これなら買ってもいい!
まあ、別のページの裏返しである。
では、ベートーヴェンで買ってもいい録音とは……いや、その前に、書いておきたいことがある。
「私は、当然のこと、全ての録音を聴いているわけではない」
だから、あれがいかん、これがいかん、と強く止める気はない。逆に、好きな演奏だって、いつかアラが見えて嫌いになることもあるだろう。しかし、それなりに評価の考え方というものがある。また、財布の中身には限界がある。限界を超えないためには、少々ズレていても制限するための基準が必要なのだ。
1.小品にも目を向けている。
・ソナタ全集で終わらずに、バガテル集や変奏曲集も手がける。
・交響曲全集だけでなく、序曲も当然演奏する。
もちろんレコード会社の企画に乗っかって演奏しただけという場合もあるだろうが、小品にも価値を見出して、こだわって演奏してほしいものだ。例えばバガテルは多数あるので、全曲演奏するのも良し、気に入った曲だけ演奏するのもいいだろう。演奏家の論説やインタビューでは、自分の意気込みというものについてソナタや交響曲のことしか言及しないのは通例であるが、そんなに自信を持って頑張って演奏するなら小品だってやってくれよ、というのが私の本音だ。「アンダンテ・ファヴォリ」と「エリーゼのために」だけでお茶を濁すのは、勘弁してほしい。
2.ベートーヴェンで勝負する。
・ベートーヴェンだけで演奏会のプログラムを組む。
これは演奏会の案内をよく注意して見るしかないが、プログラムの内容は本人の趣味嗜好得意不得意を反映しているはずなので、来日時の演奏内容を見るのもひとつの評価手段だろう。プロモーターの意見で無理やり内容を決められている場合があるかもしれないが、ある程度評価された演奏家なら、そんなことは無いと思う(思いたい)。そこでベートーヴェンで勝負する気があるのか無いのかどうなのか。もちろん、どの曲を演奏するのか、というのも評価ポイント。
3.定期的に再発売される。
これは言わずもがななのであるが、評価されていて売れるから時々発売されるのだ。もっとも、会社の体力が無いため、企画の段階で整理されて再発売がボツになる場合もあるだろう。そういう時は、さっさと別の会社に録音を売ってもらいたいんだが。
4.古典派の演奏が主なレパートリー。
ハイドン、モーツァルトその他の曲を演奏することが活動の主体であった場合に、その演奏家のベートーヴェンは興味を持ってしまう。当然のことながら、古典派の中でベートーヴェンは進化していったわけだから、その演奏家の基本的な部分は合格なのだ。もちろん、古典派のままベートーヴェンを演奏するのか、それとも、古典派から一歩抜きん出た様を演奏するのかという違いはあるが、どちらであっても楽しめるのは間違いないと思う。逆に、ロマン派主体の演奏家がベートーヴェンの演奏を試みるとき、古典派の海を理解しているのかという点で、一抹の不安を持つので、財布の紐は緩まないのだ。
とはいうものの、古楽器演奏は、どうしたもんかのぅと思う。ノーリントン、ホグウッド、ブリュッヘン、ハノーヴァーバンドでもう十分と思って久しい。
5.最大公約数的な表現
・「伝統的な」「正統派」「主流」など
何が伝統で何が正統なのかという突っ込みもあるが、いわば、奇策を盛り込んでいないという意味だ。「あたりさわりの無い」ともいう。「斬新な」「新しい姿」「(強い)個性」という表現はたしかに興味を引くが、アクが強いと聴いていても面白くない。もちろん、「あたりさわりが無い」だけでは面白くもなんともないけど。広告の表現や雑誌の評価はあまりアテにはならないが、使われている言葉を抜き出すと結局2つに分かれてくると思う。普通に徹するのか、それとも新しい何かを盛り込むのか。そうすると、普通に徹していて、なおかつ面白いのが私には一番だ。
(2008.7.13)