。死ぬまでに、あと1曲残してくれれば御の字に違いない。
 ということで、2003年末に、第6の録音が発売されたが、音質が悪く、評判は錯綜しているようだ。


■ピアニスト

リヒテル
 大変なベートーヴェン弾きにもかかわらず、なかなか全集録音しない。「悲愴」「テンペスト」「熱情」「ハンマークラヴィア」などが名演である(録音がいくつかあるので選択は困るが)。安易に全集録音をしないのは頑固であるが、来日してヤマハのピアノを買って帰ったりするところはお茶目である。普通は、自分の音色などを考慮してピアノを選ぶものだが、ヤマハでもリヒテルの音が出てしまうということだろうか。希少価値であるが「バガテル」にも名演がある。「皇帝」の録音が残されていないのは残念だ。

バックハウス
 「どうしてベートーヴェンばかり演奏するのですか」という問いに、「曲数が、もうちょっと少なかったらよかったのに」と答えるほど頑固。普通にお茶目なら「ちょっと減らそうかな」と答えるだろう。そこに、ベートーヴェンのソナタは全部演奏しなくてはという、思い入れを感じさせる。とにかく、バックハウス=ベートーヴェンである。ただし、若い頃は、レパートリーがより広かったそうで、年齢に応じて変化してきたというところか。もうちょい元気で長生きしてくれたら、ステレオ盤のソナタはもっとエネルギッシュになっただったろうにな、と思う。

ミケランジェリ
 言わずと知れた、変なおっさんの代表である。にもかかわらず、ベートーヴェンでは、第1、3、5番の協奏曲のライヴ録音があり、ソナタも若干残されている。特に「皇帝」は、絶品である。

スコダ
 歴史的楽器(古楽器)の演奏に命をかける、見上げた根性の変なおっさんである。おかげでベートーヴェンが使用したピアノフォルテの音が聴けるという、すばらしい業績を残した。なんと全32曲が1800〜1820年のピアノフォルテで録音されているのである。これができるのはスコダのみである。もちろん普通のピアノも演奏する。

デムス
 この人も、古楽器のピアノフォルテで何曲か録音した変なおっさんである。スコダ、デムス、そしてグルダは、ウィーンの三羽烏などと呼ばれたらしいが、3人とも変なおっさんであった。グルダはジャズ方面にすっかり浸かったことで、変なのだ。




トップに戻る メニューに戻る